わたしはここにいるよ

インターネットの片隅で愛を叫ぶ

宇宙元旦前日、アイデンティティの崩壊。破壊、そして再生へ。

みなさま、こんばんは。葉月ひろなです。

 

(ッアー!0時前までに更新する予定が、0時ちょうどにようやく記事編集が終わり、更新ボタンを押しました。更新日時は3月21日ですが内容は3月20日です……!)

 

明日3月21日は10:43に天秤座の満月。そして春分の日です。春分の日占星術の世界では1年の始まりにあたり、「宇宙元旦」とも呼ばれます。
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そんな「宇宙元旦」である春分の日と満月が重なるのは、なんと次は2038年。19年も先です。なんだか今年2019年の「宇宙元旦」には特別な意味がありそうだな。先月カレンダーを確認しながら、そう思ったものです。

 

そして先日3月7日に魚座新月があり、ほぼ同時期に水星が魚座で逆行を開始し、天王星が牡牛座に入室しました。この星の動きが示す詳しい意味は、後日加筆するかもしれませんが、今日のところは割愛させていただきます。ただこれらの星の動きに、わたしはかなり揺さぶられ、厳しい浄化の日々が続いておりました。かなり精神状態も不安定になりました。「きっと次の満月と宇宙元旦が重なる日に向けての、最後の浄化なんだ」そんな風に思い、そう自分に言い聞かせ、本日3月20日の日中までは、「なかなか良い浄化が出来た。我ながらよくがんばった」本当に、そう、思えておりました。

 

しかし本日18:00を過ぎた頃に、自身の抱えている「反復性うつ病」をはじめとした精神疾患を治療する上で、最近「内観ノート」なるものを毎日書き続けておりまして、そこから導き出された「わたしが最も手放さなければならない固定観念」そして「それを手放さない限り、治療はいつまでも次に進まず、完治も寛解もしない」ものに気づきまして、正直、一気にアイデンティティが崩壊しました。まじこんなにアイデンティティが崩壊することってあんの?と思ってしまうぐらいの激しい破壊でした。めっちゃくちゃ悔しい。めちゃくちゃ悲しい。わたしは今まで、なんのために生きてきたの。涙が溢れて止まらなかった。24年分?もしかしたら、34年分。

 

そんな「人によっては草生えるレベル」の「わたしのちっぽけな、それでも本当に大切だったアイデンティティ」。その理由と崩壊した理由について、自分自身で整理するためにも、そしてひとつの治療の記録としても、今日はお話をさせていただけたらと思います。もうちゃんと前を向けておりますので、変な言い方ではありますが、安心して、聞いていただけたらと思います。その上で「ツインレイかもしれない彼」への想いも記します。あまりに初歩的なお話もするので、本当に、適度に草生やしながら聞いてくださいね!

 

わたしの「認知の歪み」とは

わたしは長いこと、主治医に「自分をよく見せようとするのをやめなさい」と言われ続けております。しかし、わたしはずっとこの意味がわからなかったのです。診察の度に言われても、頭にクエスチョンしか浮かばない。「あなたは、いいカッコしい、なんだ」と言われても、「E(C)?」みたいな。「ああ、いい格好しい、ね」みたいな。口には出さず頭の中で。このあたりは主治医の方言ゆえかもしれませんが。わたしは父が転勤族で、幼い頃4年に1回は引っ越しを経験し、言葉使いが形成される期間は基本標準語圏で育ったので。それでも色んな地域にいたので、あまり方言と標準語の境目が曖昧というか、よくわかってはいません。そんなことどうでもいい。「人によく思われよう」「いい格好をしよう」自分がそうしているつもりもないし、そもそもそんなつもりがない。だから、いつも腑に落ちない。そして、そう言われ続けることに「わたし自身を否定されている」そんな事まで感じていたのです。

 

主治医のはじめて見せた「驚き」

そう自覚が出来たのが、つい先週。さっそく診察で主治医に打ち明けました。泣きながら打ち明けました。わたしと今の主治医は、もう14年共に病と闘っている仲です。そんなお互いの思考の癖なんてもう熟知している仲なのに、わたしの「人によく思われようとするのをやめなさい、の意味が本当に未だにわからない」「むしろ否定されているようにも感じる」発言に、今までにない驚きを主治医は見せました。「まだわかっていなかったのか」という驚きと「まさか否定されているようにまで感じてたなんて」という驚きの両方でした。

 

わたしの「個性」ではないのか

そしてその上で、「わたしの個性として、活かして生きていくことはできないんですか」とのわたしの問いに、主治医は「そのままでは、生きていけないんだ」と即答しました。目の前が真っ白になったような、真っ暗になったような、そんな感覚がしました。そして「あともう1〜2年をかけてでも、そんな自分としっかり向き合いなさい」という主治医の言葉で診察は締めくくられました。あまりに最近情緒が不安定なことから、半年以上ぶりに、主治医はわたしに昼間の向精神薬の処方をしようともしておりましたが、そもそもこの認知の歪みが原因であること、そしてそれは薬でコントロールをしたり、解決できたりするものではないことから、昼間の薬の処方は取り下げられました。いつも通り、就寝前の睡眠薬のみです。

 

いくら毎日の激しい情緒不安定さを抱えながらでも、向き合うしかない。きっとこのままではあまりに生きづらく、精神衛生が保てないのだろう。でも。長年の闘病の疲れもあり、諦めてしまえたら、どんなに楽だろう。「反復性うつ病」ただ繰り返すだけでは終わらない闘病。何度も失くなる自信を、必死に取り戻しては、また失くなる毎日。もう元気になろう、とするのも疲れた。わたしから離れていった人たちのように、わたしもわたしから離れたいよ。離れていける人が羨ましいよ。どんな事をしても、世界中どこに逃げようとも、わたしはわたしからは逃げられないんだよ。そんな事を思いながら、泣きながら帰路につきました。

 

わたしの主治医の「治療方針」

「ちょっと主治医、厳しすぎない?」そう感じる方もいらっしゃるでしょうし、実際にインターネットでのご縁で相談をした方にもそう言われました。「薬で症状をやわらげながら、その上で認知の歪みに向き合うべきなのでは」と。「まるで、甲子園を目指す野球部員にかける言葉のようだ」と。そして、今回ばかりはわたしもそう思いました。最近本当に「うつ」がきつい。毎朝「希死念慮」から始まるし、喉の奥の石ころのつまった感覚もずっととれない。確かにそれでも、文章を書く日は8000文字以上綴ったりもするし、たくさん工夫してなんとか一人暮らしの生活も維持出来ている。そんなわたしはもう「うつ」でもないし「躁」でもない。でも人より気持ちの上げ下げも激しいし、本当に30分〜1時間単位で心の天気が変わる。雨が降ったと思ったらいきなりやんで、晴れたと思ったら間髪入れず雷が落ちる。もはや嵐だっつの。自分自身が一番ついていけてないっつの。そんな心の天気の移り変わりを受け入れる余裕も楽しむ余裕もない。むしろ、こんな毎日なら、もう晴れなくていい。もうぬか喜びしたくない。何度も、あらゆる自殺を試みたけれど、いつもわたしは死ねない。「また助かってしまった」そんな事の繰り返し。これ以上試せる自殺の方法も、もうない。だから死なないけどさ。ガチで殺されそうになったこともあるのに、もう一息のところで、相手逃げるし。「生きろ」ってことなんだろうけどさ。たぶんわたしの命に、わたしなりの役目と役割があるから、それを果たすまでは、死なないんだろうけどさ。仮に、災害とかではなく、不慮の事故とかでもなく、今わたしが自殺して空に還ったら、「お姉ちゃん、なんでもう帰ってきたの」とか「あんた、まだやること終わってない」って、先に空に還ったソウルメイトにボコボコに怒られるしさ。わかってるけどさ。でも。「もうがんばらなくていいんだ」そう思いながら眠って、もう二度と、目が覚めなければいいのに。

 

こんなあまりに不安定な情緒になる原因の病名も主治医に診断されてはいます。「躁」の経験はありますが「躁うつ病」ではありません。しかし「反復性うつ病」それ以外の精神疾患をインターネット上で詳細に明かす予定は今もありません。ですが、そもそもわたしのセロトニン、やっぱり人より少ない。生成するのもへったくそ。もうほんと、寛解も出来ていない状態での断薬の必要に迫られ、しかもかなりの短期間で断薬をしなければならなかった時に、離脱症状に「死ぬかな?」と思うほど苦しんだけど、そんな断薬できた薬を再度飲むようになっても構いませんから、助けてください。そんな辛い日々が続いておりました。

 

しかし、わたしの主治医の治療方針は、「病を患ったのは患者のせいではなく、生まれ持った気質と環境の両方が影響をして発症する。むしろあなたは親に十分に愛されなかった事から病を患った。親のせいにしていい。自分が全て悪いのだと思わないこと。けれど、そこから立ち上がるのは、あなただ。」とした上で、できる限り薬物療法には頼らない、本当にその患者に必要な薬しか処方しない。当たり前のようで、実はこんな精神科医は少ないというのが現実です(当社比)。そして、診察でも、むやみやたらにアドバイスはしてきません。患者の望む「答え」をすぐに言わない。診察で主治医と話した内容を自分自身で持ち帰り、一週間自分なりに向きあい、その繰り返しの中で「自分で答えを見つける」。そうして「患者本人の治癒力で病を治す」これがわたしの主治医の治療方針です。そしてその診察も1回あたり長くても15分です。

 

治療にかけられる「お金」に限りがある

「カウンセリングを取り入れてもいいのでは……」そんな意見も本当にごもっともです。自力で認知の歪みを正すには限界がありますし、ぶっちゃけめっちゃきついです。しかし、カウンセリングには保険が適用されず、すべて自費になり高額ですし、たとえ1回あたり3000円であっても、必ずしも病を治療中の患者が長く毎週続けるには金銭的に困難なのです。1回あたり1万円とかお話になりません。いやまじ、貧困ハンパないですから。想像以上に貧困ハンパないですから。わたしには頼れる身内もおりませんし、障害年金いただけてても、仮に生活保護いただけても、本当に生活費だけで毎月精一杯です。少しは娯楽やご褒美もないと、人間生きていけませんし。生活保護もらえたら医療費免除になる?保険が適用される医療だけね。そんな中で毎週自費でカウセリング代払える人いないと思う。

 

なので、1回あたりの診察が15分以内というのも、実は長く治療を続ける上でコスパが良いことが理由です。またこの「自力で答えを出す」作業は、前述した通りにやはりきついものですし、時間はかかります。しかし、自力で答えを得られた瞬間というのは、それまでに感じることの出来なかった「達成感」や「自信」が得られます。まぁ、この治療方針も、合う合わないは人それぞれです。そもそも日本の精神医学界で、未だに「うつ病」をはじめ、あらゆる精神疾患の治療が想像以上に困難になる理由は、こんな「認知行動療法」に診察で十分に力を注ぐ時間がない、カウンセリングに保険が適用されないも、ひとつの理由です。そしてそれはそもそも……この話は長くなりすぎますし話が脱線しすぎますので今日はしません。

 

認知行動療法、自分でするしかない。

ですが、それならもう「自力」でなんとかするしかないのです。確かにわたしの自力で生成可能なセロトニンは人より少ない自覚があり、食生活や日頃の生活習慣にも気を配ってはおりますが、やはりそれでもセロトニンは十分とはいえません。しかしわたしは、薬への耐性もつきやすく、どんな抗うつ剤も必ず効かなくなります。これが「反復性うつ病」なる所以でもあります。昼間の向精神薬を再開しない代わりに、点滴や筋肉注射も取り入れてきましたが、頻繁に打つと薬の種類によっては血管がボロボロになるだとか、筋肉組織に悪影響が出るだとか、弊害というものはどうしてもあり、つい先日、そのすべてが、もう効かなくなってしまいました。

 

そもそもの治療が長引いている理由

しかもわたしは元夫の転勤の都合で隣の市に5年前に引っ越し、環境の急激な変化や夫婦共に激務になったことから、今の主治医との出会いから約7年かけて「ようやく寛解してきた!」そんな状態が一気に悪化し、時間もないし交通費も高いしで、診察にも月に1回しか行けておりませんでした。それ以上の間隔があくこともありました。5年間も。そんな中で1年半前に離婚が成立し、なんとかひとりで元の街に戻ってはきましたが、更に精神状態はボロボロになっていました。経験した方は身にしみていると思うのですが、離婚にはものすごいエネルギーを使います。大好きな人と結婚をするだけでも大変だったのに、離婚はその比ではありません。入籍する事の難しさの10000000000倍ぐらいと思っていいです。しかもそれまでの日々も、本当に激務で、まだ完治も寛解もしっかり出来ていない中で、5年間心の休まる日が1日もありませんでした。

 

失声症」にもなりましたし、それでも仕事は続けていました。真夏でもまるで真冬のような寒さを感じ、あり得ないぐらい厚着をした上でダウンジャケットも羽織りながら炎天下の中を過ごしました。原因不明の激しい腰痛で歩くこともままならなくなった時期もありました。首を吊ったのもこの時期だった気がします。最後には、それまでに頻繁には経験のした事のなかった「乖離」もしました。記憶の一切ない空白の時間があり、その時に起こしていた自分の行動に、自分でも意味がわかりませんでした。それまでにないぐらいの「躁状態」にもなりました。過剰な「聴覚過敏」にもなり、風が窓を揺らす音や、深夜のほんのわずかな物がきしむ音でさえ、耐えられたものではありませんでした。食欲も一切なく、空腹さえ感じず、少なくとも離婚後3ヶ月は一口も食べれませんでした。思い出せるだけでこのぐらいなので、実際これ以上に、本当に「おかしかった」と思います。

 

1年半前に離婚が成立すると同時に病院のある元の街に戻り、一人暮らしを始め、診察も週に1回に戻り、そんな中で「これ以上薬は出せないし、毎日飲むなら点滴も注射も一切無理」ぐらいの大量の向精神薬を毎日飲まなければ自我さえ保てず、当時を振り返る主治医が「あなた、よく生きてた」とまで言うほどです。あの頃のわたしは、いつ突発的に自死してもおかしくなかったのだと思います。入院治療も愛猫がいることから断り続けていましたし、わたしには頼れる身内も身近な友人もおりません。わたしの病を知りながらも未だに友人でいてくれている同級生や先輩は、皆遠く離れた、飛行機や新幹線を使わないと行けない土地にいます。

 

それまでに感じたことのない圧倒的な「孤独」の日々で、「ADHD」の診断も受け、「もう一生治らないんだ」そんな絶望にもぶつかり、紆余曲折しながら、わたしはなんとか薬も睡眠薬以外は断薬し、生活も自身の訓練で立て直し、1年半かけて「これからも精一杯生きよう」。つまりは、そういうふうにできている。 - わたしはここにいるよにも記したように、ようやく最近、「生きる活力」というものを取り戻したばかりだったのです。

 

だから、今が「スタートライン」

なので、確かに今の主治医と出会って14年が経ち、はじめて病を診断された時からは今年で20年が経とうとしておりますが、「ようやく、今がスタートラインだ」そう思い、主治医の言葉通りに、あともう1〜2年をかけてでも、自分自身の認知の歪みと徹底的に向き合おうと決めました。それから毎晩、1日を振り返り、また日中にも「内観ノート」を書きながら、今まで以上に自分自身と必死に向き合いはじめました。遅すぎ?いいえ。これがわたしの「最短」です。今が、ベストタイミングなのです。先日職場も離職した。今が一番時間があるし、今が一番、この先の人生で若いのだから。

 

そうして始まった「本気の自己内観」

わたしが「人によく思われよう」とするようになったきっかけ。これは今更内観しなくても自覚があります。主治医も知っています。わたしが10歳の頃、母が目の前で包丁を喉元に突き刺し自殺をしようとしました。原因は、年の離れた兄の家庭内暴力でした。毎晩繰り返される、7歳年上の兄の暴力。それは彼の抱える「たすけて!」という悲痛な心の叫びだったのですが、当時のわたしにそれが理解できるはずもなく、そんなわたしの目の前で自殺をしようとした母を、父が「まだ○○(わたしの本名)がいるだろう!」と止めました。目の前で繰り広げられたそんな光景に「わたしは、良い子にならなければ」そんな事を思いました。あの日の光景と、そんな幼い頃の自分の決意は、おそらく一生忘れることが出来ません。

 

それからわたしは、ずっとずっと長い間「良い子」を演じていたのだと思います。また、自分自身への過大評価があることにも気づきました。以下に、今の時点でわたしの導き出せた「人によく思われようとするのをやめるコツ」を記します。

 

■自分への過大評価をやめる

■人よりも疲れやすい自覚をもつ

■「不完全」を受け入れる

■人の顔色や声色を伺うのと、空気を読むのをもっと意識してやめる

■「NO」と言える勇気をもつ

■むしろ「わたしはちっともすごくない」ぐらいに思い、そして自分だけはそんな自分を否定せず「よくやっている」と褒める

 

なんだか今更感すごいですね。ですが、これを長いこと出来ていないでいるから、今も苦しんでいるのです。ようやくわかったぞ。まじで今更感すごいなー!

 

しかし。これらすべてをちゃんと意識出来たところで、人前でとっさに出る「よく思われようとする自分」を演じなくするのは、わたしには困難であると感じました。先週の主治医との「しっかり自分と向き合いなさい」と言われた診察の後日、主治医不在の日に、筋肉注射をお願いしに病院に行ったのです。その日に「もう効かなくなった」のがわかったのですが、主治医不在の事から、他の医師に代診を受ける形で注射の許可をいただかなければならず、その時、代診とはいえ、まだ信頼関係がしっかりしていないとはいえ、初対面ではなく数回代診をお願いしている医師に対して、まさにわたしは「人に自分をよく思われようとする癖」を発揮させました。お見事!でした。注射の許可いただくだけなんですよ?逆にあっぱれ!よきに計らえ!そのぐらいわたしの無意識レベルハンパない!この時にようやく「人によく思われようとするって、これか!」と納得できました。そして、おそらく、「素直に、正直に自分のことを話す」のと「人によく思われようと演じる」ところに、わたしの中で「明確な違い」がないのです。いよいよ重症です。わかっちゃいたけどわたしは重症です。わたしの認知の歪みは人から見れば草生えるレベルです。わたしだけは草を生やさずに掘り下げます。

 

「人は誰もがアクター」だけれど。

「演じる」ここに鍵があるような気がしました。「人は誰もがアクターである」という言葉があります。誰もが自分を演じる俳優である、と。「家族の前での良い子」「友人の前での良い子」「恋人や配偶者の前での良い子」。わたしは、そんな「誰か」の前で自分を演じ続けて、「本来の」「ありのままの」自分というものを、あまりに長いこと見失い、忘れてしまったのかもしれない。そして長いこと携わっていた仕事が接客業だったことから、「人前ではいつも笑顔」です。これは大変良いことと思われがちですが、「どんな時でも笑顔」というのは「一種の無表情」という見方もあります。

 

「良い子」を演じない、「本来の」「ありのままの」わたしは、どんな自分なんだ?

 

わたしの内観ノートは、こう自分に問いかけるところで、この問題については一旦ストップしました。しかし、最近はこうして自分自身とちゃんと向き合えていること、そして「睡眠をとって疲れを落としたのだから、朝は元気であるべき」という固定観念を手放せたこと、また引き続き食生活にも気をつけていることから、朝の希死念慮がなくなり始め、また他のことに対する浄化も順調でしたので、「今回の宇宙元旦前にすべき浄化は、なかなか、よきよき。」と満足していました。

 

そして崩れた「アイデンティティ

しかし、本日18:00を過ぎた頃から、再びこの「人によく思われようとする」問題を内観し始めました。意識的にしようと思ったからではなく、自然と思考が内観に繋がっていました。

 

予備校時代の現国の恩師に「どれが本当の自分なんだ?と悩む必要はない。どんな自分も本当の自分だ」との言葉があったことから、
人前で自分を使い分けることに疑問を持たずに生きてきたことを思い出しました。この恩師の言葉は間違いではなく、真実です。「良い自分も、人前では言えない恥ずかしい自分も、すべて本当の自分」という意味です。しかし、わたしはこの「誰か」の前で自分を使い分ける癖が「八方美人」にも繋がり、「良い子」を演じない自分が、そもそもわからないのだ、と。そして自分自身の「つらい」感情にはいつも自覚がない。だから自分自身でそのつらさに寄り添うことも出来ず、人に打ち明けることもできず、毎回いきなり爆発する。

 

思えば少なくとも10歳の頃から24年間は「良い子」を演じ続け、だからこそいつもすぐに限界がくる。でも、それは、「誰かに言われたから」ではなく、わたし自身がそう選択し、そしてそうなることを自ら望んできた。「それこそが、わたしである」と。そんな「良い子」という固定観念を手放すと、きっとわたしには何も残らなくなってしまって、人前でどう振る舞っていいのかさえも、わからなくなるんだ。

 

手放さなければならない「良い子を演じる自分」。それを手放すと、物質的な意味ではなく、わたしには、何も残らない。わたしには、それ以外、本当に何も、ない。「良い子」これは、わたしの「アイデンティティ」だったんだ。そしてその「アイデンティティ」が、ずっと、自分を苦しめているんだ。

 

めっちゃくちゃ悔しい。めちゃくちゃ悲しい。わたしは今まで、なんのために、「良い子」を演じ続け、なんのために生きてきて、そうしてこれからなんのために生きていくんだ。「良い子を演じなくなったら」、それはもう「わたしじゃない」。「良い子であること」それはわたしの「アイデンティティ」だったのです。わたしがこの世界に存在する、わたしの中の唯一の「理由」と「意味」だったのです。

 

ああ、そういえば。兄とわたしが7歳も離れているのは、その間に2人流産によって空に還ったからだと言っていたな。そしてその2人が流産せずに産まれていたら、お前は産まなかったとも言われていたな。そっか。「理由」がほしかったんだ。わたしが「この世界に存在している理由」と「意味」がほしかったんだ。そうして自分なりに必死に見つけた「アイデンティティ」だったんだね。それが「良い子を演じること」だったんだね。うん、でもね。もうそれ、手放さなきゃ、次に進めないや。しかも手放したら、わたし、もう人前でどんな振る舞いをしたらいいのかさえも、忘れちゃったよ。

 

涙が溢れて止まりませんでした。今もこうして書いていて、涙が止まりません。人から見たら草生えるレベルなのもわかっているのに。わたしの必死に見つけた自分なりの「アイデンティティ」。あまりにもちっぽけで、あまりにも大切にし過ぎた「アイデンティティ」。そこから得られたものなんて、何もなかったのに。

 

「良い子」で居続けようとした、その場所も今のわたしにはもうありません。血の繋がった家族とも絶縁状態。「どこかでのたれ死んでくれ」その父の言葉を最後に、母にも兄にも会えないまま。物心ついてから一度も抱きしめてももらえないまま。そんな家族の今住んでいる場所も知らない。教えてなんかもらえなかった。知られたくない、と。かわいがってくれた祖父母も他界している。まともな学歴もない。職場も今はない。本当に、なにもない。心底情けない。言葉にできない悔しさと、悲しみです。今までに経験したことのない、「完全なるアイデンティティの崩壊」です。いくら「大げさ」と言われようと。本当に「良い子を演じること」これを手放すと、わたしは右も左もわからない。「右も左もわからぬ若輩者」ではありません。痛いこと言いますが、赤ちゃんです。肉体は大人のまま、記憶は全て残ったまま、完全に「ゼロ」に戻ってしまいます。

 

しかし。

 

崩壊したのなら、破壊されたのなら、あとは「再生」するだけです。宇宙元旦前の最後の、わたしにとって34年の人生で最大の、浄化が促されている。そう感じました。その上で、明日の宇宙元旦を迎え、明日から「ゼロ」からまたわたしの人生は始まるんだ。始めなきゃならないんだ。これがわたしの今年2019年の天秤座満月と宇宙元旦が重なる日に感じていた「特別な意味」なんだ。そして、その前日に最大の浄化を促した宇宙に、神様に、「本当にありがとうございます」そう、思いました。

 

今日はね、もう泣くことしか出来ないと思う。アイデンティティの崩壊って本当につらいね。アイデンティティって本当に人それぞれだね。しかもわたし、赤ちゃんの頃からめっちゃ周りの空気読んで、めったに泣かない子だったんだって。赤ん坊の時からだよ。誰にも教えてもらっていないのに、だよ。そんなわたしの34年間信じてきたアイデンティティは、間違っていたんだよ。わたしが世界に存在する理由と意味はきっと他にあるから、「よくがんばってきたよ」「そんな自分を許してあげよう」「明日からまた、一歩一歩、進んでいくだけだよ」そう自分に言葉をかけながら、思いっきり自分を抱きしめながら、今夜は眠ります。

 

最後に

10歳の頃のわたしが、母の自殺未遂をきっかけに「良い子にならなければ」そう決意をした約22年後に、「ツインレイかもしれない彼」に出会いました。彼は11歳年下のベトナム人で、自分の名前の意味を「良い子」であると話しました。そしてわたしの本名の意味が、彼の母国では「良い子」と訳されていました。だからツインレイである、ではありません。彼をツインレイであると感じる理由や出来事はもちろん他にもたくさんあります。しかし、お互いに母国も性別も世代も違うのに、名前の持つ意味が「良い子」であった。そしてそれは、わたしの「アイデンティティ」だった。

 

彼ともし今世で再会できるのなら、もっと違う意味での、今ではまだわからない、別人の「良い子」になれたわたしでありたいです。「良い子」これにこびりついた固定観念を、塗り替えたい。そして、彼は本当に子供のように純粋で、いつも一生懸命で、ちょっぴりドジで、どこか容量の悪い、それでもわたしの前ではいつも笑顔の、わたしととてもよく似た「良い子」でした。不器用なのに、いっつもじれったいのに、彼だけは憎めず、たとえ「なんであの時、いきなりわたしの目の前に現れたの。助けにきてなんて言っていない。勝手に来て。あなたにさえ出会わなければ…」という憎しみが出てきても、すぐに昇華され、「あの出会いは、本当に奇跡だった」と何度でも思うし、「無条件」で彼を愛しています。彼がツインレイでないとしても、そんな条件さえも抜きに、そして、今は連絡がなくても会えなくても、他の誰かと一緒にいても、そもそも「愛の言葉」なんてもらえなくても、無条件で今も好きなままです。彼のすべてが愛しくてたまらないのです。「彼の存在そのもの」そして、ただ「世界に居てくれるだけ」で、こんなにも、胸がいっぱいになってはち切れそうになるほど、愛しくてたまらないのです。そして今は、彼はわたし以上に、思い通りにならない「現実」と闘っているはずです。そうして闘い傷ついた彼を、果たされるかもわからない再会が果たされた時に、何も言わずに「おかえり」と抱きしめられる強さを、必ず身につけてみせます。

 

わたしの本名の漢字は、「情に厚い」そして「澄んだ水」という意味を持ちます。そして「子」のつく名前です。それ故に、彼の母国では「良い子」と訳されていたのかもしれません。そんな、人一倍情に厚く、涙もろく、未だに「白か黒か」の判断しかできずに、余裕もないけれど。それでも、名前にこめられた、「純粋さ、清らかさ」は忘れずに。

 

明日は天秤座満月、宇宙元旦。

 

これからも。

行こう、魂の思い描く未来へ。

飛ぼう、今度こそ自分の力で。

だから、今日はたくさん、泣いていい。

 

みなさまの明日の天秤座満月、そして宇宙元旦が、素晴らしい日になりますように。明日からの1年に、たくさんの愛が溢れ、笑顔が咲き乱れますように。

 

今夜も自分自身をたくさん褒めて、お休みください。まだまだ未熟すぎるわたしではありますが、明日からも、新しい時代の扉をあけて、この世界をともに参りましょう。

 

わたしはここにいるよ。

 

わたしは、わたしはここに、「今、ここに居る」よぉ……!

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葉月ひろな

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