わたしはここにいるよ

インターネットの片隅で愛を叫ぶ

【第四章】元夫「勇気」との日々。わたしの学んだ、あなたの「勇気」

だんだんこの連載を書くのがなんとなく「めんどくせぇ」って思ってきてしまったわたしのめんどくさい気持ちを誰か殴ってください。本当にこのまま書いていくと100章ぐらいなりそう。それわたし書ける?それ誰か読んでくれる?いや、ブログなんてオナニー。っていうのがわたしの持論だけどさ。別に誰も読んでくれなくてもオナニーするけどさ。見られた方が興奮はするけど、別に誰かに見てもらえなくてもオナニーは出来るしさ。でも100回もオナニーしたら、どんどん気持ちよさはなくなるよね?あまりに何回もオーガズムを感じたゆえに亡くなった方もいるらしいよ。まだ死にたくない。自分で飛び降りしてサイボーグになった人間が言うことじゃないけどさ。絶対途中から気持ちよくなくなるよね?だんだんオナニーするのも飽きてきたよ。自分が一番気持ちよくてナンボなのに。でも「最後の記事で何を言いたいのか」を改めて考えていたら、なんだか涙が止まらなくなる現象が起きたので、がんばって書きます。がんばってオナニーし続けます。それによって天に召されるなら本望!こんにちは。オナニストサイボーグ葉月ひろなです。

 

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【第一章】元夫「勇気」との日々。わたしの学んだ、あなたの「勇気」 - わたしはここにいるよ

【第二章】元夫「勇気」との日々。わたしの学んだ、あなたの「勇気」 - わたしはここにいるよ

【第三章】元夫「勇気」との日々。わたしの学んだ、あなたの「勇気」 - わたしはここにいるよ

↑サイボーグになった経緯とそのサイボーグによるオナニーです。

 

スープの冷めない距離で。

わたしはその後、職も持たないのに、再び一人暮らしをすることになります。「生活費は私達が出す。夕飯を食べに来てもいい。でも、私達とあなたは、一緒に暮らしてはいけない」と、母に言われたのです。え?あなた、実の母だよね?わたしの生みの親だよね?今までも、わたしが入院することがあっても、生まれた時から一緒に暮らしてきたよね?たくさん迷惑はかけたけど、それでも。家族4人で、闘ってきたよね?戦ってきたよね?兄の家庭内暴力から始まり、なにもかも家族4人で乗り越えてきたはずだったよね?今はもう兄は一緒に住んでいないし、代わりにいるのは猫だけど。でも。わたし、また、お父さんとお母さんと一緒に暮らすこと、楽しみにしていたんだよ。あなたたちは、いつもいつも「節約」が好きだったでしょ?たぶん、うちは裕福な方だよ。父の勤めている航空会社も一流企業。あなたもそんな一流企業に勤めていた元スチュワーデス。たぶんお給料は、かなりいい方だよ。それでもひたすら「節約」が好きだったじゃん。節約こそ正義だったじゃん。なのに、なんでそんなお金をかけるの?わたしの指定されたアパート、この実家の目の前。スープの冷めない距離とはよく言うけどさ。こんな近所で核家族が更に分裂することに、何か意味があるの。

 

それでも逆らえない目の前のアパートでの一人暮らし。わたしは貯めていたお金で、ひたすら好きなインテリアを買いました。当時はお姫様みたいな部屋が好きだったわたしは、部屋をピンクとフリルで埋め尽くしました。なぜかそうすると、このアパートに「帰ってきたい」と思えるようになったのです。でも。実家で夕飯をともにすることがあっても、その時に喧嘩をしてしまっても、わたしは、やっぱりお父さんとお母さんと一緒にいたくて。一緒に住みたくて。ある「嘘」をつきます。とんでもない嘘でした。実際にその被害に遭われた方からしたら、たまったもんじゃないでしょう。「アパートの前で、男性に襲われた」と、嘘をついたのです。

 

後に、その嘘はもちろんバレます。でも、目の前の実家に帰ることになりました。そんな嘘をついてまで、そんな失礼な嘘をついてまで、わたしは両親とともに居たかったのです。そうでもしないと、一緒に居られないと、思ってしまったのです。主治医には話していましたが、なぜそんな嘘をついたのかは話していませんでした。後に両親が精神科クリニックに乗り込み「なんであの子はそんな嘘をつくんだ」と主治医に訊いたらしいです。「一緒に、住みたいんじゃないですか」そう主治医は答えたと言います。わたしの主治医は、あまり「断言」というものをしません。そしてあまり「アドバイス」もしません。その患者本人に、その家族たちに、「断言」する「アドバイス」をしません。その人たち自らが、答えを見つけるために。

 

生まれてはじめての昼寝。

それからの実家での居心地の悪さは感じていました。なので、落ち込みのひどい状態が続いていました。自業自得とはいえ。なんで家族が一緒に暮らすことが、そんな嘘をつかないとかなわないのか。だいたい食事も自室でひとりで済ませます。もちろんおいしくない。そんな中で、あの総合病院のロマンスグレーの整形外科医の「半年後な」という約束を守ることが、出来ませんでした。半年後のMRI検査に行ける気力がなくなっていました。なんとか行けるのは、地下鉄で数駅の精神科クリニック。ロマンスグレーの先生どうしてるかな………F田先生、元気かな………そう思っても、一度機会を逃したわたしは、どんどん再びあの総合病院に行く「勇気」を、失っていきました。

 

そんな中、ある日の昼間、自室で生まれてはじめての「昼寝」をしました。わたしは幼い頃から、何故か昼寝が出来なかったのです。「昼寝をしてきなさい」と母に言われても、そんなん出来ない。数時間自室で息をひそめてから「寝てきたよ。すっきりした」と嘘をついていました。言われた通りにしないと怒られると思ったのです。もしかしたら幼い頃から常に交感神経が優位で、副交感神経を働かせるのが苦手だったのかもしれません。家の中が常に緊張していたから。兄の家庭内暴力が始まる前から、そもそもわたしが生まれる前から、父はよく浮気をしていたそうで、そんな両親のピリピリとした空気を感じとっていたわたしは、幼い頃から「吃音」を持っていました。そのピリピリとした空気を感じとった途端に、顔を真っ赤にするまでがんばっても、言葉をなかなか発せなくなっていたと母は話していました。この吃音でかなり恥もかきましたが、わたしの中で「この発音の言葉から話せば、わたしの言いたいことと同じこと、または同じようなことが話せる」という工夫を重ね、中学生以来はこの吃音を悟られることはあまりありませんでしたが、それだけ、あの家庭は交感神経を常に優位にしなければ、成り立たない家庭でした。

 

そんなわたしが何故かいきなり副交感神経が優位になり、睡眠薬も飲まずに昼寝をしました。ベッドの横には緑色のカーテンがありました。ぼやーーーっと目が覚めて、あれ………寝てた………こんな明るい時間に………と思ったら、その緑色のカーテンがバサバサと乱れて動き回って、あれ?なんか、おかしい………窓は開いていないはずなのに、なんでこんなにカーテンが乱れて動いているの………そう思っても、身体が動きません。金縛りになっています。動けない。こわい。ここから逃げたいのに。それでもまだ頭のぼーっとしているわたし。後ろから誰かに抱きしめられる感触がしました。「…………誰」そう言ったわたしに、女の声がしました。

 

「ひろな、だよ」

 

そうわたしの名を名乗る女の声は、まるでわたしをあざ笑っているような、あなた、そんなこともわからないの?クスクス、というような表現がぴったりの、わたしの名を名乗る、わたしの声なのです。なに、これ。そう思った瞬間に、金縛りがとけました。うしろを振り向いても、誰もいない。カーテンだって乱れていない。窓も開いていない。わたししか居ない自室。なに、なに?確かにあの後ろから抱きしめていた女は、その女の声は、わたしだった。でも。わたしの性格とは、違うような。正反対のような。そんな声だった。

 

この体験の謎はすぐには解明されず、主治医に診察で打ち明けたら、それまでにないぐらいの速さで万年筆を動かしカルテにその体験を詳しく書いていましたが、わたしは、あれは「ドッペルゲンガー」だったと思っています。実際に目にしたり実際に体験すると、相当ヤバい精神状態だといわれるものです。そして、その「ドッペルゲンガー」は、わたしの、この世に生まれることのなかった「姉」だったと思っています。わたしの「ひろな(仮名)」という名は、本当はその姉が生きて産まれていたら、その姉に名付けられるはずだったのです。その姉が産まれていたら、あなたは「ひろな」ではなかったと前に言われていました。そんなわたしの中の結論が出るのは、この日から10年以上先のことです。この時は、ただひたすら「謎」でした。

 

わたしは、わたしは。

そんな精神状態が乱れまくってる中で、ある日お風呂に入り、バスタオルを身体に巻きつけて自室に戻ろうとした時に「なに、その足!」と、母が大きな声を出しました。え?と思って足を見ると、左足のふくらはぎが、肉割れしているのです。急激に体重が増えたりした時に、皮膚がその体型の変化についていけず、妊娠線のようなものが出来る現象です。でもその仕組みを知らないわたしは、近所の皮膚科に行くことになります。「体重の管理が出来ていない」そう言われました。そりゃ自室にこもってばかりだったからな。体重の変化にまで気がまわっていなかった。その上でその皮膚科の先生は、写真を撮らせてくれと。他の患者への戒めにすると。そしてわたしの顔の肌荒れも勝手に診ようとし「今働いているのか?無職か。それなら職場でのストレスはないな」と言ってきました。わたしは、なんだか、この皮膚科で自尊心とプライドをズタズタにされてしまい、帰ってから自室の家具をこれでもかと壊し、投げ飛ばし、その頃していた漫画の二次創作で小説を書く際に使っていた大切なパソコンのモニターでさえ傷つけ、そのまま、家出しました。なんでわたしはこんなにうまくわたしを操縦出来ないの。そんなわたしは、一体どこにいたらいいの。その頃、その漫画の二次創作活動を通して、ある大切な友達が出来ていました。わたしより2歳年上で、東北に住んでいるとのこと。この頃、わたしは22歳になっていました。この漫画の二次創作は、その漫画があまりに好きでインターネットで検索をかけたら、二次創作活動のページに行き、その小説のランキングサイトにたどりつき、そこのランキングサイトに登録しているサイトさんの小説を全て読み「なんて面白いんだ。こんな世界があるんだ」とワクワクが止まらず、主治医に話したら「自分でもやってみたくはないか」と言われ、もちろんです!と思い、飛び込んだ世界でした。この頃ようやく「パケホーダイ」を使い始め、携帯小説サイトとして二次創作活動のサイトを運営し始めました。そこで以前から「この人の書く小説、すごく好き」と思っていたその2歳上の女性から、ある日わたしのサイトに「あなたの書く小説本当に好き。そこの風景が本当に目に浮かぶ」とメッセージをいただき、「わたしも、あなたの小説が好きなんです!それがきっかけになったぐらい!」と交流が始まり、よく頻繁に電話もしていました。その女性の名乗っていたハンドルネームが「ひろな」でした。わたしは「葉月ハルカ」と名乗っていました。そんな東北のひろなに連絡も入れず、わたしは家を飛び出し、海に向かいました。別にどこに行きたいわけじゃない。どこかに行きたいわけじゃない。ただ。この海に行きたい衝動が、おさまらない。2007年の4月のことでした。

 

海についたら、もう真っ暗で。そんな真っ暗な海岸で、恋人が待ち合わせをしていて。思い出すのは、予備校の彼。恋愛至上主義のわたしが、もう2年間恋していない。あなた以上に素敵な男性、きっといない。きっとそんな人いない。もう一度会いたい。もう一度会いたい。ただ、あなたに会いたい。あなたの歌うラルクの「Driver's High」が聴きたい。大気圏をぶっ飛ばす勢いで、もう一度歌って。そしてその歌の歌詞の最後にあるように、来世でまた逢おうよ。その前に。今世でまた、会おうよ。

 

そう泣き崩れながら、海岸の浜辺に打ち上げられていたヨットの下で、タバコに火をつけました。今じゃ、タバコを吸えるようになってしまった。予備校の彼も、タバコは吸っていた。けれどわたしはあの時はタバコはまだ覚えてなくて。予備校の彼のタバコを奪ってちょっと吸い込んだことはあったけど、ひたすら煙たくて喉が熱いだけだったのに、今じゃこうしてタバコを吸っていて。ひとりで。あなたの横じゃなくて。あの予備校で、喧嘩中にタバコを吸いに席を立ったあの時のあなたの気持ちが、わかるよ。今ならわかるよ。今じゃないとわかんなかった。落ち着きたかった、だけなんだ。でも。今、外なんだけど。野宿は出来るだけしたくなかったんだけど。このヨットの下、落ち着くな。なんでかな。わたしだけの、安全な場所な気がするんだよ。

 

そうして約2日間、野宿をしながら、途中でみすぼらしいおじいさんに車でさらわれそうになりながら、コンビニとファミレスを転々とし、約30キロ離れた街まで来た時に、いきなり自分の中に「答え」が見つかりました。

 

わたしの中に、もうひとり、わたしがいる。

 

そのわたしの気がついた「もうひとりのわたし」は、なんだか、幼いのです。そして、自分の感情をうまく言葉に出来ず、どうしたらいいかわからず、泣いているのです。「どうしたの。なんで泣いているの。本当は、どうしたい?」そう問いかけると「わたしを、コントロールして」と言ってきます。うん。そうだね。自分じゃうまく操縦が出来ないもんね。その気持ちすごいわかる。わたしいつもそうだから。あなたは幼いから、余計にわからないよね。じゃあ、わたしがあなたを操縦する。操縦席代わって。あなたはわたしの後ろにいて。手を握っていていいから。帰ろう。あなたを、お父さんとお母さんに紹介するよ。わたしがあなたを連れて帰るから。かなり遠くまで来たし、もうお金全然ないから、歩いて帰るしかないけど。それでも必ず連れて帰るから。おいで。一緒に、帰ろう。

 

そうして、約30キロの道のりを、道路標識を頼りに、なけなしのお金で買った自販機のホットの紅茶をその子に飲ませながら、約丸1日かけて帰りました。

 

帰ると捜索願いが出されていて、わたしの帰宅とともに捜索が打ち切られ、怪訝な表情の両親に、「わたしの中に、もうひとりいる」と話しました。その子は感情がうまくコントロール出来ない。それゆえに自分自身をうまく操縦が出来ない。けれど。わたしが表に出ている時は、一社会人としてふるまえる。だからみんな、「どっちなの?どっちが本当の葉月ひろななの?」ってなる。記憶は共有されているし、乖離をしているわけではない。ただ。わたしは、ふたりいる。

 

それに少し納得をしてくれたのは、母だけでした。ひたすら現実主義・合理主義の父は「お父さんには、よくわからない」と言います。このあたりは男と女の脳の違いかもしれません。女性は、男性よりも精神世界に重きを置くから。

 

この答えを診察で主治医に打ち明け「よく見つけた」と言っていただき、その時に「この人は、こうして自分で答えを見つけるのを待っているんだ。待っててくれているんだ」そう確信し、わたしの「幼いわたし」の操縦席を変わる日々が始まり、「どうしたい?あなたは、今、どうしたい?」と問いかける日々が始まりました。ある日その子は「おでかけがしたい。」と言います。そっか。じゃあ行こう。自転車で行ける距離に、東京の渋谷みたいなところがあるよ。マルキューみたいのもある。お茶でも飲みに行こうか。スタバもあるよ。ドトールもある。一緒に、自転車に乗って行こうよ。今のわたしなら、もう、この腰の爆弾抱えながらでも、自転車乗れるよ。

 

自宅にこもってばかりだったわたしが、ようやく自ら、また世界に出ていく毎日が始まりました。春の日差しの中を毎日水色の自転車で外に出かけました。東北のひろなに「ずっと連絡出来なくてごっめーん!家出してた!」って連絡を入れたら「あんたは〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ」って、泣きながら言ってくれる。「これでも食っとけ!」って、東北名物の笹かまぼこ送ってきてきれた。うまい!何これうまい!なぜか中学生の時の男友達から連絡が来て「ミクシィやらん?めっちゃ面白いよ」って言われた。ミクシィ?なにそれおいしいの?わたし携帯サイト運営しているから、更に日記を書く場所の必要性は感じてないよ?「いいからやってみろって」えー…………気が向いたらね。「いいからやれって」お前なんかしつこいな。そんなしつこい奴だったっけ。わたし、中学生の時、あんたのこと好きだったよ。「知ってるよ。俺もだよ。明らかに両思いなのに、お前あの不良グループに目移りしたじゃん」あ、バレてた。だってかっこよかったんだもん。「いいから、ミクシィ、やれ。」わかった。お前がそんな言うなら、きっとミクシィはおいしいんだ。

 

そうして始めたミクシィ。当時はミクシィは招待がないと出来ませんでした。よくわかんない。自己紹介?なんて書けばいいの?てか、友達の友達とか書いてあるけど、つまり、友達なわけじゃん?今更隠すこともないし。正直に自己紹介しようっと。

 

境界性パーソナリティ障害

うつ病

学歴ゼロ!

無職!

葉月ひろなです!

 

そんな感じのことを書きました。

 

そのミクシィで、それからの10年をともにするパートナー、勇気さんと出会うとも知らず。なんかよくわかんない。ミクシィひたすらよくわかんない。わたしは携帯サイトの二次創作活動をこれからも楽しむよ。夢小説、めっちゃ面白いんだぜ。

 

みんな!よかったね!

よかった!よかった!ようやくここまで書けた!ようやく勇気さん出て……………きてねぇーーーーーーーー!ちゃんと出ては来てない!出てくるよ!みたいな感じしか書けていない!この後すぐ!続きはCMのあと!チャンネルはそのまま!みたいな感じしか書けてない!でも、ようやくここまで書けた!よかった!これでも今回かなりエピソードはしょったよ!わかるよね!?わかるよね!?【第一章】〜【第三章】まで律儀にページめくり続いてくれた方はわかるよね!?褒めて!!!!!!!!!

 

今となっちゃ誰もがソウルメイトであることは一目瞭然すぎる。この後ちょっと悲しいエピソードにも繋がっていきますが、誰もがソウルメイト。あなたたち全員、一生愛す!そしてわたしのソウルフードの1つは笹かま!笹かまぼこ!あんなうまい食べ物!そしてミクシィミクシィは、おいしかったよ!

 

それでは、またオナニーしにきます。腰が爆発する気配もない。あの後睡眠薬飲んでも危篤状態にはならない。たぶんこの先もならない。わたしがまた来なかったら、オナニーに飽きたか、何かしらのかたちで天に召された時です。その時は「もうお前の命は役目と役割ちゃんと果たした」って宇宙に判断された時。わたしはそれには抗わない。わたしの役目と役割って何ですか!?それが未だにわからないことにも、抗わない!

 

またこの場所で会いましょう。

飽きない限り、天に召されない限り、わたしはここにいるよ。

 

葉月ひろな

Twitter @hazukihirona

hazukihirona@gmail.com