わたしはここにいるよ

インターネットの片隅で愛を叫ぶ

【後編】予備校の彼。あなたのこと、忘れません。


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【前編】予備校の彼。あなたのこと、忘れません。 - わたしはここにいるよ

 

そんな、しあわせな「彼」との恋を紡ぐ日々。あるときを境に、不協和音が鳴り始めました。どちらかの浮気でもない、どちらかの心変わりなんかでもない。わたしの「心の病」の再発です。原因は大学入試が迫ってきたことによるプレッシャーでした。プレッシャーと、知らず知らずの内にためこんでいた「今度こそ両親の期待に応えなければ」というストレスから、心身に不調が出始めたのです。ふいに涙がとまらなくなり、予備校のトイレにこもって声を圧し殺して何時間も泣き続けたり、人に会うのがたまらなくこわくなったり。他にもたくさんありましたが、しかしどの不調も、原因でさえも、うまく言葉で説明をすることができませんでした。
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しかしながら、当時SOSを出せる相手は「彼」しかおらず、うまく言葉にできないSOSは「彼」を困惑させました。もちろん「彼」にも入試を控えたプレッシャーは同じように、いいえ、わたしと違い浪人生という立場からそれ以上にあったはずで、わたしに苛立ちを覚えるのは自然なことです。自宅で「彼」にSOSを出す電話をしていた時に、わたしが以前のような不調が出ていることに激怒したわたしの母が、電話中にも関わらず、わたしを「なんであんたって子はそうなの!」と叩き始めたことがありました。わたしはそれを母に罵声を浴びせることで耐えていました。しかし電話の向こうの「彼」には、母の言動は届いておらず、わたしの罵声だけが響いていたのでしょう。「親に対してそれはないだろ」と静かに言い放ち電話は切れました。そんな静かな不協和音を鳴らし続けていたわたしたちは、ついにある日の予備校の帰り、駅のホームへ続く階段で感情のぶつけ合いになります。
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「なんで!?なんでそんな風になる!?」

そう言う「彼」にわたしは

「そんなこと言われても、うまく言葉で説明ができないんだもん!くやしい!わたしだってくやしいよ!よくわかんないんだよ!」

と泣き崩れました。おそらく、「彼」の前で、わたしがはじめて流した涙だったと思います。
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無言のままそれぞれ家路につき、その深夜に、「彼」から一通のメールが入りました。長文で書かれていたそのメールの最後に、「つらさを理解してやれなくて本当にごめん。こんな俺でもよかったら、これからもよろしく頼むよ」と記されていました。「彼」は、理解できないからと拒絶することなく、わたしの言葉にあらわせない「つらい」「くるしい」「たすけて」の心に、寄り添う決心をしてくれたのです。
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もう大学入試は目前に迫っていました。わたしと「彼」は、今は目の前の現実にお互い集中しよう、と、入試を無事に終えることができるまで、それぞれ頑張ろうね、の約束を交わし、会うことも連絡もお互いの入試がすべて終わるまではしないという選択をしました。すでに予備校は自由登校の期間に入り、わたしは「彼」の存在を支えに、必死で入試を乗り切りました。
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結果、わたしはすべりどめにしていた大学しか合格することができませんでしたが、入試も合格発表も終えて再会したわたしたちは、次に始まる大学生活という新たなステージの前の休息の時間を、ふたりでたくさん過ごしました。ひとり暮らしを始める「彼」の家でわたしの手料理をふるまったり、原宿に買い物に出かけたり。

「彼」は「大学で心の病を発症する人って多いらしい。これから一緒に解決策を探していこうな」と、言ってくれました。
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4月。それぞれの大学に入学し、「彼」は真っ先に軽音楽サークルに入りました。もともとロックを愛していて、歌もとても上手だった彼は、本当に活き活きとしていました。「包帯を顔や身体にぐるぐる巻きにしてさ〜それで歌ってたらさすがに周りに不審がられたわ!」と話す「彼」を、彼らしいなぁ、とほほえましく思う一方で、わたしの抱える心の病は次第に闇を増していっていきました。「彼」をとりまく新生活でのうれしい出来事、楽しい出来事、それを一緒に喜ぶ心の余裕が、わたしにはどんどんなくなっていったのです。新生活で更に神経をすり減らしたわたしは、大学入学からほどなくして、再び精神科の門を叩くことになったのでした。
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再び向精神薬を服薬する毎日が始まりました。大学はまたしても休学。家では寝たきりに近い状態になりました。食欲もなく、なんとかウィダーインゼリーなら飲める、そんな食生活になり、みるみる痩せていきました。

「彼」は大学が休みの日曜日の度に、家を訪れてくれて、そんな「彼」になんとか、なんとか今のわたしの症状を、わかりやすく伝えられないか、と、当時心の病を克服したとされる方の運営されるインターネットのサイトをプリントアウトして、「彼」に見せながら、この症状とこの症状がわたしには当てはまる、と説明をしました。自分の言葉ではうまく説明をすることができないから起こしたわたしのその行動を、「きついのに、よくがんばったな。」と「彼」は褒めてくれました。そして、そこに記されたわたしに当てはまる症状を理解しようと努めてくれました。
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週に1回の「彼」との時間。外出する気力の湧いてきたわたしが公園に絵を描きにいきたい、と言えばつきあってくれました。公園のかたすみに咲く、寄り添うように咲いていた二輪の小さな白い花をスケッチブックに描いて、当時のふたりのテーマソングだったI WISHの『明日への扉』「すこし幅の違う足で一歩ずつ歩こうね」の歌詞を添えては微笑み合いました。食欲のなくなっていたわたしが、ほんの一口食べ物をくちに出来たら、これでもかと一緒に喜んでくれました。

自宅で夕方の薬を飲んで、その強い副作用から「眠ってしまいそう」とベッドに横たわるわたしの手を、ずっと、ずっと握りしめてくれました。「眠っていいよ。ずっとそばにいるから」という「彼」の言葉に安心して、眠りに落ちて。夜中目を覚ましたら「彼」はそこにいなくて。かなしくなって。また来週になったら会える。わたしの部屋の扉を開けて「来たよ」「大丈夫か」って会いにきてくれる。それまで、それまでなんとか生きよう。それが、わたしの生きる希望でした。
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しかし、療養の場である自宅は、わたしにとって心の休まる場所ではありませんでした。のちにそんなわたしの家庭環境は「機能不全家庭」であり、わたしの心の病は、生まれもった感受性の強さと機能不全家庭による愛情の欠如の両方が合わさって発症されたものとの診断を受けるのですが、当時のわたしは家族の中では「お荷物」であり「できそこない」であり、わたしはそんな両親の発する否定の数々に、自傷行為を繰り返すようになりました。それは決して「生きている実感がほしい」だとか「わたしってかわいそうでしょ!」と周りに訴えたいだとかいう理由ではなく、「まっとうに生きれていない自分自身への罰」でした。なんで、なんで、お前はまともに生きれないんだ!そう自分で自分に罰を与えるわたしの腕の傷跡を、「彼」は無言で見つめていました。今思えば、この頃から、「彼」の心からの笑顔を見ることがなくなっていきました。
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そしてわたしは、精神科病棟へと入院をします。一定の入院期間を過ぎ退院して自宅に戻ったわたしは、再び家族と度々ぶつかりあいました。心を落ち着かせようと「彼」に電話をしても、わたしと同じように、わたしに向き合い寄り添い続ける「彼」には、その「寄り添う」ことに限界がせまっていたのでしょう。きっと周りに気軽に相談できる内容でもなかったはず。わたしのSOSの電話はどんどん「彼」を追いつめていたのだと思います。何しろ、「彼」はまだ19歳なのです。
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ある夜、わたしは母に「あんたなんか死んじゃいなさい!」と言われ、その言葉に自我を失いました。それまでとは比べ物にならないぐらいの深い傷を、これでもかこれでもかと両腕に刻みました。不思議なことに痛みはまったく感じませんでした。自室に置いていた向精神薬オーバードーズし、その後自室で倒れているところを兄に発見され、救急搬送、両腕の傷を縫い、そのまま精神科の入院病棟にうつりました。朦朧とする意識の中で「彼」に電話をかけていたような気がします。
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朝を迎えて、夜のうちに「彼」から折り返しの着信のあったことに気がづき、再び電話をかけました。

今の自分が置かれている状況を説明し、「昨日何があったの」との「彼」の問いに「腕を切って、縫ってた」とだけ答えたわたし。「…もう、無理だよ」しぼり出すような「彼」の声が返ってきました。
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きっとそれまで何回も何回も、「彼」はその気持ちと闘ってきたのでしょう。自身の胸の奥から込み上げるその言葉を、感情を、わたしの知らないところで、何回も何回も、飲み込んできたのでしょう。苦しかったよね。あなたも、本当に本当に、つらかったよね。わたしたちはふたりともこんな風になりたくて、あの予備校で恋をしたわけじゃなかったよね。
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わたしはただ、「彼女らしいこと、何一つできなくて、ごめんね」と泣くことしかできずに、また「彼」も電話の向こうで、嗚咽まじりに、まるで小さな子供のように泣いていました。だいすき。だいすき。だいすきだけれど。本当に、本当に、だいすきだから。これ以上わたしの闘病に「彼」を巻き込んではいけない。それでも。泣きじゃくる「彼」の、そのあとの言葉を、「彼」の口から聞きたくなくて。「別れてください」わたしから、そう告げました。
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どこにでもありふれている、普通の恋でした。まっすぐな気持ちで惹かれ合い、まっすぐな気持ちで恋をスタートさせ、そしてひたすらまっすぐに向き合った。そこから少し幅の違う足で、一歩一歩あるいてきた。それでもお互いにどうしても受け止めきれなかった現実に、「別れる」という最後の「愛」を捧げることを選んだ。「別れる」とはつまり最後に相手に捧げる「愛」なのです。「もうこれ以上お前を愛せないよ」という意思表示も、それを受け入れる「もうこれ以上わたしを愛さなくていいですよ」という意思表示も、それはお互いに最後に相手に与え合う精一杯の「愛」なのです。
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果たされなかった約束がありました。いつか元気になったら、あなたの軽音楽サークルのライブに行くから、ラルクの「Driver's High」を歌ってほしい。どこかで、いつからか、果たされないだろうとわかっていました。それでも。それでも。あなたの歌を、もう一度聴きたかった。大気圏をぶっ飛ばす勢いで、大勢の観客の前で、わたしだけのために、歌ってほしかった。
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その後、わたしは大学をも中退し、学歴もなにも持たないまま社会に出、そこでまた他の男性とおつきあいをすることもあったけれど、20歳の時に、関東から九州へと引っ越す道を選びました。表向きは九州にいいお医者さんがいるから治療の場をうつす、という名目でしたが、わたしの中の一番の理由は「彼」との思い出の地から離れたいというのが正直なところでした。
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その九州の地で、それからの人生を11年間ともにするパートナーとの出会い、そしてわたしの人生を根底から覆す出会いが待っていたのですが、それはまた別の記事で、お話できたらと思います。
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人は、出会うべき時に、出会うべき人とめぐりあうのだと言います。そして、そのタイミングもシナリオも、あらかじめ決めて生まれてくるのだと。思えばほんの34年の人生しか生きておりませんが、人生の岐路に立たされた時、そこに訪れたのは別れであり、そしてその別れから導かれた出会いでした。こんなことってあるんだね、という出来事や出会いに遭遇する度に、これは本当に偶然なのだろうかと思わずにいられないのです。そんな不思議な偶然が全部全部「必然」だったとわかった時に、わたしは「すべて決めて生まれてきた」ことを信じたくなるし、その必然の出会いで知り合う人々を、会うことを約束してきたソウルメイトなのだと信じたいのです。

 

 

 

最後になりましたが、わたしは「彼」のことを、「忘れられない人」ではなく「忘れない人」と決めて今まで生き、そしてこれからもそうして生きていこうと決めております。「彼」と歩んだ2年にも満たない日々で最後にわたしの身体に残ったのは、たくさんの両腕の傷跡。今も、消えることはありません。それでも、まぶしかった「彼」も、やさしい思い出も、すべてすべてわたしの心の中に、同じように消えることなく残っています。「彼」はその後予備校の講師になったと聞きました。もう会うことはないだろうし、もしどこかで会うことがあったとしても、わたしたちが再びお互いの手を取り合うことはないでしょう。それでも。忘れようったって、忘れられないんだから。たくさんの「ごめんね」とそれ以上の「ありがとう」とともに、今日も、あなたを忘れない
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そして今、わたしは、ここにいます。

わたしは、ここです。ここにいるよ。

 

 

葉月ひろな(Hirona Hazuki)

hazukihirona@gmail.com

Twitter @hazukihirona

 

米津玄師さんの「Lemon」を聴く度にこの恋は更に鮮明に蘇ります。「Lemon」のPVに映る米津玄師さんが当時の「彼」にそっくりで。米津玄師さん、素敵な歌とPVを本当にありがとう。