わたしはここにいるよ

インターネットの片隅で愛を叫ぶ

【追記あり】うつ病患者にもツインレイのチェイサーにも必須「インナーチャイルドの癒やし」のすすめ

こんばんは。気がついたら最後にブログを更新した日から1ヶ月経っていました。ブログではお久しぶりです。葉月ひろなです。

 

先日3月21日の宇宙元旦と天秤座満月が重なった日の前日にアイデンティティの崩壊が起き、その後浄化をしながらツインレイかもしれないロイくんとの出会いを前回の記事で振り返り、その記事をなんとか映像化出来ないかと模索しておりましたが、途中でふと「このまま突っ走っていいのだろうか」と思い留まり、アニメ制作会社のシナリオライターに応募をする形で「作品の映像化」に向けてひたすら走ろうとしていましたが、結局その門を叩くことはありませんでした。

 

正直、少し後悔しています。最後まで突っ走れなかった自分に。方向性を変えようと、ロイくんとのエピソードをライトノベルに書き直して、小説サイトに投稿しようとも思いました。ただ、なんとなく、突っ走れなかった。「本当にそれがしたい?」「それをしていて、私は楽しい?」と自分自身に問いかけたところ、はっきりと「イエス」と言えなかったのです。一番の理由は、私自身が発達障害精神疾患を持っていることです。ロイくんとのエピソードを書くときに、それを隠して書くことが出来ない。むしろこの障害と病を活かして書いて、映像化への門を叩こうとも思いました。けど、なんだかそれは違うなって。それをしたところで、出来たところで、私はやっぱり、自身の障害や病を自ら公にし、知られる必要のない方にまで公表するのは、なんだか躊躇われるのです。そんな障害や病を自ら公表しなくても、ちゃんと活かして生きていき、話す必要が出てきた時に「実は………」とはじめて打ち明ける。それが一番美しいのではないかとも思うのです。

 

ロイくんとのエピソードを映像化したい一番の理由は、私のインナーチャイルドを癒やしたいからでした。私は本当に「よくそんなことまで覚えているね」と頻繁に言われるぐらい、あらゆる記憶が鮮明に残っています。たぶん、人よりも事細かなことまで覚えています。その時見ていた風景、その時に交わした会話、その時に感じた感情。私はそれを忘れることがどうしても出来ない。私にとっては、物心ついた幼い頃から、それが普通のことなのです。けれど、このあまりに膨大な量の記憶は、やっぱり普通のことじゃないらしい。それに気がついたのが、つい最近のことです。映画を一度観たら、すべてのストーリーを説明出来る。20年前だろうと10年前だろうと、大切な人と交わした会話は一字一句現実と違わず覚えている。その時見ていた風景、その時感じた感情、それらすべては、何年前だろうと何十年前だろうと、私にとっては昨日のことのように鮮明です。もちろん向精神薬を飲み始めた15歳の頃からは、ところどころ記憶がぼやけてはいます。でも、どんなに薬が増えようと、身体や脳が薬に慣れてくれば、私の記憶回路は復活しました。昨年、睡眠薬以外の断薬に成功してからは、それまで以上に記憶や感情が爆発するようになりました。一晩寝るのを怠るだけで、整理し切れなくなる膨大な量の記憶と感情。人よりほんの少し、IQが高いからだそうです。これを良い方向に活かせていたら、私の人生は変わっていたのではと感じました。だから、どうしても活かしたかった。なにか形に残したかった。それが出来た時に、はじめて私のインナーチャイルドが癒やされると勘違いしていたのです。

 

確かに嬉しいと思います。ノンフィクションエピソードだろうと、自分の作品が映像化されたら。だから突っ走りたかったし、最後まで突っ走れなかったことを悔やんでいます。ロイくんとの別れから1年半と少しが経ち、ロイくんと過ごした日々では頻繁にあった、クラウンチャクラがぶわっと開いて「頭の温度がマイナスになった」と感じるような感覚が、最近は無くなっていたのですが、この映像化への夢を追いかけている最中は、頻繁にクラウンチャクラが開いて、外気との温度差で「頭の温度がマイナスになった」感覚を度々感じていました。それだけ魂が望む願いだったのだと思います。

 

いずれはまた目指したい夢ではありますが、今は当初のような勢いがありません。恥をかくこともこわいのだと思います。自らの障害や病を全面に出して世界に飛び込んでいくのが、こわいのです。その恥をかくことを恐れていてはダメなのだということ、挑戦しなければ人生の幕を閉じる瞬間に後悔することもわかっているのですが。ただ「今はやりたくない」という自分の感覚も大事にしたい。「なんとなくこうした方がいい」「なんとなくこれはやめた方がいい」という直感は、誰もが人生ではだいたい当たります。一種の引き寄せの法則ではありますが、今のわたしがこれに再び取り組んだところで、望むような結果は得られないでしょう。「無理だと思っているから」。また、実績のあるライターでもないし、人気のあるライトノベル作家であるわけでもない。そんな素人の作品がいきなり映像化されるわけがない、と客観視出来たのも、突っ走れなくなった理由です。

 

なんだか言い訳ばっかしているな、と自分でも思います。ただ、最近のわたしは、違う方向からインナーチャイルドの癒やしを実践出来、「これこそが真のインナーチャイルドの癒やしだ」と納得することが出来、人生が豊かになり、毎日が活き活きとしています。「反復性うつ病患者」として、そして「ツインレイのチェイサー」としても、この「インナーチャイルドの癒やし」は必須であると感じます。今回わたしがした、そこへのアプローチの仕方は、正しかったと思うのです。おそらく、あのまま突っ走っていたら、辿り着けなかった境地だと感じます。なのでその「わたしなりの真のインナーチャイルドの癒やし」について、今回の記事ではお話させていただけたらと思います。

 

必要以上のネットをやめる

まず最初にしたこと。必要以上のネットサーフィンをやめました。これはインナーチャイルドを癒やそうとしたからではなく「なんとなくそうした方がいい」と感じたからです。結果として、かなり精神状態が健康になりました。効果の現れ方も顕著で、初日から効果を実感できました。うつ病などで自宅療養中の方はネットサーフィンぐらいしか無理なく楽しめる娯楽がなかったり、治療に良いとされる情報をインターネットから得ようとネット中毒になる傾向があるように思います。また、ツインレイのサイレント期間にあるチェイサーも、なんとかランナーと再会出来る方法はないかとネットで検索しまくる傾向があります。どちらもある程度の知識はネットから得られますが、残念ながらすべてが正しい情報ではありません。人によって合う合わないもあります。私はうつ病に関しても、ツインレイに関しても、もうある程度の知識は得られたし、これ以上要らない情報に振り回されたくないとも思いました。うつ病に関してもツインレイに関しても、仮に正しい情報が得られたとして、それを実行に移せなければ意味がないのです。「今のわたしには、これ以上新しい情報は必要ない」。そう思えたからこそ出来たネット断食だったと思います。だって今わたし、無職なので。今年の2 月から自宅療養中なので。最低限の生活費は確保出来ているので、ネットをしていようと思えばいくらでも出来ます。でも、だからこそ「意識して」辞めました。たまに以前のように昼間にダラダラとネットをしていると、自分のペースが乱されるのを感じました。そしたら、また次の日から「意識して見ない」。自分のペースを取り戻せ、生活が活き活きとするのを感じました。

 

風水からのアプローチ

次にしたこと。これは風水なのですが、ベッドシーツと枕カバーを綿100%のものに変え、寝る際は近くにある電化製品を布で包み、枕元にコップ1杯の水を置くようにしました。人の身体は寝ている間「水」の気を発します。汗を吸収するシーツの素材は自然に近いもの(綿100%など)にし、枕元のコップ1杯の水には「寝ている間の邪気を吸い込んでくれる効果」があるとのこと。また、電化製品は電源を切っていても「気を乱す」エネルギーがあるそうなので、出来る限り布で包むと気の乱れを抑えられるそうです。よくスマホタブレットは寝室に持ち込まないように、と言われますが、ワンルームで暮らしているとそうもいかないもの。スマホの目覚まし時計機能を使う場合もあるでしょう。その際も布で包むだけでも違います。これも初日から効果を実感しました。朝の目覚めが快適になり、長いこと悩んでいた朝一番の希死念慮もなくなりました。枕元のコップの水には朝になると邪気が吸い込まれていますので、飲んではいけません。私は更に、枕元にもともと持っていたローズクォーツアメジストと水晶のパワーストーンを置くようにしました。ローズクォーツは女性の美を高め、アメジストには安眠効果、水晶には浄化の効果があります。気休めかもしれませんが、今はコップ1杯の水とともにこれらのパワーストーンを枕元に置くと、落ち着きます。寝る前のルーティンワークのひとつになりました。そして、枕カバーは2枚用意し、毎日洗濯するようにしました。これは風水的にもよいとされ、衛生面から見てもお肌にいいです。ツインレイのチェイサーならば、ランナーと再会する時は更に美しくなっていたいですよね。確かに肌荒れが改善され、お肌がきれいになりました。この習慣もこれからも続けていきたいです。また、これは以前から気をつけていたことですが、寝る部屋にある鏡は、眠る際は布で覆うかふせるかして、眠っている自分が鏡に映らないようにしています。鏡は黄泉の世界と繋がっているともいわれ、睡眠によって回復を図っている際に自分の姿が鏡に映っていると、生気を吸い取られてしまうと考えられています。寝る際は鏡を布で覆うかふせるかすることもおすすめしたいです。

 

朝一番の水行の効果は絶大

次にしたこと。「水行」です。やり方は、朝起きたらお風呂場に行き、首から下の全身に水のシャワーを浴びます。これも「インナーチャイルドを癒やそう」としたから行ったことではありません。やり始めた理由は「変わりたかったから」です。今の中途半端な自分を変えたかった。それまでもお風呂に入った際は最後に必ず水のシャワーを全身に浴びていましたが、「朝一番」に「水行をする」これはチャレンジしたことがありませんでした。冷たい水を全身に浴びるというのは、一種の「不安と恐怖」です。それを朝一番に行うことで、不安と恐怖に打ち勝つ心を育てる意味もあります。また、具体的な数字は忘れてしまったのですが、人は1回水行する度に魂が何歳か若返り、0歳に戻った時から、今度は「人のために生きる」ことが出来るようになるといいます。誰かのために生きる人生ではありませんが、わたしはそれを「素敵なことだ」と思いました。「人のために生きる」とは「自分を生きる」ことだとも思ったのです。「人を救う=自分が救われる」というのは、以前コンビニの経営をしていた際によく感じていました。なので「人のために生きる=自分のために生きる」でもあると思いました。なぜかこの水行を始めてから、物事がうまくいくようになったというか、不安や恐怖の思考を意図的に書き換えることができるようになり、それによって不安や恐怖が具現化されるのを防げるようになったと感じています。またその思考の書き換えを意図的にすることによって、次に記す「インナーチャイルドの願い」を見つけることが出来、そこから「真のインナーチャイルドの癒やし」を実践することが出来るようになりました。最初は水行をしたくないから朝起きるのが辛かったのですが、今では水行を楽しみに起きるようになりました。意図してたわけではなく、この朝一番の水行を始めたのが、先日4月19日の、2019年2回目の天秤座満月の日からでした。

 

ネガティブワードを脳内変換

必要以上のネットサーフィンをやめ、寝る際に風水を取り入れ、朝の目覚めが快適になったところで、水行を開始。その水行を始めた翌日に「心にネガティブワードが浮かんだら、意識してポジティブワードに変える」ということを自然としていました。そして意識してネガティブワードをポジティブワードに脳内変換していて、気がつきました。わたしは今まで、1日中ネガティブなことばかり考えていたのだと。たとえば「疲れた」「失敗した」「死にたい」などです。「疲れた」は別にネガティブなことじゃないんですけどね。でも、朝から晩まで「疲れた」と思っていたら、やっぱり病みます。本当にこの3つの言葉ばかり考えていたのです。また、鏡を見る際に自分の欠点ばかりに目がいっていました。シワが増えてきたな、とか、目つきが悪いな、とか。また、「〜しなければならない」ことばかりが頭を占領していました。その際のわたしなりの脳内変換表が、以下です。

 

疲れた → がんばった

失敗した → 大丈夫

死にたい → 大丈夫 or ありがとう

鏡を見たらブスではなく → かわいいね

〜しなければ → 〜したい!

 

左と右を見比べるだけで、人生の充実度や幸福度がかなり違いますよね。むしろ今まで「疲れた」「失敗した」「死にたい」「ブス」「〜しなければ」ばかり考えていて、よく34年間生きてこれたな!と思うほどです。この脳内変換、最初は疲れました。なぜなら、わたしは自己肯定するより、自己否定する方が使うエネルギーが少ないのです。つまり、楽なのです。そして気がつきました。思えばわたしは12歳の頃から「疲れた」「失敗した」「死にたい」「ブス」「〜しなければ」ばかり考えていました。それが当たり前の思考回路になってしまうほど。その自己否定を3年間続けた結果、15歳でうつ病になりました。それからわたしがしていたこと。それも、自己否定だったのです。

 

そして気づいたインナーチャイルドの願い

それに気がついた瞬間、「苦しかった、悲しかった。もっと褒めてほしかった、ただそれだけだった」と、涙が溢れて止まらなくなりました。そしてその「苦しかった、悲しかった。もっと褒めてほしかった、ただそれだけだった」と泣いているのが、幼い頃のわたしだと気がつきました。わたしはずっと「インナーチャイルドの癒やしほど難しいものはない。何を望んでいるのかちっともわからない」と思っていました。答えは、至ってシンプルでした。「がんばったね」「大丈夫だよ」「ありがとう」そして「かわいいね」と、言ってほしかっただけなのです。そして毎日「〜したい!」とワクワクしたかっただけなのです。

 

言葉が及ぼす顕著な影響

確かにこれらの言葉、何一つとして両親からもらえませんでした。そして、11年をともにした元夫にも、これらの言葉はあまり言ってもらえませんでした。元夫に関しては、共に生活をするにあたっての、わたしの努力不足もあったかもしれません。うつがきつい時は、まともに家事も出来なかったから。一緒にしていたコンビニの経営の仕事でもかなり迷惑をかけました。しかし、彼はものすごい自信家で、かつ惜しみない努力そのもので自身の人生をどん底から築き上げてきた人だったので、共に生活をする上で、なかなかわたしのうつ病が改善されないこと、自己肯定感が低いことを「努力不足だ」という目で見るようになっていました。わたしの見た目に関しても「外見は大したことないんだから、内面を磨かないと」という発言を繰り返していました。いや、ほんと、彼との毎日は楽しかったんですけどね。幸せそのものだったんですけどね。こんな発言が繰り返されると、言葉というものは不思議なもので、言われた方はその通りになってしまうものなのです。当時の写真を見返すと、びっくりするほど、わたし、ブスです。「大したことのない外見」が本当になってしまっていたのです。わたしはもともと、かわいいとか美人とかいう部類ではないのですが、それにしたって当時はブス過ぎます。わたしは夫と離婚し、ロイくんともサイレントになり、その中で新しい恋をしてつきあった男性に「かわいいね」「素敵だね」とたくさん言ってもらいました。そうしたら人は本当にかわいくなるみたいで、人生で高校生の時以来の第二期モテ期が訪れ、たくさんの異性に声をかけられるようになりました。30過ぎてるんですよ?今年35歳ですよ?20代の男性にもナンパされるほどです。今ではファンデーションさえ必要ないぐらいに肌も生き返りました。顔のつくりそのものというか、表情なんですかね。「かわいい」「素敵」と言われることによる効果って本当にすごいと思います。

 

私は褒めてほしかっただけだった

少し話がずれましたが、それだけ「褒めてもらうこと」を、わたしはずっと望んでいたのです。そしてそれこそが、わたしのインナーチャイルドの願いでした。「作品が映像化される」ことよりも、日々「がんばってるね。大丈夫だよ。ありがとね」と言葉をかけてほしかっただけ。そして「〜したい!」と、毎日をワクワク過ごしたかっただけ。否定ばかりされ、「〜しなければ」とがんじがらめなのは、もう、御免だったのです。

 

インナーチャイルドの涙

それに気がついた時に、はじめて、ホ・オポノポノの「ありがとう。ごめんなさい。許してください。愛しています」の言葉の意味がわかりました。涙を流しながらインナーチャイルドを抱きしめました。「今まで褒めてこなくて本当にごめんね。無理させてきたね。許してね。諦めないで生きてきてくれて、ありがとう」。はじめてインナーチャイルドがとめどなく涙を流すのを感じました。本当にひどいことをしてきた。機能不全家庭からは抜け出し、元夫とも離婚をし、ツインレイかもしれないロイくんを愛すということは、自分自身を愛すということなのに、ひたすら否定していたのは、他ならぬわたし自身でした。チェイサーがすべきは「自分を丸ごと愛すこと」なのに。うつ病患者が取り戻すべきは「自己肯定感」であり、それを取り戻せない限り、いくら復学しようと復職しようと、うつは繰り返すばかりなのに。

 

言葉に起こすと「そんなことか」という陳腐さが出てきますが、わたしにとっては重要な発見で、ようやく見つけた「インナーチャイルドの願い」でした。

 

インナーチャイルドを癒やし始めて起きた変化

なので最近は「疲れた。失敗した。死にたい。ブス」ではなく「がんばった!大丈夫だよ。ありがとう。かわいいね♡」ばかり考えています。この脳内変換こそが、わたしのインナーチャイルドを癒やすことでした。この脳内変換を始めてから2〜3日で必要以上の落ち込みがなくなり、落ち込むことや困難に直面しても立ち直りが早くなり、本当に、毎日が活き活きとしています。

 

「0か100か」をやめることが出来た

わたしを含めてうつ病を患いやすい完璧主義者に多いのが「0か100か」という思考回路です。完璧主義なのに、特にうつを患ってからは、100出来ないのなら、やらない。つまり、いつも、0。そしてやらない自分をひたすら責める。何事も長く続かず3日坊主になる原因もこの思考回路です。しかし、人生に100出来る時なんて、そうそうないのです。わたしがインナーチャイルドを癒やし始めた途端、100出来なくても自分を責めることはありません。むしろ、20出来たらベタ褒めです。

 

人は褒められるのが無条件にうれしい生き物です。20出来たらベタ褒めされるから、うれしくなって毎日やろうとします。20であっても、やるとやらないとでは天地の差です。苦手な掃除も楽しくこなすようになり、部屋もきれいになりました。部屋の乱れはメンタルの乱れ。部屋がきれいになることで、精神状態が更に安定するようになりました。もともと好きだった料理も更に工夫をするようになり、ひとりの食卓ももっと楽しくなりました。以前にも増して食生活が整っています。仮に0の日があっても責めません。「やらないという判断が出来たね。ちゃんと休んだね」と褒めています。

 

ヨガによる体型と生活リズムと感情の変化

また、辞めていたヨガも再び生活に取り入れ始めました。寝る前の20〜40分と、朝の水行のあとの10分。おすすめはヨガYouTuber「B-life」のMarikoさんのヨガ動画です。一週間続けたら、明らかに身体のラインが変わりました。わたしは自宅に体重計を置いていないので体重の変化はわかりませんが、きつかったデニムもすんなり入るようになり、リュックを背負っても左右の肩の高低差が感じられなくなり、全身の歪みが整えられ、自分でいうのもなんですが、かなり女性らしい美しい身体のラインになってきました。特に足のライン。きれいな曲線で、ほどよく引き締まってきました。ウエストのサイズも変化しています。姿勢もよくなりました。ロイくんと出会った当初、いきなり身体のラインが変化したことがありました。彼と過ごした日々は、本当に女性らしい美しい身体つきになりました。ツインレイと出会ったことで、女性性が活性化されていたのだと思います。彼との別れから1年半と少しが経ち、崩れてきていた身体のライン。今度は自分の力で変えたのだ、と思うと、喜びもひとしおです。また、ヨガには自律神経を整えることが出来るポーズがたくさんあります。背骨のまわりには自律神経が通っています。背骨の歪みを正し、緩ませる。こんなヨガのポーズは、毎日続けると自律神経の乱れが整い、そうすることで生活リズムが自然と整います。感情も安定するようになり、日常生活で不必要なイライラが減りました。また、チャクラのクリアリング(浄化)にも、ヨガはかなりおすすめです。ヨガの最後には、よくあぐらをした姿勢で胸の前で手を合わせる合掌をします。ヨガによって身体に尾骨から頭にかけて7つあるチャクラが活性化され、最後にあぐらをかきながら合掌をしつつ、尾骨から頭のてっぺんまで、大地から空(宇宙)へと繋がるイメージをします。このヨガによる効果と動作が、チャクラのクリアリング(浄化)にとても効果的と感じています。

 

チェイサーが養うべきは現実を動かす力

このヨガによって得られた、身体を変えるということは、3次元を変えるということです。3次元を変えるということは、現実を動かす力。この喜びを実感した時に、チェイサーがサイレント期間に一番感じるべき感情は、この現実(3次元)を、ランナーに頼ることなく、自らの力で変えていく喜びだと思いました。よくチェイサーは、ランナーと再会したいがゆえに、ランナーへの執着を手放すことにばかり躍起になる傾向があります。でも、無理やり手放した執着は、必ずまた握りしめます。それならば、ランナーへの執着、つまり、彼の存在と彼への愛を、支えにしてしまえばいいと思います。心の支えにした上で、自らの力で現実を変えていく。いっぺんには出来ません。出来ることからでいい。ひとつひとつ、ランナーとサイレントが始まった当初より、自分自身の望む方向へと現実を変えていく。3次元を動かしていく。自分の身体でさえ変えられなくて、3次元は変えられないとも思いました。その現実を変えることは「自分自身をしあわせにすること」です。自己ヒーリング、そして自己統合にも繋がっていきます。自己をヒーリングし、インナーチャイルドを癒やし、現実を動かし、自分自身をしあわせにしていく。そのことを徹底していたら、正直、毎日忙しい。自分をしあわせにすることで忙しくなる。余計なことを考える暇がなくなります。

 

うつ病患者が取り戻すべきは自己肯定感

これは、うつを治療する上でも大切と感じます。自分自身を丸ごと肯定し、愛していく。これが療養中のうつ病患者がすべきことです。また、自律神経の乱れを正し、生活リズムと感情を安定させること。これも欠かせないと感じます。

 

チェイサーになったことで得られた、うつ治療の「答え」

うつ病を治療するためにも、ツインレイのチェイサーとしても、避けては通れない「インナーチャイルドの癒やし」からの「自分自身を愛すこと、丸ごと肯定すること」。そこからの現実を動かす力。それによって得られる喜びと自信。わたしは正直、ツインレイのチェイサーにならなければ、ロイくんとサイレントにならなければ、この答えは永遠に見つけられなかったかもしれません。ツインレイのチェイサーがすべきはインナーチャイルドの癒やしである、という情報をキャッチしたからこそ、この問題に向き合いたいとずっと思っていました。そのきっかけがなければ、ひたすら無理をし、挫折し、自信を失い、少し休んでから、また無理をする。そんな無限ループだったと思います。だから、彼がもしツインレイではないとしても、彼には感謝しかありません。そして、仮に本当にツインレイだとしたら、わたしは自力でこの答えを見つけるために、あえてサイレント期間を望んだ気がします。目の前の現実は、自分が引き寄せたことで、選んだ結果。サイレント期間に訪れた新しい恋も、わたしが望んだのでしょう。当時のわたしの波長に見合った男性が現れたのだと思います。とんでもないろくでなしな男だったとはいえ、学ぶことがあったから。確かにその男性に出会ったことで、食に対する知識は深まったし、褒め言葉が3次元(見た目)を変える力があることを学びました。そして再び独りになり、ロイくんとの再会を望みながらも果たされないのは、わたし自身が「今のわたしでは、まだ会いたくない」と思っているからだと思います。

 

そんなことが、すべてわたしの妄想だったとして。今、インナーチャイルドを癒やしながらともに生きているわたしは、幸せです。その結果がすべてです。

 

再び、社会に出ていくために

必要以上のネットサーフィンをやめ、風水を取り入れ、朝の水行を始め、インナーチャイルドの願いに気がつき、癒やしながら現実を少しづつ動かしている毎日。そんな日々の中で、つい先日、外国人向けの日本語学校のボランティア活動に挑戦することになり、留学生と交流をする機会を得ました。この先どのようなボランティア活動になるかはわかりませんが、多国籍な留学生との交流を通して、再び「日本語の教師を目指してみたい」とも思うようにもなりました。その多国籍な留学生たちと交流していると、作品の映像化を目指していた時のように、ロイくんと過ごした日々のように、わたしのクラウンチャクラがぶわっと開くのを感じます。

 

日本語学校でボランティアをしたいと思ったのは、ロイくんもかつてはそんな日本語学校に通っていたので、彼の影響もありますが、一番の理由はわたし自身が帰国子女で、幼い頃過ごした韓国から帰国した小学4年生の頃、同じ日本人なのに文化の違いにひどく戸惑い、クラスメイトとなかなか打ち解けられなかった過去があるからです。その時に「実際に外国の子供が日本に来たら、どんな差別を受けるのだろう。もっとグローバルな視点に日本人は関心を持つべき」という作文を書きました。表彰もされた作文でしたが、現代の日本には、実質移民である外国人の方々の子供が「日本語がうまく話せないから」「肌の色が違うから」という理由で差別の対象になり、リストカットなどの自分を傷つける行為に及んでしまうこともある、というのを昨年知りました。その事実を知った時、涙が溢れて止まらなかった。幼い頃のわたしの杞憂が、現実になってしまった。本当に悲しかった。ロイくんと出会ったコンビニを経営していた当時、日本語の壁だけではなく、文化の違いも、留学生の彼らにとっては高い壁だと感じました。日本語の教師は、ただ日本語を教えるだけではありません。日本語の文法や漢字やひらがなの成り立ちの知識だけでなく、言語学歴史学・移民学・なぜ他国の学生が日本語の発音が苦手なのか・その発音の仕方を舌の動きから教える……そんな様々なグローバルな視点を学ばなければ就けない職業です。その術を学んだ上で、外国人の留学生や子供たちに日本語というものを教え、日本という国がもつ文化を伝え、そしてお互いの言語や文化を飛び越えた先にある「個人」というものを、もっと学びにいきたいと思いました。

 

それはつまり「再び社会に出ていく」ことを意味します。「わたしは社会不適合者。いわゆる会社勤めなどの社会復帰は諦めた」そんな風に思い、インターネットを駆使し、何か他の方法でひっそりと生計を立て、生きていこうとも思いました。けれど。働いていた職場を離職をし、再び自宅療養をするようになり、生活も心も落ち着いてきたわたしが望んだものは「社会との接点」でした。当たり前のことですが、それがないと、人は病んでいきます。再び社会に出ていきたい。その上で、経済的自立・精神的自立を確立したい。しかし「自己肯定感」が取り戻せないうちに社会に復帰するのは危険だと、経験から悟りました。社会に出れば、否応なしにわかり合えない人たちと出会います。その時に自己肯定感が不十分だと「自分が悪いんだ」と思ってしまいます。100出来なくていいのだということ。わかり合えない人がいて当たり前だということ。自分自身を大事にすること。何より「自分を好きになること」。これがうつ病寛解させ、再び社会に出ていくことに必須なスキルだと思いました。チェイサーになったことによって向き合ったインナーチャイルドの癒やし。それがきっかけになり、そのスキルを少しづつ学び始めることが出来ました。

 

まとめ

今回の記事のまとめ。うつ病患者とツインレイのチェイサー両方におすすめしたいことです。

  1. 必要以上のネットサーフィンを辞める
  2. 生活に風水を取り入れる(ベッドシーツと枕カバーは綿100%に、寝る際は枕元にコップ1杯の水を置く、電化製品は布で包む、枕元カバーは毎日洗濯、更にパワーストーンを置くとなお良し)
  3. 朝一番の水行
  4. インナーチャイルドの願いに気がつく
  5. その上で癒やしながら、共に生きていく
  6. ヨガを取り入れる(自律神経の乱れの改善、チャクラのクリアリングにも)
  7. 自己肯定感を取り戻す
  8. 魂の望む未来へと現実を動かしていく

 

【追記】

インナーチャイルドの願いを見つける方法も、人それぞれだと感じています。インターネットで検索していると「幼い頃の体験や家庭環境を思い出しながらノートに書き出し、その時の感情を分析する」だとか「幼い頃の自分に手紙を書く」だとか、色々と方法は出てきますが、わたしのような「すべての記憶と感情が鮮明に残っている」場合や、そのノートに書き出す時にフラッシュバックが起きた際の、配偶者や家族などの理解者という第三者の「支え」を得られない場合は、これらの方法は無意味だったり、危険だったりします。本当に、正解なんてひとつじゃない。また「自分に合った方法を、自分で見つける」これも大事なことと感じます。なぜなら「人に言われるよりも、自分で見つけた答えには深く納得が出来、自信にも繋がる」からです。あらゆる情報はあくまで参考程度。情報を得たなら、自ら行動に移し、自分に合った方法を取捨選択しながら見つけていく。

 

うつ病を患いながらだときつい部分もあります。今は出来ないなら、ひたすら休みましょう。動けないことには理由があります。脳と身体が「休んでほしい」と訴えているのです。今は「このまま永遠に動けないのでは」と感じるかもしれません。わたしにもそんな時期がありました。廃人そのものだった過去もあります。でも。必ずまた「動きたい」と思える日がきます。今は誰かの力や医療機関生活保護に頼ってでも、休んでください。動けるようになったら、働けるようになったら、恩返しをすればいいだけです。あなたが元気になることが、一番の恩返しです。生活保護に関しては、働けるようになった時に「税金を納める」という恩返しをすればいいだけです。だから、どうか、まだ逝かないで。あなたなら、大丈夫だから。

 

また、ツインレイのチェイサーは、ランナーとの別れを悲しみ、会えないばかりか連絡さえもとれないことを嘆き、ランナーのことばかり考えてしまう孤独な日々の中で、自分なりに破壊と再生を繰り返しながら毎日必死に生きていると思います。執着を手放さなければランナーとの再会は果たされないとの情報から、執着を手放すことばかり考えているかもしれません。でも。あなたが悲しんでばかりだったり、魂が光を失ってばかりだったら、それこそランナーとの再会は果たされず、ランナーとの出会いそのものを恨んでしまうかもしれません。ツインレイは5次元以上の魂の世界です。あなたの魂が光を取り戻し、輝いていれば、その魂の「光」に、再びランナーの魂が引き寄せられます。自分自身を生きること。自分自身を愛すこと。それはつまり、ランナーと共に生き、ランナーを愛すことです。あなたがしあわせになれば、ランナーもしあわせになり、あなたが前に進めば、ランナーも前に進む。あなたのインナーチャイルドを癒やすということは、ランナーの過去も癒やされるのです。そのインナーチャイルドの癒やし方は、あなたが自分で見つけるのです。インターネットの情報を参考にしながら、自分に合った方法を、自分で見つけていく。遠隔ヒーリングやセッションに頼ることも1つの方法かもしれませんが「自らの力で解決していく」これに勝る癒やしはありません。あなたが先に前に進んで、ランナーを導くのです。その先に、ランナーへの執着をいい意味で手放せる日がきます。仮にチェイサーであるあなたが女だとして。女は守られてばかりではいけません。最愛の人を守れるように、あなたが、強くなるのです。この世界にいる「もう1人の自分」。そのすべてを受容出来るように、あなたが今すべきは、あなた自身を癒やし、あなた自身を愛すこと。そして、周囲に頼ることも含め、自らの力で、あなた自身がしあわせになることです。

【追記終わり】

 

最後に

インナーチャイルドの癒やしと向き合うきっかけをくれたロイくんとの出会いに感謝しつつ、今回わたしが「作品を映像化したい」という夢を追いかける途中で、傷つけてしまった友人がいます。わたしから関係を絶ちました。ほんのこの間のことなのですが、本当にわたしは「0か100か」「白か黒か」の思考と判断しか出来なかったのです。謝ったところで許してもらえるとも思えません。ただ。本当に、ごめんなさい。わたしは、今ここにいます。インナーチャイルドの癒やしと向き合い、自愛を学んでいます。あなたとの関わりで慈愛を学びきれていなかった自分を恥じています。もう道は交わらないかもしれないけれど、お互いにしあわせになって、いつか空で再会出来たら。「あの時のお前、あり得なかったわ!」って言ってほしい。そして「本当に、ごめん」って、言いたい。

 

わたしの未熟ゆえに傷つけてしまった、ソウルメイトへ。いつかまた、空で会いましょう。しあわせになってね。しあわせになろうね。

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わたしはずっと、ここにいるよ。

 

葉月ひろな

Twitter @hazukihirona

hazukihirona@gmail.com

 

 

前前前世からずっと。来来来世までもいつまでも。

Superflyさんは天使!槇原敬之さんも天使!くみっきーは女神!そんなの常識だね!駅のキヨスクがローソンやファミマに変わりつつあってもキヨスクは駅の中そんなの常識だもんね!普遍の真実!わたし?わたしはクズ。星くずになりたいゴミくず!石ころでさえない!むしろ石ころ帽子かぶるから世界から居なかったことにして!でもなかなかイケメンだとは思うよ!イケてるメンタルしてる!今日も朝から死にたかったー!葉月ひろなだよ!こんばんは☆

 

消そうと思った前回の「わかりみの深い完全自殺マニュアル」温存しますね☆

 

消そうとしたんですが、読んでくださった方から「良記事」「下書き倉庫にぶっこんでもいいから消さないで」「あんたにしか書けない」「これで救われる人もいる」と言っていただけたので、むしろ下書き倉庫にぶっこまずに温存しますね!これで誰かが救われるなら、わたしが世界に存在する理由と意味は少しはあるのかもです!

 

わかりみの深い「完全自殺マニュアル」 - わたしはここにいるよ

 

まじで全ては最善じゃないし、神様は全知全能じゃないから。そんな誰もが最善を尽くせない中で「愛」を学びなさい、神など居なくとも「強く生きる術」を学びなさい。としたのが、神様だから。

でも人生楽しいことばっかじゃないし、ぶっちゃけきついことばっかだし、そんな時に「完全自殺マニュアル」があるだけで安心できるじゃん。なかなか「わかりみの深い完全自殺マニュアル」になってるはずだから、どうしようもなくなったら読んでみてね☆

 

わかりみの深い「完全自殺マニュアル」 - わたしはここにいるよ

 

ところで「全ては最善じゃない」とか「神様は全知全能じゃない」とか、お前本当にスピリチュアルクラスタ?本当にスピクラ?って思うよね。完全なるスピリチュアルクラスタだよ。ガチでスピクラだよ。5次元と3次元の境目なんてもうわかんないもん。そもそも「ツインレイ」と出会ってスピクラにならない女性いる?いないじゃん?これもキヨスクが駅の中にあるレベルで常識だね☆なのでわたしがスピリチュアルクラスタ、いわゆるスピクラであるのも常識すぎて。今更説明しなくてもいいかなって思ったんだけど、むしろ「おどるポンポコリン」みたいな歌にしたいレベルで常識。そんな常識はぶっ壊れなくていいよ!コンビニ365日24時間営業は早くぶっ壊れろ☆だけどね!

 

コンビニ24時間営業、ダメ。絶対。 - わたしはここにいるよ

 

しまった。こんな事言ってたら「ツインレイ」との馴れ初め話したくなってきた。今絶賛分離中ですし、再会の気配なんて一寸もないし、ただのわたしの片思いであるのもぶっちゃけ否定できないんですけど!他のこと話そうとしてたんですが、自分で悦に浸る為にも今日は「ツインレイとの馴れ初め」話しますね!ブログなんてオナニーだから。自分が一番気持ちよくてナンボだから。

 

「彼」との最初の出会い

彼との出会い。忘れもしないよ。2017年の……………忘れた。何月何日だっけ。そもそも何月だっけ。3月か4月!か、5月!そんなレベルで忘れた!春っぽい陽気だった気がする!でも彼は黒いダウンジャケット着てた気がするから、3月か4月!か、5月!服装でさえ曖昧だからわっかんない!ただ、とても晴れた日だった。光に溢れた世界はあまりにも美しくて、なんだか、泣くことさえ出来なかった。あの頃は毎日泣きたいことばかりだったのに。この日の1〜2年前から、よく「頭がゾーッとする」感覚を度々味わっていた。「頭の温度マイナスになりました」な、感覚。あの頃のわたしにとってはかなり不快な症状で、毎日の激務からくるストレス過多の証なんだと思っていた。

 

当時わたしは既婚者で、「離婚」を決意したばかり。そのあたりも決意後にかなり離婚についてもめたから、彼と初めて会ったあの日、何月だったっけ?って感じ。わたしは当時32歳。なかなかのいい歳。学歴ゼロ。正社員経験ゼロ。唯一極められたのがコンビニの仕事!夫と雇われという形でコンビニを経営していました。わたしはマネージャーでした。店長が別れた夫ね。そんな中で夜勤を希望してある日面接にきたベトナム人の男の子。面接は店長がしました。そこに本部のスーパーバイザーも居合わせていました。わたしは面接中には事務所には一切入らず、お店で普通に仕事していました。そもそもそいつがいつ面接にお店に来たのかも知らなかった。たぶん商品の「前出し」してる最中だったんだよね。売れた商品の棚に残ってる商品を前に出して「まだたくさんありますよっ☆」ってする詐欺行為ね。

 

そんな「前出し」をしているわたしと、面接終えて事務所から出てきたそいつと目があった。なんとも思わなかった。あの頃は夜勤の面接に外国人が来るなんて日常茶飯事だったし。日常的に茶ァ飲んで飯食う勢いで当たり前だった。でも、なんか、一瞬時が止まった感覚はした。彼の瞳に吸い込まれそう、というか。で、挨拶もせずそいつ帰ってった。わたしも普通に仕事続けてた。事務所に商品の在庫を取りにいったら、店長とスーパーバイザーが「日本人みたいな顔立ちだったね〜」って言ってた。そもそもあいつ何人なん?そんなことさえも思わなかった。「ふーん」って。

 

その頃のシフト管理は店長に任せてたから、そいつを雇う、とか、いつから研修する、とか、あんまわたしは気にしてなかった。てかあの頃は人手不足が重なりまくって、毎日研修ばっかだったし、わたしもよく夜勤との交代の時間まで外国人スタッフを研修してた。「ここはファミリーマート外国人店かな?」ってぐらい局地的グローバル化が進んでた。あの頃ほど母語以外に精通出来たら、と願った日々はなかった。母語以外を勉強する時間なんてなかったけど!コンビニの経営は激務過ぎる☆しかもちっとも割に合わない☆ぶっちゃけやってらんない☆そんなわたしが夜勤との交代の時間までひたすら日本語で外国人スタッフのレジ研修していたある日、制服来て名札つけて先日のベトナム人くんがレジカウンター内に入ってきた。

 

わたしは研修中だから、そいつに挨拶も出来ないまま研修を続けてて、そんなわたしをじーーーーーーーーっと見たかと思うと、いきなり「7$@95$)&$9(^#96ゝ々,%#8%@74!」って大声でめっちゃ早口でまくし立ててきた。いや何言ってるかわかんないから。ベトナム語はさすがにわかんない。英語でさえ無理なわたしにベトナム語がわかるはずない。でもなんかものすごい鬼気迫ってる。「おいおいおいおいおいおいおいおいおいおい!聞いてくれ聞いてくれ!良い知らせと悪い知らせがある!!お前は……%’*%@*%#8%#9^#*%#^!!!!!!!!!」ぐらいな雰囲気だけはわかった。でもそれに対して「??????????」ってなるしかないじゃん。で、ひたすらキョトン。としていたら、彼が「名前!漢字!」って言ってきた。明らかな年下に敬語使われないのなんてのも日常的に茶ァ飲んで飯食う勢いで当たり前だったから、なんとも思わずに、当時の苗字をレシート裏に漢字で書いて渡した。それを見て彼は「……おっかしいなぁ…?」みたいな顔してた。「あれぇ?」みたいな顔。

 

今思えば、彼の名札は苗字じゃなくて、ファーストネームが書いてあったんだ。彼の名前は「ファミリーネーム・ミドルネーム・ファーストネーム」の順の名前の綴りなんだけど、店長が名前の「日本人から呼びやすい部分」を選んで名札にしてたんだ。迷惑な話だね。誰もしあわせにならないね!だからきっと彼も、わたしの名札にはファーストネームが書いているはずだって思ったんだと思う。もちろん下の名前なんて名札にしてなかったわたしは、この時もよくわかんなかった。「お前が名前の漢字教えろって言ったんじゃん!あれぇ?みたいな顔すんなし!」って。口には出しませんでしたが。ただ、こいつ漢字はよく理解出来るんだな、とは思った。

 

そしてわたしは研修を終えて、夜勤とバトンタッチ。既存の夜勤スタッフにそいつの研修を任せて、事務所でその日最後の仕事をしてた。あと、いつも店長である夫の運転する車で自宅に一緒に帰っていたから、店長の仕事が終わるのを待っていたっていうのもあった。わたし運転免許持ってないし。そもそも自家用車1台だし。離婚決定してても、まだ詳細な離婚届提出の日とかも決まってなかったし、家を出るわたしの新しい家だってまだ見つかってなかった。部屋を分けて家庭内別居状態でも、一緒に同じ家に帰るしかない。野宿?野宿も考えたけど、出来るだけしたくない!

 

そうして事務所にポツン。と居続けていたわたし。さっきの「名前!漢字!」のベトナム人くんが事務所に入ってきた。いや、あんたさっき研修始まったばかりだよね?今事務所に戻ってくるのおかしいよね?と思ったら、わたしに会いにきたらしい。で、「あの……なんで、まだ、居る?」って聞いてきた。「……?まだ仕事が残ってたし……あ、そっか、ごめんまだ言ってなかった。わたし、スタッフではなく、マネージャーです。店長の奥さんなんだよ」と返した。そしたら彼がめっちゃ落胆。めちゃくちゃ落胆。「店長の奥さんなんだよ」の部分に明らかに落胆。あれ!?なんでそんながっかりする!?え!?もしかしてわたしにほの字になってた!?なんで!?今日会ったばっか……ではないか。こないだ面接の時に1回会ったか。いやそれでも、たぶんキミまだ成人したばかりとかだよね!?明らかに年下なの見た目でわかるよ!キミもわたしの見た目でわかるでしょ??「まじ?30こえてるの?見えないよ、若く見える」とかはよく言われるけど、明らかにお世辞だし、そうじゃないとしてもキミよりわたしがかなり年上なのはわかるよね!?しかもわたしの顔、かわいいとか美人とかいう部類じゃないの、見たらわかるよね!?ほの字になる要素が何もないよね!?

 

とはまたもや口には出しませんでしたが、わたしに好意を持ってくれているのだけは、わかりました。もうわたしも、うぶな少女じゃない。しかも今は夢見る少女でさえいられない「離婚」控えてる。そうして落胆したまま事務所を後にしたそのベトナム人くんと既存の夜勤スタッフをお店に残し、その日は帰宅しました。

 

「あいつ一体なんなん?」

それから、なんとなくそのベトナム人くんの事を考える時間が増えました。お店ではちゃんと店長とマネージャーとして仕事してるけど、自宅は家庭内別居状態で冷え切ってるし。そのベトナム人くんの履歴書を見たら、11歳年下ってわかった。21歳か。若いな。わたしのこと好きなん?一目惚れしたん?する要素もないのに?でも明らかに「あなたが気になります。結婚していて悲しいです」って態度だった。だからって恋愛感情なんてすぐにはわかない。いくら恋愛史上主義だからって。新しい恋なんてもう11年はしてないし、そもそもその11年間ずっと夫に恋してたんだ。結婚してからも夫にずっと本気で恋してたんだ。今冷え切ってるけどさ。ただ、なんとなく、気になる。で、なんとなく、そのベトナム人くんとはじめて会話を交わした日から、なんとなくわたし、体調が良くない。なんか常に頭がぐわんぐわんというか。気を抜くと意識吹っ飛びそうな感じ。朝起きたらめっちゃ汗かいてて「あれ?寝てる間にすごい高熱でも出てて発汗によって知らぬ間に一晩で熱下がった感じ?」みたいな日とか。今考えると、あれは「浄化」だった。「魂の浄化」。何回も繰り返した輪廻転生の間についた「魂の傷」を浄化していた。しかも生理始まったー!生理休暇ほしいー!生理痛やばーい!

 

そんな謎の体調不良と生理痛のやばさを抱えながら、ある日も夜勤との交代まで仕事してた。そしたらそのベトナム人くんの夜勤と交代だった。生理痛の痛み止めの効果切れてきたわたしは(また痛くなってきた……)って思いながらレジカウンター内にいて、そのベトナム人くん……「ロイ(仮名)くん」としましょう。ロイくんのレジ研修を少しだけしてた。そんで(あたたたたたたた!痛い!生理痛いたい!薬の効き目完全に切れた!)と思った瞬間、ロイくんも自分の下腹部おさえだした。え?ってなった。キミもお腹痛いの?って。同時に?って。キミのその痛い部分、わたしの子宮の位置ですよ。

 

あなたに言いたいことがあります。

そして、ふとレジカウンター内でふたりきりになった時に、ロイくんが「………話したいことがある」と言ってきた。「うん。なに?」と聞いたら、「…………言えない」と。わたしはてっきり、仕事に対する不満がもう出たかな?と思い、「いつでも聞くけどさ。店長に言いにくいことなんだろうし。わたしには話せるなら、いつでも聞くよ。ただ、言いたいことを言わないで、一番苦しくなるのは自分だってことは、覚えておきなね」とか言った。しばきに行きたい。当時のわたししばき倒しに行きたい。ボコボコにしばき倒して二度と起き上がれないように再起不能にしたい。ロイくんは、つらそうな顔してた。それから会う度に「言いたいこと、言えそう?」と声をかけた。ロイくんは無言で首を横に振り続けた。

 

その後も、週に1回しかロイくんとは会わないんだけど、わたしは自宅で休んでいるはずなのに、そうなるように意識もしていないのに、いきなりクンダリーニ覚醒したり(これハンパない。死ぬかと思った)、なんか。なんか、ふと、彼の「ロイ」って名前の意味を聞かなきゃならない気がした。わたしの下の名前の漢字には、「澄んだ水」って意味がある。ロイ、って、もしかして、同じように「水」って意味があるのかな?って。てか、なんか、たぶん、名前の意味一緒なんじゃないかな。てか、なんか、なんとなく、彼とは波長がものすごく近い。彼の「話したいこと」も、なんとなく、仕事のことじゃないのは、わかってきた。

 

「もしかして、うちらさぁ……」って感じのことを、彼は考えてる。言わなくても、彼の考えてることが、わかる。だから、彼が仕事で何がわかんないのかが、わたしにはわかる。教えていると、すっごい息が合う。わたしがしっかり言葉にしなくても、わたしが教えようとすることを、彼はちゃんと理解する。一緒にいると、わたしは言葉なしで仕事を教えて、彼は言葉なしで仕事を理解して、動かなければならないタイミングも、待たなければならないタイミングも、そもそも次にレジのどのボタンを押さなきゃいけないのかも、言葉なしで全部伝わる。それを、彼も感じてる。「うちら、言葉なしでお互いのことがわかるよね」って。なんか、それ、当たり前だよね。って。しかも、漢字の意味は本当によく理解している。漢字の成り立ちの由来や、そこから意味を読み取るコツを教えると、顔をキラキラとさせる。幼い頃の、漢字辞典を最初から最後まで読んで顔をキラキラさせてた、わたしとそっくり。そういやわたしも、何故か昔からコーヒーが大好きで。朝は必ずコーヒー飲まないと1日始まらないし、日中も飲まないと仕事になんない。「コーヒーばっか飲んじゃダメですよ!」ってスタッフに言われるぐらい、わたしの身体コーヒーで出来てる。なんでこんなにコーヒーが好きなのかずっとわかんなかったんだけど、そういや、ベトナムって、コーヒー豆の栽培が盛んな国だな。

 

もしかして。魂の波長がすごい近いのかな。ソウルメイト、って聞いたことあるけど、それなのかな。いやいやいやいやいやいやいや。ソウルメイトとかのレベルでもないよ。そもそも、魂一緒なんじゃね?波長が近いんじゃなくて、「同じ」なんじゃね?

 

そう思った瞬間に、頭に「ツインレイ」って言葉が浮かんだ。まだスピリチュアルについて何も知らない、そもそもソウルメイトなんてのもまともに意識したことないのに、いきなり頭に浮かんだ。インターネットで調べてみた。本当にあった。その単語。意味も、わたしが思ったのと一緒。当時のわたしが見たインターネットのページの説明を簡単にいうと「もともとは1つの魂だったのが、男性性と女性性に別れた、魂の“片割れ”であり、ひいては“自分自身”」だと。彼は………彼は。そして、彼のずっと「話したい。けど、言えない」と、わたしに言っていることは。

 

そんで次に会った日に聞いてみた。

「ねぇねぇ。ロイって名前、“水”って意味?」

「ロイ……は………“良い子”」

「ふーん………あのね、わたしの下の名前、こうやって書くの」

 

本名の下の名前を漢字でレシート裏に書いて渡した。受け取るなり、すっっっっっっっごい勢いで、彼は持ってた携帯端末でその意味を調べ始めた。その画面は見せてもらえなかったけど、その漢字をベトナム語に翻訳しているのはわかった。たぶん、彼が、はじめて会話を交わした日に「名前!漢字!」と知りたがっていたわたしの名前の漢字は、これだったんだ。と理解した。彼が、ハッとした顔をした。

 

「………………おなじ」

 

そう言った。同じ。確かにわたしの名前の漢字は「澄んだ水」の他に「情に厚い」とかの意味もあり、最後に「子」がつく。「良い子」とベトナムで訳されていても不思議じゃない。

 

「ねぇ、なんか、はじめて話した日に、わたしに“何か”を感じたよね?」

「……うん」

「わたしも、同じこと、感じる」

 

おまえらーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!どこまでもじれったい!どこまでもじれったい!いや、わかる!わたし既婚者だし!それを彼も知ってる!確かに言葉にしなくてもいつも同じこと考えてる!ただそれにしたって、どこまでもなんでどうしてはっきりと言葉にしない!確かにこの時点で「うちらツインレイだよね」とか彼に言っても、たぶん彼はその言葉の意味は絶っっっ対理解しない!ただ、なんかもうおまえら、じれったい!!!!!!!!絶対このやりとりもうちら宇宙で決めてきた!「次のうちらの名前こんな感じにしよう」「んでもって国籍も分けるぞ」「会った時に一発でわからないようにするためだね!」とか絶対決めてきた!むしろ「お前結婚しとく?俺よりかなり年上になっとく?」「いいよ。加えてそれまでの人生もかなりハードモードにする」「だな。地球卒業試験だしそのぐらい当たり前」「「おれたちならならできる」」シナリオ通り!「通説の逆をいこう!わたしが闇担当する」「お前それ耐えられる?」「大丈夫。………ただどうしてもの時は、助けにきて。」「……ッ当たり前だろっ!」わかった!お前らがかわいいのは十分わかった!早く結婚しろ!

 

「心の支え」になって。

そしてその後、「離婚」を進めていく過程で、長年の激務の疲れも重なり、夫がかなり怒りっぽくなって、職場でも家でも怒鳴られる事が増えた。わたしとロイくんがなんとなく仲良さそうなのも夫には面白くなかったようで、ロイくんにもかなり理不尽なことで怒鳴るようになった。夫は恋人時代から、本当に誰よりもやさしい人だった。こんなにやさしい人、世界に他にいない、ってぐらいやさしい人だった。もう本当に、この人とは終わりなんだ。そんな怒声ばかりの日々で、わたしは「過剰な聴覚過敏」になって、風が窓を揺らす音や、深夜のほんのわずかな物がきしむ音でさえ、耐えられなくなった。電車が走る音とか本当に無理だった。離婚を進めるストレスからも、相変わらず仕事が忙しいことからも、他に頼れる身内も身近な友人もいないことからも、どうしても自我を保ちたいが故にロイくんに「離婚、決めた。フェイスブック見て。メッセージ送った」と、ベトナム語で手紙を書いて彼に渡した。そのフェイスブックのメッセージに「心の支えになっていただけませんか」と書いていた。本当に情けない話なのに、彼はそれを快諾してくれた。

 

それから週に1度お店で会う度に、夜勤するためにお店に来て、事務所の扉を開けて中にわたししか居ないことを確認してから「こんばんは!」って、笑顔で話しかけてきてくれた。その後に恥ずかしそうに「……ひさしぶり」って言ってきてくれた。その彼の「こんばんは!……ひさしぶり」その言葉で、それに添えられる恥ずかしそうな笑顔で、わたしのいつも低くなっていた体温が上昇した。気を張り詰めてばかりの毎日が、その瞬間だけは緩んだ。ありがたくて、なんだか初恋のように、わたしも恥ずかしかった。そして、彼もよく「頭がゾーッとする」感覚をジェスチャーで訴えていた。お互いの居る距離が近くなると、少し収まる。けれど、物理的に離れようとすると、またお互い「頭がゾーッとする」。「頭の温度マイナスになる」。今ならわかる。頭のチャクラがぶわっと開いて、外気との温度差でああなっていた。あ、そうか。彼が来日したのがちょうど当時の1〜2年前。わたしの「頭がゾーッとする」感覚を訴え始めた頃。彼が来日した日から、きっと、わたしは度々頭のチャクラが開いていたんだ。

 

それからもまともな言葉は交わさない。「好きです」なんてお互い口が裂けても言わない。もちろんデートなんかしない。手なんか繋がない、触れもしない。肌なんか指1本触れない。キスなんか、セックスなんか、しない。そんなの要らない。しようとも思わない。もしかしたら、彼はすごいリビドーを感じていたのかもだけど、それでも基本挨拶と笑顔しか交わさない。それだけで、何だって乗り越えてみせるって思った。彼の話す日本語の、疑問系になる時の語尾の上がり方がかわいい。「なんか今日はよく話すね。てか日本語うまくなったね」って言ったら、「〜〜〜〜〜〜〜っ!」って恥ずかしがる。ベトナムの男性は、基本おしゃべりなんです。母語の通じ合う者同士では、男性同士でもずーーーーーーーーっとしゃべってる。その頃のわたしたちのお店にはベトナム人スタッフが本当に多くて、彼らは女性を本当に大切にする。わたしが「失声症」になった時も、なんとか笑わせようと、わざといじわるしてきてくれたり、驚かして声を出させようとしてきてくれたり。そして、ものすごい恥ずかしがり屋。そしてものすごい勤勉家。個人差はあれど、みんな本当にやさしくて、いつも一生懸命で、褒めるとすっごい照れて、穴に入るのかな?ってぐらい恥ずかしがる。そんなベトナムの男性は、本当に素敵だなと思った。

 

そんなベトナムの男性の中で、ロイくんは特に、好きな人にいじわるをする勇気もなく、ただひたすら、覚えたてのカタコトの日本語と、恥ずかしそうな笑顔で、わたしを元気づけようとしてくれる。「なんか今日いい香りだね」って言ったら、「シャワー浴びてきたから……シャンプーだと思う……」って赤面する。なにこのかわいい生き物。わたしがミント味の飲み物を仕事を教えるために買って「飲む?」と聞いたら、「いらない!」ってする。おう、まだわたしひとくちも口もつけてないし、お前はミントとパクチーの国から来たんじゃないのか。ミント苦手なんか。スースーすんの苦手か。かわいい。なんならパクチーはどうなんだ!パクチーはイケるのか!わたしパクチーは絶対食べようと思わない。なんで今あれが流行りまくっててパクチー味の商品が次から次へと店に並んでんのか本当にわかんない。カメムシ流行らそうとしてる犯人誰だ。

 

仕事も、「まだこれは教えてないから、出来なくていいから」っていうことでさえ、目離したら自力でなんとかしようとしてる。いや、出来んでいいんだって!まだ教えてないんだから!てか勝手に自力でどうにかしようとすんな!ぶっちゃけ失敗した場合めんどくさいんだ後処理が!わたしの仕事もう増やさないで☆ってしてんのに、目離したらまた自力でなんとかしようとしてる。「お前は子どもかーーーーー!!それならお母さんの傍から離れないで!わたしぶっちゃけ不眠症だから、睡眠薬飲まなければお母さん数日余裕で起きていられるから、正直昼間クタクタになるまで働いたけど、キミと永遠に一緒に夜勤できるから、お母さんの傍から離れないで!」って言いたくなるぐらい、目離したら自力でなんとかしようとする。しかも要領がいつも悪い。こんなに要領悪い夜勤スタッフはじめて。ぐらい要領悪い。朝お店に行って仕事終わってた試しない。いや、終わらなかったら終わらなかったでいいから、程よく力抜きな。22時〜7時まで、ぶっちゃけ休憩したこと一度もないでしょ?休んでいいから。昼間も学校だったんだし。なんでいつもそんな一生懸命なんだよ。なんでいつも自分だけでなんとかしようとするんだよ。わたしの携帯の番号教えたよね?お店の電話からかけてきていいから、もっと頼ってよ。おでんの鍋洗うスポンジが行方不明だったからって、お店の商品を勝手に自腹切んなよ。お前にそんな余裕ないはずだろ。ぶっちゃけご飯食べるお金にさえ苦労してんの知ってるよ。あんたの1ヶ月あたりのお給料が雀の涙なの知ってるよ。他のとこでも働いてるんだろうけどさ、家賃と光熱費と学費払ったらほとんど残らないはずでしょ?わたしに相談してくれれば、お店の経費としてスポンジ代処理出来るんだよ。仕事に必要なんだから。いつも自力でなんとかしようとすんなよ。わたしなんかあんたに頼りっぱなしじゃん。たまに弱音吐くメッセージをフェイスブックメッセンジャーに送ったりもするし。わたしのいつも書くベトナム語での手紙だって、文法間違いまくりで「ちょっと何言ってるかわかんない」「日本語でおk」みたいな感じでしょ?それでもあんたいつもバカにしてこないじゃん。わたしもあんたの事だけはバカにしないよ。いつも味方だよ。どんだけ失敗してもどんだけ要領悪くても、わたしだけはあんたの味方だよ。あなたほど素敵な男性いないよ。人類史上かつてないほど一番素敵な男性だよ。あなたがいるから、あなたがいてくれるから、わたしがんばれるんだよ。あなたの笑顔を思い出すだけで、なんだって乗り越えてみせるって、思えるんだよ。

 

こんなに愛おしい、まるで、本当に「自分自身」。あなたに出会えるまで、わたしも、それなりに、精一杯生きてきたよ。あなたとわたし、本当にそっくりなんだ。全部、全部、全部、同じ。頭のチャクラがぶわっと開いて、魂が「離れたくない!」ってするぐらい、一晩で高熱を下げるほどの大量の汗をかく浄化を身体が勝手にするぐらい、意図もしていないのに突然クンダリーニ覚醒をしてしまうぐらい、あなたに会えた「奇跡」を身体中が、魂が、毎日喜んでいる。でも。

 

わたしはどうして、あなたと出会えるまでに、自分自身の身体を大事に出来なかったんだろう。ずっと長袖で隠してるけどさ。わたしの両腕、傷だらけなんだ。自分で切った。17の時に。痛くなかった。全く。かなり深い傷なのに。建物から飛び降りたこともある。20の時。下半身不随になりかけた。今も腰に金属ボルト6本も埋まってる。さすがに痛かった。いつもサイボーグみたいな、腰ベルトつけてるんだよ。気づかないだろうけど。大量の薬を飲まないと自我さえ保てない。向精神薬だよ。15の時から飲んでる。睡眠薬飲まないと絶対に寝ないよ。どんなに疲れ果てても。本当に余裕で何日も何日も起きてられる。気は狂いそうになるけど。こんなの、あなたには、絶対言えない。こんなに、自分の身体を傷つけてきたこと、こんなに涙が止まらないほど後悔する日が来るなんて、思わなかった。もしかして、あなたも、痛かったのかな。腕を切った時、痛がっていたのは、あなただったのかな。飛び降りた時も、半分ぐらい、痛み背負ってくれたんじゃないかな。かなりあなたは、小さい頃だったはず。聞けない。「好きです」以上に、絶対、言えない。でも、でも。「好きです」は、もう、我慢出来そうにない。

 

 

「チェイサー」と「ランナー」

そして。離婚が本格的に決まり、夫と「もうお互い、新しい恋をしよう」となった。その頃の夫に大切な女性がいることもわかっていた。離婚が決まっているのに、お互いにそのお互いの大切な人にあり得ないぐらい嫉妬したけど、もうお互い次に進もうよ、って。お互いに泣きながら。11年間本当にありがとう、って。あなたと出会えて本当によかったよ。後悔なんか何もない。別れは悲しい。他人に戻るのは悲しい。ただ、あなたを本当に愛していたよ。あなたも本当にわたしを愛してくれた。誰がなんと言おうと。でも、もうこれ以上は、お互い無理だよ。もう修復は不可能だよ。次に進もう。離婚届の提出までにはまだ時間がかかるけど、わたしに遠慮しないで、その女性のとこにいって。わたしも、ロイくんに、もう、好きって言いたい。もうこれ以上、この言葉を飲み込みたくないよ。

 

そうして、離婚届はわたしの証人の欄を埋めるだけになった。この証人が問題。わたしには身近に頼める人がいない。ただ、あと少しだ。新しい家も見つかり、審査も通った。あとは契約して、お金払って、引っ越して、証人の欄をなんとかして、離婚届を提出するだけ。

 

そして、ロイくんに会った時に聞いた。その時のお互いの連絡手段は手紙かフェイスブックのメッセージのみだったけど、彼はいつも返事はくれない。そりゃ昼間は学業だし、夜間はお仕事だし、暇もない。携帯端末持っていても、彼は常にインターネットに繋げる環境にいない。街中の無料WiFiしか使わない。通話SIMなんか持っていない。だいたいの留学生はそうだ。てかフェイスブックメッセンジャーってぶっちゃけ使いにくい。だから彼はなかなか返事をくれないのかも。ただ、わたしはどうしてもロイくんと連絡がとりたかった。

 

「どうやったら、あなたとこれからも連絡がとれる?」

 

それを聞いてから、わたしからデートに誘おうと思った。まだ日本語に不自由している彼に、わたしは日本語を教えたかった。そしてわたしにもベトナム語を教えてほしかった。あなたの母国の言葉が知りたい。だから、一緒に図書館かカフェに行きたかった。お互いの母語を教え合いたかった。だから「連絡交換が可能な連絡先教えて」って。そしたら、こう返って来た。

 

「………ごめん。ガッコウ、忙しい」

 

と。わたしは正直、彼がLINEのIDとかのフェイスブック以外の連絡手段を持っていることは知っていた。だから、「忙しい」と言いながら、暗に「教えたくない」って断っているのだと、すぐにわかった。

 

「ごめん」

 

そう言って彼は、事務所から出ていった。

 

それまでは、正直、彼の方からいつも追いかけてきてくれた。想いを、気持ちを、感情を、言葉なんかにせず「だいすき!」っていつも表してくれた。こんなに無邪気な子いるかな?って。こんなに不器用な子、他にいるかな?って。こんなにいつも一生懸命な子、他にいるかな?って。こんなにじれったい関係、あるかなって。こんなにも存在そのものと、そこにいてくれるだけで愛おしい人、世界に他にいるかなって。

 

今度はわたしから追いかけよう。わたしから伝えよう。「好きです」って。「大好きです」って。「もっとあなたを知りたいです」って。「一緒にいてください」って。わたしもうすぐこの街を去るから。月に1回でもいい、わたしから会いにくるから。だから、連絡先教えて、って。その前に、一度でいいから、一緒にお出かけしよう、って。

 

「ツインレイ」について調べていたら、主に男性は必ず逃げ出すって書いてあった。男性が逃げ出す「ランナー」女性がそれを追いかける「チェイサー」になると。たぶん、彼はわたしのリストカットの傷や、腰の手術跡や、わたしが大量の薬を飲まないと日常生活さえ送れないことを知ったら、逃げ出す。そんな未来は絶対くる。そんなのわかってる。けど。

 

そんなのひとつも打ち明ける前に、「好きです」さえ打ち明ける前に、彼はわたしのもとを、去りました。一緒に働いていたお店でさえ、彼は辞めて、完全に接点はなくなりました。わたしは、自分の抱えてる病や、障害や、たくさんの身体の傷跡のことは、お店では誰にも言っていない。完璧に気づかれないようにしてる。長袖も、火傷の跡があるから、って言ってる。店長?店長はもちろん知ってる。けど、あの人は、そんなのバラすような人じゃない。わたしが一番知っている。それなのに。

 

何も始まることのないまま。抱きしめたら、きっとひとつに溶け合ってしまう、彼の身体の温度も肌の感触も、なにも知らないまま。あまりにも無力なわたしは、去っていく彼の背中を追いかけることも出来ないまま、独りになりました。

 

「サイレント期間」の始まり

それから夫と「お金」についてひと悶着あり、お互いに憎しみ合ったまま、ロイくんと出会った数ヶ月後の2017年8月にわたしは離婚届を握りしめて家を飛び出し、その直前に車に轢かれそうになっている子猫を保護し、その子と今の家に暮らし始めました。そして翌月2017年9月に離婚届が受理され、離婚が成立しました。その、夫と暮らしていた家を飛び出す前に、ロイくんに、ロイくんの友達に託す形で、手紙を書きました。

 

ロイくんへ

わたし、あなたに恋していました。

またどこかで会おうね。

好きだよ。ロイくん

 

精一杯のわたしの告白でした。「好きだよ」ではなく「愛しているよ」となぜ書けなかったのか。今でも悔やまれます。そして今の一人暮らししている、新しい住所も添えました。そもそもその手紙が、無事にロイくんに渡ったのかも正直わかりません。そして、わたしはおそらく、遅かれ早かれ、この今の家も出ます。彼に教えた携帯の番号も、今は使っていません。その後もフェイスブックメッセンジャーに「元気ですか」とか「メリークリスマス」とか、数回送りましたが、既読にさえなりません。本当にわたしの片思いかもね。そもそもわたし、彼より11歳も年上で。彼は本当に「だいすき!」って接してきてくれたけど、(血迷ってたわぁ……)ぐらい思ってたのかもね。さすがに年下の彼女作られた日には「勝てるわけない」とも思うよ。でも。彼と過ごした、ほんの数ヶ月、心が通い合ったような時間。それまでに視えなかった「オーラ」がいきなり視えるようになっただとか、満月の日に「良いもの悪いもの関係なく引き寄せる」だとか、「わたしの周りだけ天気予報がはずれる」だとか、わたしが必要とするものが思いがけない形で必ず与えられるだとか、ここに書いた事以上に、不思議な出来事もたくさんあり、わたしの生きてきた世界そのものがひっくり返りました。5次元で惹かれ合った彼の魂と、3次元で実際に出会って、その5次元と3次元の狭間にいきなり飛び込んだわたしには、何もかもが「不思議」でしかなく、ひたすら戸惑うばかりの、彼と過ごした日々だった。

 

それらすべてをなかったことにして、新しい恋もしました。その新しい恋で、わたしは生まれて初めて妊娠もしたんです。それが約20年間抱えている病の寛解も出来ていない状態で、大量の向精神薬を短期間で断薬しなければならなくなった理由でした。ずっと排卵を止めていたリスパダールという薬が効かなくなり、エビリファイという薬に変えた途端、妊娠しました。2週間ですべての薬をやめなければならなくなりました。あり得ないぐらいの大量の向精神薬睡眠薬。わたしの当時の1ヶ月分の向精神薬は、人によっちゃ1年分です。長年飲み続けたし、かなりの短期間での断薬なので離脱症状ハンパないですが、お腹の子供のためなら、母親はそのぐらいがんばれます。けど。妊娠の継続は出来ませんでした。その子が生まれていたら、わたしは2019年3月、お母さんになっていました。とんでもないろくでなしな男だったので、シングルマザーだとは思いますが。その男性と付き合っていた期間は、確かにロイくんのことさえ、忘れていました。というか、考えないようにしていたのかもしれません。思い出すと、苦しすぎた。「ツインレイ」と出会ったことで、男性より精神世界に重きを置く傾向にある女性がスピリチュアルな知識を深めていくように、わたしも生まれてはじめてスピリチュアルな世界に触れて知識を深めていっていましたが、「ロイくんはツインレイなんかじゃない」そんなことさえ思うようになっていました。

 

そうして、2018年8月にお腹の子は空に還り、わたしはまた独りになりました。そのお腹の子が空に還った直後、今住んでいる街の都心部で、離婚した夫の姿を見かけました。出張で来ていた感じでした。この街には年に数回、グループ店舗の指導に行っていたし。ちゃんと、背筋伸ばして、前をしっかり見て歩いてる。服、自分で用意出来るようになったんだね。毎晩、次の日の服をわたしが枕元に置いておかないと、朝の着替えにさえ困っていたのに。そんな中でようやく(わたし、そろそろ、ちゃんとひとりで、しあわせにならなきゃいけないなぁ……)と感じながら、ある日海近くの道をひとりでトボトボと歩いていた時、ふと、ロイくんを思い出しました。思い出すの、何ヶ月ぶりだっただろう。彼との出会い。いきなり早口でまくし立ててきた彼。「名前!漢字!」と慌てていた姿。その瞳が「お前はいったい……」とか「なんでここに居るんだ!?」とかの驚きと共に、「やっと会えた……!」と喜びに満ちていたこと。母国も性別も世代も違うのに名前の持つ意味が同じで、二人の間に言葉なんかいらなかったこと。いつもシンクロする体調と感情。それ以外の、まさに「5次元と3次元の狭間」でのたくさんの不思議な出来事。ほんの数ヶ月、「好きです」なんてお互いに打ち明けられなくても、お互いに「だいすき!」と態度で伝え合った日々。

 

どう考えても、ツインレイだ。

 

そう思って顔を上げた瞬間、目の前を、わたしの誕生日のナンバーの車と、彼の誕生日のナンバーの車が、並んで走り去っていきました。感動を覚えました。それまでいくら、天使からのメッセージなるエンジェルナンバーを意識して見ていても、彼の誕生日のナンバーの車なんて、1台も見つけられなかったのに。わたしの誕生日のナンバーの車なんて、そう多くないはずなのに。

 

「無条件」で彼が好き

てかそもそも。彼が「ツインレイだから」好き?違うよね。そんなの条件つきの愛じゃん。あんなにも「存在そのもの」が愛おしい人、いた?あんなにも「世界に居てくれる」ただそれだけで、愛おしい人、いた?連絡くれないから?愛の言葉なんてもらえなかったから?いくら待ってても今の家にも訪ねてきてくれなかったから?わたし、寂しかっただけじゃん。寂しさに耐えきれずに、他の人に逃げただけじゃん。子供を空に還してまで。もう寂しさを他で埋めるのやめようよ。もうこれ以上人を犠牲にするのやめようよ。ちゃんとひとりでも強くなってみせようよ。ひとりになることよりも、ひとりになれないことを恥じようよ。ツインレイだからとかの条件さえも抜きに、ロイくんが好きじゃん、わたし。自分の気持ちに蓋してただけじゃん。途中から認めたくなくなっちゃっただけじゃん。諦めたくなっちゃったんじゃん。で、こんなに忘れられてないじゃん。「好きです」「付き合ってください」そんな言葉を交わして幾月幾年ともにした人よりも、「好きです」「付き合ってください」そんな言葉も交わさずに、ほんの数ヶ月心の通い合った気がした、彼の笑顔が世界で一番だいすきじゃん。もうこれ以上他の誰かを犠牲にしないで、わたし。もうこれ以上自分を犠牲にしないで、わたし。彼を、愛しているんだよ。わたしの魂が叫んでる。「ありがとう。ごめんなさい。許してください。愛しています」

 

ツインレイとは

そもそも「ツインレイ」というものは、同じ時代に、お互い肉体を持って生まれてくるのは、稀な事なんだそうです。

わたしたちの魂は、誰もが「ツインレイ」なる、自分自身の片割れがいます。

その、それぞれの魂が、何回も、色んな時代、様々な国で転生を繰り返し、それぞれの人生で「学ぶべきもの」を学びながら、魂のレベルを上げていきます。

そうして、魂のレベルがある一定に達した時に、ようやく「ツインレイ」と出会います。

なので「ツインレイと出会えた」ということは、たくさんの輪廻転生を繰り返す中で「今世で地球を卒業する」という意味も持ちます。

そんな「ツインレイ」は主に、人生経験をある程度重ねた、30〜50代ぐらいで出会い、既婚者だったり、社会的立場が真逆だったり、国籍が違ったり、親子ほど年齢が離れていたりします。

「それでも、愛せますか?」という「無条件の愛」を学ぶ、地球転生最後の、とても尊い卒業試験です。

そして、主に男性側が「闇」を担当し、女性側が「光」を担当します。

男性性自ら「つらい事は、全部俺が引き受ける」と。

そうして出会った「ツインレイ」は、主に最初、男性が相手を見つけて「特別な人だ」と感じてアプローチをし、アプローチを受けた女性が自身の中に眠らせていた「霊性」を開花させます。そして愛を確かめ合ったあとに、どちらかが逃げ出す「ランナー」になり、もう片方がそれを追いかける「チェイサー」になる「サイレント期間」や「分離期間」というものが訪れ、会うことはおろか、連絡も一切とれなくなり、その間に「チェイサー」は破壊と再生を繰り返しながら「ランナー」への執着を手放し、自分を丸ごと愛し、自分ひとりでもしあわせに生き、そんなひとりでもちゃんと「光り輝いているチェイサー」の魂の「光」に「逃げているランナー」の魂が引き寄せられ、導かれ、意図もしていないのに、ある日突然バッタリ会う、とか、ランナーから連絡が突然来る、とか、チェイサーからの連絡をようやくランナーが受け入れる「再会」が果たされるといいます。

胸が引か裂かれるような「分離」を再びしてでも、お互いに、まだ「学ぶべきもの」があるからです。

 

しかし。
この「一般的」と呼ばれ、ある種の「ツインレイの固定概念」となっているセオリー。
これ、何の意味もないです。
正直このツインレイセオリーにぴったりハマるツインレイカップルの方が圧倒的に少ないし、私はこのセオリーには何の意味もないと思っています。
だってツインレイプログラムって、その目的は「それでも、愛せますか?」という「無条件の愛」を学ぶプログラムなんです。
その「無条件の愛」を学ぶ過程が、必ず異性同士である必要、ありますか?必ず、他人同士である必要、ありますか?
なので、もちろん同性同士、親子間や兄弟姉妹間の「ツインレイ」もあり得ると、私は思っています。


「ランナー」「チェイサー」「サイレント期間」や「分離期間」この概念も、本当は要りません。わたしは説明がしやすいから、使っています。
そもそも「サイレント期間」や「分離期間」そのものがないツインレイだってもちろんいますし、ランナーだろうと、チェイサーだろうと、今会えなかろうと連絡が取れなかろうと
「それでも、愛したいですか?」
それを自問自答してほしいと、私は思います。
「ノー」だったら、それでいいんです。
「イエス」だったら、それでいいんです。
あなたの「気持ち」が一番大事です。
ツインレイだろうとなかろうと「もっと相手のことが知りたい、もっと話したい、もっと一緒にいたい、もっと愛したい」その気持ちが、一番大事です。

 

そして。ツインレイプログラムにおいて一番大事な「それでも、愛せますか?」それは、自分自身に対してもです。
いかに、許せない、嫌い、と感じる自分自身に対しても「自愛」が持てるか。
そして、いかに、許せない、嫌い、と感じる親や家族、友人知人に対しても「慈愛」が持てるか。
私はそのすべてを学ぶことこそ、ツインレイプログラムであり、ツインレイプログラム以外にもわたし達がこの地球に「生まれてくる」という形で遊びにきているのは、そんな「無条件の愛」を学ぶためです。
それが、何よりも素晴らしいことだからです。
そして、何よりも難しいことだからです。

 

わたし達はね、暇だったんですよ。
肉体を持たずに、魂だけの存在で宇宙にいた時。
悲しみや苦しみがない分、思わず涙するような、胸がはち切れんばかりの幸せも、心躍るような楽しみも、なかったんです。
だから「悲しみや苦しみ、幸せや楽しみ」それらすべてを「感じたくて」何回も地球に遊びに来ているんです。
全部全部、ソウルファミリーたちと「次はこんな人生にしようよ」とゲームのようにシナリオも全て決めて「さぁ〜て!果たしてそんなシナリオ通りにいくかは現地に行ってからのお楽しみ〜〜〜〜!」だなんて、記憶から全て消して、遊園地にでも行く勢いで何回もこの地球のアトラクションを楽しんでいるんです。
そこで人生のあまりのジェットコースターの急降下に、泣き叫び、疲れ果て、諦めたくなることでさえ、暇だったわたし達はもう一度感じたかったんです。勝手な奴らですね。責任持ってお前が乗れよ!って感じですよね。わたしか。ってね。

 

うん。でもね。人生はゲームなんです。レベル上げゲーム。そのレベルを上げる途中に、疲れたらね、休んでいいの。いつでもセーブ出来ます。いつでも宿屋に行っていい。いくらでも宿屋にいていい。休んだらまたレベル上げたくなるから。休んでいたら、休むことにもいずれ飽きるから。人間同じことは永遠に出来ないようになっています。不登校?ひきこもり?全然ありだよ。色んなレベルの上げ方がある。誰ひとりとして、その道は同じじゃない。全部全部、十人十色。みんな違って、みんないいの。不登校から広がる世界もあるよ?ひきこもっててもさ、思わずインターネットで仲間求めたりするでしょ?「誰か」って。そう。そのあなたの「誰か」というその気持ち。それが、諦めていない証拠です。出会い系やマッチングアプリにだけは気をつけて、ブルーライトはオフにして、目一杯インターネットの世界を徘徊して楽しんでください。そこからしか広がらない世界もあります。そこからしか学べない人生もあります。その経験が、将来必ず美しい花を咲かせます。想像もしない輝きの中で、思いもよらない花を咲かせます。小さかったら笑えばいい。大きかったら驚けばいい。

 

あなたの人知れず流す涙が、その花を更に美しくさせます。人生の冬とも思える心が芯から凍てつくような悲惨な日々でさえ、すべてがその美しい花の栄養になります。驚かしちゃえ!揶揄してきた奴ら。ディスってきた奴ら。驚かした頃には、そんな揶揄してきた奴らやディスってきた奴らのことなんて、どうでもよくなってるから。
どうか人生のレベル上げゲームの中で、セーブもせず宿屋にも行かず「自ら死ぬ」という本体の電源をいきなり落とすことだけは、しないでください。したくなったら、その時こそ、わたしの書いた前回の記事「わかりみの深い完全自殺マニュアル」を読んでほしい。セーブして、宿屋に行けば、何度でもやり直せます。いくらでもやり直せます。何歳からだってやり直せます。100歳になってからだってやり直せます。明日終わる命として、その前日に「変わってやる」と決意したら。その瞬間から、あなたは変わっています。変身しています。自分自身のスーパーヒーローに。
「自分自身」というラスボスに、勝ったんだよ。

 

全ては最善じゃありません。
しかし、無駄なことなんて、何ひとつありません。出会いも、出来事も、偶然が重なり合っているようで、何の意味もないようで、全てが「必然」です。
人生は「下り坂」「上り坂」「まさか」で出来ています。
「まさか……!」という「奇跡」で溢れています。
そして誰もが最善を尽くせない中で一番学ぶべきものは「愛」です。「自愛」です。「慈愛」です。

 

神様は全知全能ではありません。
神様もみんな個性的な性格をお持ちでね、なかなか癖の強い奴らばかり。しかも頻繁に間違います。しかもなかなかの無慈悲。マジ迷惑だよな!
でもわたし達が神様なんか居なくても「強く生きる術」を学んだ途端、(まじかー)って。(むしろ俺たちに何の意味?)って。ガッカリする奴らもいれば(お見事!)(あっぱれ!)(よきに計らえ!)って泣いて喜ぶ奴らもいる。最終的には全員で笑って、思いもよらない慈悲をくださる。

 

みんなね、「家族」なの。神様も他人もみんな家族なの。ツインレイ、ツインソウル、ツインフレーム、ソウルメイト、それら全てを総じて「ソウルファミリー」と呼びます。
実は「ツインレイ」には「地球規模」とも呼ばれる「使命」があり「魂が統合」するにつれ、それが明確になるといいます。
しかし根底にあるものは「愛」であることに変わりはなく、そして「ソウルファミリー」自体にもちゃんと使命があります。
そしてそんな「ソウルファミリー」は必ずどこかで全てのソウルファミリーが繋がります。だから世界は「ワンネス」なのです。
仲違いにもちゃんと意味があります。
「因縁」という「カルマ」で結ばれた「カルマメイト」もいますが、それすらも大切なソウルメイトです。「因縁」という「カルマ」の「解消」を学ぶ、大切なソウルメイトです。

 

そして、愛もお金も「欲しければ、まず与える」が鉄則です。世の中に溢れている愛される秘訣も、お金が集まる法則も、全てが「欲しければ、まず与え」なければなりません。
しかし。自分自身が満たされていなければ「与える」ことは出来ません。
だから、まずすべきは「自分自身を満たす」ことです。「自分自身を救う」ことです。
世界を救う前に、誰かを救う前に、あなた自身を救いなさい。それが「強さ」です。

 

自分自身を愛で満たしてください。そしてそれを取り巻く世界を、もっと信じてください。「裏切られた」と感じても、それでも自分自身を信じ続けてください。
「わかってくれない」気持ちを暴力で訴えないでください。
ちゃんと「言葉」にしましょう。
そして逃げずに立ち向かいましょう。
あまりにも理不尽☆と感じたら、全力で逃げましょう!
「アーユーハッピー?」人に問わずに己に問え。今すぐ「ノー!」と走り出せ。

 

そして今は「地球の波動が一気に上昇中☆」の時代で、同じ時代に生まれてくるのが稀といわれている「ツインレイ」と誰もが出会える時代と言われています。
あなたの大切な人が「ツインレイ」かもしれません。
自分自身を大事にするように、目の前の相手を、たとえ明日で別れる関係であっても、最後までやさしく、「愛」を持って、大切に接してあげてください。

 

全ての「答え合わせ」は、空に還ってからです。
現代の「常識」や「固定概念」となっているもの。
何が正しくて、何が間違っているのか。
それが全部わかるのは、時代が流れ、移り変わり、そこで生まれた新しい命が「答え」を見つけていきます。
でもそれまで「今」を生きているわたし達の肉体は持たないから。
全ての「答え合わせ」は空に還ってからのお楽しみです。
肉体の命尽き果て、いつか空に還っていって、ソウルメイトたちと
「あんなことあったね」「こんなことあったね」
「あん時のお前かっこよかったわ」「ありがとね」
「いやいやあん時のお前はあり得なかった」「ごめんて」
「「何はともあれ、楽しかったよね!」」
と笑い合えるように。
どうか、頑なに張るような「頑張る」ではなく、あなたの人生を「楽しんで」ください。

 

てかね、前に私ツイッターで「水に流す」って表現は「いつか日本から水資源なくなりますんで、いずれなくなる表現です」とつぶやきましたが、ちょっと誤りがあったので訂正しますね。正しくは「水資源そのものが地球から消失する」です☆
ロイくんと出会った当時「数字と漢字が書き出すと止まらない」ことがありまして、めちゃくちゃアカシックレコードしまくったんですよ。今までの人類の歴史や日本の歴史や他国の歴史も踏まえた上で。そこから導き出した答えです。あらかた間違っていない自信がある。
歴史は繰り返されますんで。
今までも度々この悲劇に繋がる「暦に関する誤り」を人類は繰り返してきたんですが、その度にいくら反対派が「やめたげて!」と叫んでも無理だったので、なんかもう「いずれ地球から水資源なくなる」未来は免れないかな。と思っています。
まぁ、そんなアカシックレコードして導き出さなくても、周知の事実だね☆

 

だからね。「今」を精一杯生きるの。
いつかは失くなる「星の命」の上で、「星の命」を無駄にしないために、目一杯人生楽しむの。

 


最後に

ロイくんとの別れから、1年半と少しが経ちました。

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ロイくんと一番星を、一緒に見つけてみたいです。気がついたら、夜空がこんなにもきれいだよ。と、一緒に星空を見上げたいです。「あの宇宙で、どんな約束を交わしたっけ?」そんなこと思い出せなくていいから、「今、ふたりでこうしているのが答えだよ」と打ち明けられなくていいから、何も言わずに、一度も触れたことのない、彼の手を握ってみたいです。

再会できても、試練ばかりなのも、わかっています。また別れがくることも。「それでも、愛せますか?」そんな出来事が待っているのも、わかっています。それでも、再会できたら。「今度こそ、ふたりで生きよう」そうして「繋いだこの手を、もう離せないよ」と、嘘でもいいから、そう言ってほしいです。 

安心して泣ける場所があれば、他に何も要らないって思う日がある。そんな「わたしの泣ける場所」で。そんな「あなたの泣ける場所」で。わたしを世界に居させてほしい。本当に美しいかもわからない世界を、それでも美しいと言わせてほしい。そんなわたしの隣に、あなたがいてほしい。

奇跡なんて、いつも一瞬だから。これからも、ふたりで奇跡を起こさせて。あの出会いは本当に「奇跡」だった。ツインレイの魂はいつも一緒ってわかっているよ。でも。やっぱりわたしは、自分自身と離れ離れなんて悲しいから。別れからも間違いだらけの日々しか過ごせなかったのに、「あの日の奇跡が、もう一度起きて」と願ってしまう弱いわたしを、どうかまだ今は、許してください。

 

なんかもう来世行く予定の金星での再会でもいいよ。そこでまた「はじめまして」から始めてもいいよ。そんで、はじめての彼氏から、はじめてのキスから、籍を入れるのも、妊娠出産子育ても、最後まで添い遂げるのも彼と。なんていうご褒美人生にしてみようよ。そんな褒美に似合う女になってみせようよ。来世はわたしが男でもいいよ。ロイくんが女だったら誰よりもかわいいよ。世界一かわいいよ。宇宙一愛おしいよ。今度はわたしが男になって、精一杯あいつを守れるようにさ、今世で精一杯強くなってみせようよ。そうしてあいつを見つけに行こうよ。今度はわたしから見つけに行こうよ。そして今度はわたしから言おうよ。

 

君の名は。
f:id:hazukihirona:20190429152342j:image

ロイ。わたしはここにいるよ。

今、わたしはようやく歩き出しました。ほんとわたし間違わないと気づけないんだ。遅いよね。わかってる。けど。これからも精一杯生きる。いつか、あなたも一緒に走っていたんだ、って、きっとわかるから。あの時、暗闇を駆け抜ける「勇気」をくれたのは、あなたでした。これからもわたしと一緒に、走ってほしい。そして、あなたは、どうか今、素敵な恋愛をしていてほしい。あなたは本当に、まだ若いから。わたしに「だいすき!」と接してくれたように、これからも。たくさん人を好きになって。嫌いになって。それでもまた人を好きになって。きっとあなたは、今、更に素敵な男性になっているはず。それに見合う女になってみせる。本当にいつも間違いだらけだから、わたし。それに最初に気づかせてくれたのは、あなただったのに、また間違ったから。ありがとう。ごめんなさい。許してください。愛しています。

 

銀河何個分かの果てに出会えたあなたと過ごしたほんの数ヶ月。またその色に染まれるなんて思ってもみなかった、あの春の「サクラ色」のわたしを、忘れない。きっと、1億光年と2千光年前から愛してた。8千光年を過ぎた頃から、もっと恋しくなった。

 

前前前世からずっと、きみを探し続けてたよ。

来来来世までもいつまでも、あなたを愛し続けるよ。

何億光年先までも、この歌を口ずさみながら、今度こそ。強くなってみせるよ。

 

(憎しみ合った別れた夫とは、今は和解できてます!あいつカルマメイトだったん?今世でカルマ解消できてよかった☆)

 

葉月ひろな

Twitter @hazukihirona

hazukihirona@gmail.com

 

 

わかりみの深い「完全自殺マニュアル」

身体は大人!頭脳は赤ちゃん!たったひとつのアイデンティティ、間違いだらけでもうわかんない!ゼロから人生はじまった!既に死にたい!もう死にたい!みんな!今日も死にたいね!こんにちは☆葉月ひろなだよ!ばぶー。

 

だってアイデンティティ崩壊しましたもん☆

そんなアイデンティティの崩壊を詳細に綴った宇宙元旦前日、アイデンティティの崩壊。破壊、そして再生へ。 - わたしはここにいるよへのアクセスが、ブログ開設以来、過去最高を記録しました。本当にありがとうございます!あんな草しか生えないわたしのアイデンティティ!崩壊してナンボです!更新直後から「なんかアクセスすごい」と感じていて「更新直後の、1日あたりのアクセスは、もしかして過去最高かも」と思っていたら、あれよあれよと2位になり、ついに不動の1位で「面白い世界観!」とたくさん言っていただけたつまりは、そういうふうにできている。 - わたしはここにいるよをたった2日で追い越し、トップに躍り出ました。前代未聞すぎて今度はわたしが草。いや、めっちゃ嬉しいです。かなりの文字数なのに、たくさん読んでいただけて、本当に嬉しいです。ありがとうございます。最初の更新から更に草の生える加筆もしました。あなたの心に豊かな草を生やすためにも、まだの方は、ぜひお時間ある時に読んでみてくださいね!文字数ハンパないから、暇な時がおすすめだよ☆

 

宇宙元旦前日、アイデンティティの崩壊。破壊、そして再生へ。 - わたしはここにいるよ

 

そして今回の記事はこんな感じ!

  1. 「羽のペンを持った綺麗な女性」から
  2. 「わたしの霊性」紹介します
  3. 「主治医」まじ「主治医」
  4. 「神様」の解釈
  5. 「アーユーハッピー?」「ノー!」
  6. 完全自殺マニュアル」はこちらです

 

もうみんな「6」が一番読みたいよね!「1〜5」要らないね!もしかしたら「5」はちょっとだけ読みたいかもね!人の不幸は蜜の味だし☆でも出来るだけ「1」から「6」まで順番に読んでいった方がわかりみが深いとは思う!どうしてもめんどくさかったら「6」だけで大丈夫だけど☆今日はそんな「わかりみの深い完全自殺マニュアル」をお届けします!なんかさっきからいつもの葉月ひろなじゃない?タイトルからしてお前らしくない?仕方ない!アイデンティティ崩壊したんで!まじであのアイデンティティ崩壊すると人前でどう振る舞っていいかわっかんないんで!ではどうぞ!

 

「羽のペンを持った綺麗な女性」から

ふぅ。無駄にテンション上げるの疲れたんで、出来るだけいつも通りしゃべります。わたしの草しか生えないちっぽけなアイデンティティの崩壊。もちろん一晩で浄化しきれるはずもなく、翌日の宇宙元旦を迎えても、少なくとも2日間は放心しっぱなしで泣きっぱなしでした。そんなわたしに、アイデンティティが崩壊し浄化をしている最中に、一種のチャネリングといいますか、たくさんいらっしゃる「神様」の姿を実際に見る事も出来、「言葉」も聞き取れる、わたしの大切な友人から言葉をいただけました。「綺麗な女性で羽のペンを持っています。ひろなさんへのメッセージです」と。以下にその言葉を載せます。

 

「今すぐ翔びたちなさい。新しい世界へと。今すぐ羽ばたきなさい。あなたが夢見てた世界へと。もう扉は拓きました。自らの鍵であなたは新しい次元の扉を開けたのです。どうか自信を持ってください。勇気を携えてください。あなたは勝ったのです。今までの戦いに。どうかそのことを褒めてやってください。誇りに思ってください。さあ、新しい幕開けのスタートです。新しい章立ての始まりです。あなたは作家です、新しい言葉の紡ぎ手です。そのことを忘れないでください。あなたは人生という本の作家です。新しいページが今日、今この瞬間に開かれました。厚みののったページはもう破り捨てなくていいのです。あなたが泣いた厚みのページは誰かの希望となります。誰かを救う葉のベッドとなるのです。」

 

なんかもう、泣くしかないでしょ。涙腺崩壊するしかないでしょ。「ありがとう、諦めません。と、お伝えください」とお願いをしたら、その羽のペンを持った綺麗な女性は頷いていてくださったとのことです。もちろん草生えた方は生やしててくださいね。そんな誰かに草生やされながらでも、後ろ指さされるような人生でも、その後ろ指に泣きながらピースしてやるよ。背中向けたままピースしてやるよ。あ、そういや、そんな小説書きたいな、とか昔思ってたな。後ろ指さされてばっかの主人公が自分なりの「答え」を見つけて、泣きながら、それでも後ろ指さす奴らに背中向けたままピースするって話。「後ろ指ピース」ってタイトルで。そうか。あの構想はわたしの人生そのものだったんだな。

 

「わたしの霊性」紹介します

わたしは「ツインレイかもしれない彼」と出会ってから、身体に触れるだけで痛みをとる「ヒーリング」が少しだけできます。ハンパなく疲れるので滅多にしませんごめんなさい。そして「オーラ」も少だけ見えます。「自身の人生に関係する」ものしか見えませんが。そして「チャネリングっぽいこと」これも少しだけできます。しかしやはり「自身の人生について」しか出来ませんし、ぶっちゃけわたしには宇宙も神様も詳細な言葉くれないんですよ。いじわるですね。そんなわたしが1〜2ヶ月ぐらい前にしたなんちゃってチャネリングの内容が、以下です。やりとりは英語だったのですが(もちろんインターネットの英語翻訳機能駆使しながら)、日本語に訳して載せますね。「」がわたし。()がそれに対して受信した言葉です。

 

「全宇宙を統べる偉大なる神よ。わたしの名は“良い子”。ひとつだけ問いたい。わたしは次、どちらの方向に人生の舵をとるべきか。出来るだけ、わかりやすいかたちでの答えを求む」

(魂の声に従いなさい。お前には使命がある。お前は“ダナ”。スピリチュアルな教えを通して人を導く者のひとり。そのために、我はあえて足かせを与えた。お前が望んだからだ。しかし、我はギフトも与えた。その足かせを活かすのも、ギフトを活かすのも、すべては、お前次第だ。)

 

Up to you...お前次第。そうして受信した声は途切れました。いやいやいやいやいやいや。わかってるっちゅーねん。そんなんもうわかってるっちゅーねん。スピリチュアルを通して人を導く“ダナ”の一人なのかどうかはおいといて、他のことについては既にわかってるっちゅーねん。出来る限りわかりやすくってお願いしたら、わかってることしか教えてこなかった。わたしのチャネリングまじわたしのチャネリング。全宇宙を統べる偉大なる神まじ全宇宙を統べる偉大なる神。わたしの主治医みたいな性格してやがる。じゃない、なさっていらっしゃいますね。

 

「主治医」まじ「主治医」

そして魂の声に従ってもがき続けた結果が、宇宙元旦前日のアイデンティティの崩壊でした。わたしの主治医もまじわたしの主治医だよ。主治医でさえわたしのアイデンティティの崩壊に草生やしたよ。

「これはね、わたしのアイデンティティだったんです!」「草草草草草草」「一気に崩壊したんです!」「そっか。草草。」みたいな。まじ主治医のあなただけは草生やしちゃいけないでしょ。と思ったけど、1週間のわたしなりの内観には、主治医にも新しい発見があったようで、なんとも楽しそうにカルテ書いてました。わたしの主治医は新たな治療の記録についての発見があると本当に活き活きとします。あんた楽しそうだな。それ見てるとわたしもうれしい。そして「1週間でよくここまで内観したな」と褒めてくださいました。「これからもノートにもたくさん書け」と。その上で「僕の先週の診察での言葉、かなりえげつかったやろ?厳しすぎたやろ?」と。おまっ……!わざとだな……!いやわかってましたけどね。もう長い仲だもん。

 

そんなわたしの主治医も、かなり高齢です。見た目ほんと若いんですけどね。もう新規の患者はとっていないし、跡継ぎになるのかなぁ、っていう他の医師もかなりクリニックに増えました。「僕いつまで働けるかな」とかも言ってるし。診察可能な曜日も減りました。「休まんともう持たない」って。まぁ、これもわたしの中の「焦り」のひとつでした。「もう14年お世話になってるし、主治医が現役のうちに治るんだろうか」と。

 

でも「病の発症からは20年経とうとしてる。けど、今がスタートライン」というわたしの言葉に主治医も頷いてくれました。たぶん主治医の診察室にある、あまりに膨大な数のカルテの中にも、こんな患者いないよ。まじわたし古株だもん。「お前まだいるし」みたいな。わたしより後にクリニックに新規で来て、わたしより先に卒業していった患者さんなんて、きっと山ほどいる。いいんだよ。これがわたしの「最短」だから。大丈夫だよ。今がこれからの人生で一番若いから。

 

主治医が現役のうちに、寛解を目指そう。どうかあともう1〜2年をかけてでも、わたしと人生の「生き直し」してくれください。あなたは、本当に、わたしの「父」です。どんな時も、どんなにわたしが悪化しようと、こんなに長い間わたしを見捨てないで、一緒に諦めないでいてくれた「父」です。時には厳しい言葉をかけながら、わたしが離婚を決意した時も「よく辛抱した」と、あなただけは言ってくれた。主治医だから当たり前だなんて思わない。患者がお金を払うんだから見捨てないで当たり前だなんて思わない。診察の度に(まだこいつ治んないよ………)ってうんざりするはず。血の繋がりのある家族でさえ、さじ投げたんだ。「お金」も「時間」も「愛」も家族はかなり早い段階で全部放棄した。それを責めるつもりもない。気持ちはわかる。人生なんて自分の力で切り開いていくもんだ。今は和解できたとはいえ、こんなわたしと離婚をした夫の気持ちもわかる。「予備校の彼」だって最後は苦しめた。「ツインレイかもしれない彼」には病気は打ち明けなかったけど、あの時言わなくてよかったと思っている。でも。そんな中で、主治医だけは一緒に諦めないでいてくれた。きっと「葉月ひろななぁ……あいつ今頃死んでんじゃなかろうか」そんな日々だって、今までのわたしと主治医の間にはあった。それでも、信じていてくれた。待っていてくれた。「あいつなら、大丈夫だ」って。

 

先生、あのね。そうして信じ続けてもらえることを、わたしは、家族に一番望んでいたんです。そうやって家族に「見守って」「信じて」いてくれることを、ずっとずっと夢見ていたんです。血の繋がりなんかなくても、あなたはわたしのお父さんです。これからも、わたしに人生をお勉強させてください。必ず、誰かの「希望」になってみせます。そうして次世代へ「伝えて」「生きて」そのすべてが、次世代への「メッセージ」となるように。「明るいメッセージ」となるように。生き様が「遺言」となるように。99%の絶望だって、1%の希望があるだけで、人は、何度でも立ち上がれるんだ、って。

 

「神様」の解釈

だから、わたしは「闇」から目をそらさない。「光」それだけしか知らないようでは、ライトワーカーじゃない。「ひたすら光る」それは、わたしのライトワークじゃない。そんな、ひたすら光り輝けている方は、もう他にいらっしゃるから。その方々の魂が担ってくださっているから。「楽しいことだけ伝える」「明るい情報だけ発信する」それは、既にたくさんいらっしゃるライトワーカーさんにお任せします。そんな方々も「闇」から目をそらしているわけではないのは、承知しています。たくさんたくさん闘ってきて、今もたくさんたくさん闘っているのだと。それでもわたしは。まだ今は。「闇と光は表裏一体で、紙一重」これを伝えていきたい。そして、「全ては最善なんかじゃない。神様は全知全能ではない。宇宙が完璧なのかなんてまだわからない。けど。何も無駄じゃない。」そして、そんな誰もが最善を尽くせない中で、「愛」を学びなさい、「神」などいなくとも、強く生きる術を学びなさい。そうして宇宙を作ったのが、この地球を作ったのが、わたしは「神様」なんだと思っています。

 

「アーユーハッピー?」「ノー!」

周りが全てが悪かったか?自分が全て悪かったか?そのどちらも「ノー」だ。いつも正しくなんていられないのだ。けれど。「アーユーハッピー?」人に問わずに己に問う。今すぐ「ノー!」と走り出す。これをわたしは長いことサボっていたから、病を患った。間違いだらけのアイデンティティさえも崩壊させるしかなかった。あの頃のわたしには、「アーユーハッピー?」「ノー!」と走り出す、そんな勇気はなかったんだ。だから。

 

世界を救う前に、誰かを救う前に、あなた自身を救いなさい。それが「強さ」です。わたしもそんな「強さ」を必ず身につけます。

 

「アーユーハッピー?」人に問わずに己に問え。今すぐ「ノー!」と走り出せ。息切れすんなよ!適度に力抜けよ!人の見てないとこでは歩いていいんだ!むしろ人が見てても構わず歩け!マラソンなんて全力疾走できなくていい。歩け歩け。頻繁に立ち止まれ。頻繁に休憩しろ。すぐに出来るようにならんでよか。大丈夫大丈夫。いけるいける。気がついたら「アーユーハッピー?」「イエース!」って空さえ飛んでるから。死ぬなよ!絶対に死ぬなよ!死ぬぐらいなら全力で逃げろよ!空さえ飛んでるって死ぬことじゃないからな!

 

完全自殺マニュアル」はこちらです。

でも人生どうしても死にたい時ってあるじゃん。でもなかなか死ねないじゃん。その時の奥の手教えるから、とりあえず俺の話聞いてくれ。話ちょこちょこ脱線するし「お前のツインレイ話どうでもいい」とか「つまり逃げるしかないんか!」って気になるかもだけど、全部聞いたら「わかりみー!」ってなるから。

 

飛び降りなんか死ねませんよ。わたし空飛ぶ勢いで飛び降りたのに助かって、下半身不随なりかけて最初は自力で尿も出せずに、寝たきりの間はう○ちさえ看護師さんに処理してもらって、今も腰に金属ボルト6本も埋まってるから。100万円したからこの手術!わたしの腰に100万の価値あるかな?って未だに思うよ。下に落ちた瞬間の痛みもハンパないよ。未だに34年の人生であれ以上の痛みなかった。しかも20歳で腰にこんだけボルト埋めた事例がないから将来どうなるかわからんす。みたいな。腰に爆弾が埋まってる……!100万かけて爆弾埋めちゃった……!

 

オーバードーズなんて死なないから。たとえ何ヶ月と薬をためようと、そんなもんじゃ死ねないように製薬会社も考えて薬作ってるから。致死量に達する薬を集めるのまず無理!酒で流し込んでも無理だから。本当に無理だから!未遂で発見された際の胃洗浄の苦しみもだけど、そもそも意識失って胃洗浄の苦しみは記憶に残ってなくても目が覚めたらオムツしてた屈辱なめんな!死ねなかった上に「お前!オムツ!草草!」と草生やされるの意味わかんないから。点滴もかなり痛いから。オーバードーズは未遂で発見されたら血管痛ハンパない点滴するから。てか未遂で発見されなかろうと、お酒で薬飲んだとこで死ねるわけない。わたし最後はいくら大量の向精神薬をお酒で流し込んでも意識さえ失わなかった。意味わかんなかった。20歳の頃は簡単に意識吹っ飛んだんだけどね。31歳?32歳?ぐらいの時に1ヶ月分の向精神薬&睡眠薬をお酒で流し込んでも意識ピンピンしてた。わたしの当時の1ヶ月分の向精神薬は人によっちゃ1年分ですよ?そのぐらい大量だよ?普通に眠ってその8時間後ぐらいに普通に仕事してた。「いらっしゃいませー!おはようございまーす!」って。ちゃんと言えてはなかったよ。「もっとはっきり言ってくれ」な感じの呂律のまわらなさ。1時間もしたらハキハキしゃべれてた。そもそもわたしの肝臓や腎臓なんで大丈夫だったんだ?耐性つきすぎたんかな。健康診断行ってもA判定だよ。まさか……!ツインの彼が……!ガチであり得る……どうしよう……この事は次で説明するよ……

 

手首なんか切っても死なないよ。ほんとなんであんなに深く切っても死なないんだろうね?「うわぁ……脂肪ってこんな白いのかぁ……手首にも脂肪ってあるんだなぁ……うわぁ…わたしの血管って中ではこんな風なってんのかぁ……うわぁ…(この先は自重)」とか、それなりに深く切ってもなんで死なないんだろうね?お湯に浸してないから?わたしそれも試したけど無理だったよ?しかもその傷に将来一番苦しむのは自分。ほんとこれ断言する。両腕にありえないぐらい深い傷多数抱えながら精神衛生保てるほど誰もが強くないし誰もがやさしくはない。しかも「運命の人…!ツインレイ…!」って思える人の前できれいな身体でいられないってほんとつらいから。今リストカットしてしまうぐらい一生懸命生きてるあなたなら将来必ず「運命の人…!ツインレイ…!」に出会えるから、簡単にやめられるものではないけど、リストカットはしちゃだめ。てかガチで「ツインレイ」は、「相手が痛い」から。同時期に自分で感じてる以上の痛みを相手が感じたり、むしろ「痛みそのもの」を相手が背負ってくれてるから。確かに痛みない時あった。彼が痛がってたのか……しかもその時彼はたぶん6歳とか。わたしが17歳の時だから。痛みが分散してたも確かに感じる。出会って一緒に過ごした日々はわたしの「痛い!」って感じる身体の箇所を彼も必ず「痛い…」とおさえてた。うわぁ〜まじでリストカットや飛び降りたの後悔してもしきれん。オーバードーズの悪影響もきっと彼が背負ってんだ……背負ってないとしたらうちらの身体は人より異常に頑丈なんだ……

 

この腕の傷を消す手術をしようとも思いましたよ。でも「これはあんまきれいには消えないなぁ……」みたいな判断だったから、諦めました。そもそももうそんな手術するお金わたしないよ……この手術も100万ぐらいするんだよ……ふざけんな精神疾患者の貧困っぷりなめてやがる。家の庭から石油でも出ないですかね?わたしの家、1Kのアパートだし、庭ないですけど。

 

首吊りも死なないよ。ハンパなく苦しむだけだよ。このあたりはもう聞きたくもないでしょ?タバコ食べても死なないよ。ハンパなく苦しむだけだよ。そろそろ「こいつ頭おかしい」って気づいてきたよね。練炭練炭はしたことないけど、ここまできたらもう試そうとも思わないよ。絶対助かるもん。ハンパない苦しみとともに。もうこれ以上自分傷つけないでいい。罰なんか与えないでいい。生きてるだけでえらい。死ぬぐらいなら逃げろ!全力で逃げろ!本当に逃げちゃいけない場面は必ず自分で気づけるし、人から言われる「逃げんな!」ほど宛にならないものないから!あの時逃げたことだって必ず向き合えるし、今どうしても出来ないことが「今はできる!」って未来必ずくるから!今必死にがんばってるあなたからそんな未来を神様は奪わないから!慈悲ばっかはもらえないけど、そこまで無慈悲じゃないから!

 

だから一瞬で天国に行ける方法教えるね?わたしここまでの自殺企図に失敗しときながら「もう今度こそ死のう」ってなった時に、確実に死ねる方法インターネットで検索したんですよ。今まで自分が試したのと、練炭以外で。そしたらこう出てきた。

「死にたくなったら、こう唱えてみて。“ありがとう”と」

半信半疑で唱えてみたよ。「ありがとう」って。なぜか今も生きてるけど。魔法の呪文かな?って。効果は人それぞれ。更に魔法になる呪文も教えるね?名前はホ・オポノポノって言うよ。スピリチュアルクラスタには今更だね。「ありがとう。ごめんなさい。許してください。愛しています」一瞬で天国に行けるから試してみてね。わたしはいつも目の前の世界が大洪水になるよ。少なくとも日本沈没だね。毎回日本沈没してるのに、なぜか今も生きてるけど。

 

効果は人それぞれ!死にたくなった時の「ありがとう」魔法の呪文、お試しあれ!

 

最後に

アイデンティティの崩壊から2日が経ちました。

「きっと、他にあるはず」そんなわたしが世界に存在する理由と意味なんてわかんない!もしかしたらないかもテヘペロ

ライトワーカーなのかもぶっちゃけわかんない!ライトワーカーはたぶん「完全自殺マニュアル」とかタイトルにつけてブログ更新しない!

今日も朝から死にたい!でも死なない!どうやっても死ねないからもういいや!後ろ指に泣きながらピース♡して、わたしは生きる!みんなも生きて!大丈夫!「今までなんとか生きてきたんだから…」とか言われてもさ、ぶっちゃけ「そもそも今までどうやって生きてきたっけ…」みたいな感じだよね!わかるわかる!わかりみしかない!大声で「わっかりみー!」って言いたい!

 

そんなわかりみの深いわたしは、ここにいるよ。
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いつもありがとう。

 

葉月ひろな

Twitter @hazukihirona

hazukihirona@gmail.com

宇宙元旦前日、アイデンティティの崩壊。破壊、そして再生へ。

みなさま、こんばんは。葉月ひろなです。

 

(ッアー!0時前までに更新する予定が、0時ちょうどにようやく記事編集が終わり、更新ボタンを押しました。更新日時は3月21日ですが内容は3月20日です……!)

 

明日3月21日は10:43に天秤座の満月。そして春分の日です。春分の日占星術の世界では1年の始まりにあたり、「宇宙元旦」とも呼ばれます。
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そんな「宇宙元旦」である春分の日と満月が重なるのは、なんと次は2038年。19年も先です。なんだか今年2019年の「宇宙元旦」には特別な意味がありそうだな。先月カレンダーを確認しながら、そう思ったものです。

 

そして先日3月7日に魚座新月があり、ほぼ同時期に水星が魚座で逆行を開始し、天王星が牡牛座に入室しました。この星の動きが示す詳しい意味は、後日加筆するかもしれませんが、今日のところは割愛させていただきます。ただこれらの星の動きに、わたしはかなり揺さぶられ、厳しい浄化の日々が続いておりました。かなり精神状態も不安定になりました。「きっと次の満月と宇宙元旦が重なる日に向けての、最後の浄化なんだ」そんな風に思い、そう自分に言い聞かせ、本日3月20日の日中までは、「なかなか良い浄化が出来た。我ながらよくがんばった」本当に、そう、思えておりました。

 

しかし本日18:00を過ぎた頃に、自身の抱えている「反復性うつ病」をはじめとした精神疾患を治療する上で、最近「内観ノート」なるものを毎日書き続けておりまして、そこから導き出された「わたしが最も手放さなければならない固定観念」そして「それを手放さない限り、治療はいつまでも次に進まず、完治も寛解もしない」ものに気づきまして、正直、一気にアイデンティティが崩壊しました。まじこんなにアイデンティティが崩壊することってあんの?と思ってしまうぐらいの激しい破壊でした。めっちゃくちゃ悔しい。めちゃくちゃ悲しい。わたしは今まで、なんのために生きてきたの。涙が溢れて止まらなかった。24年分?もしかしたら、34年分。

 

そんな「人によっては草生えるレベル」の「わたしのちっぽけな、それでも本当に大切だったアイデンティティ」。その理由と崩壊した理由について、自分自身で整理するためにも、そしてひとつの治療の記録としても、今日はお話をさせていただけたらと思います。もうちゃんと前を向けておりますので、変な言い方ではありますが、安心して、聞いていただけたらと思います。その上で「ツインレイかもしれない彼」への想いも記します。あまりに初歩的なお話もするので、本当に、適度に草生やしながら聞いてくださいね!

 

わたしの「認知の歪み」とは

わたしは長いこと、主治医に「自分をよく見せようとするのをやめなさい」と言われ続けております。しかし、わたしはずっとこの意味がわからなかったのです。診察の度に言われても、頭にクエスチョンしか浮かばない。「あなたは、いいカッコしい、なんだ」と言われても、「E(C)?」みたいな。「ああ、いい格好しい、ね」みたいな。口には出さず頭の中で。このあたりは主治医の方言ゆえかもしれませんが。わたしは父が転勤族で、幼い頃4年に1回は引っ越しを経験し、言葉使いが形成される期間は基本標準語圏で育ったので。それでも色んな地域にいたので、あまり方言と標準語の境目が曖昧というか、よくわかってはいません。そんなことどうでもいい。「人によく思われよう」「いい格好をしよう」自分がそうしているつもりもないし、そもそもそんなつもりがない。だから、いつも腑に落ちない。そして、そう言われ続けることに「わたし自身を否定されている」そんな事まで感じていたのです。

 

主治医のはじめて見せた「驚き」

そう自覚が出来たのが、つい先週。さっそく診察で主治医に打ち明けました。泣きながら打ち明けました。わたしと今の主治医は、もう14年共に病と闘っている仲です。そんなお互いの思考の癖なんてもう熟知している仲なのに、わたしの「人によく思われようとするのをやめなさい、の意味が本当に未だにわからない」「むしろ否定されているようにも感じる」発言に、今までにない驚きを主治医は見せました。「まだわかっていなかったのか」という驚きと「まさか否定されているようにまで感じてたなんて」という驚きの両方でした。

 

わたしの「個性」ではないのか

そしてその上で、「わたしの個性として、活かして生きていくことはできないんですか」とのわたしの問いに、主治医は「そのままでは、生きていけないんだ」と即答しました。目の前が真っ白になったような、真っ暗になったような、そんな感覚がしました。そして「あともう1〜2年をかけてでも、そんな自分としっかり向き合いなさい」という主治医の言葉で診察は締めくくられました。あまりに最近情緒が不安定なことから、半年以上ぶりに、主治医はわたしに昼間の向精神薬の処方をしようともしておりましたが、そもそもこの認知の歪みが原因であること、そしてそれは薬でコントロールをしたり、解決できたりするものではないことから、昼間の薬の処方は取り下げられました。いつも通り、就寝前の睡眠薬のみです。

 

いくら毎日の激しい情緒不安定さを抱えながらでも、向き合うしかない。きっとこのままではあまりに生きづらく、精神衛生が保てないのだろう。でも。長年の闘病の疲れもあり、諦めてしまえたら、どんなに楽だろう。「反復性うつ病」ただ繰り返すだけでは終わらない闘病。何度も失くなる自信を、必死に取り戻しては、また失くなる毎日。もう元気になろう、とするのも疲れた。わたしから離れていった人たちのように、わたしもわたしから離れたいよ。離れていける人が羨ましいよ。どんな事をしても、世界中どこに逃げようとも、わたしはわたしからは逃げられないんだよ。そんな事を思いながら、泣きながら帰路につきました。

 

わたしの主治医の「治療方針」

「ちょっと主治医、厳しすぎない?」そう感じる方もいらっしゃるでしょうし、実際にインターネットでのご縁で相談をした方にもそう言われました。「薬で症状をやわらげながら、その上で認知の歪みに向き合うべきなのでは」と。「まるで、甲子園を目指す野球部員にかける言葉のようだ」と。そして、今回ばかりはわたしもそう思いました。最近本当に「うつ」がきつい。毎朝「希死念慮」から始まるし、喉の奥の石ころのつまった感覚もずっととれない。確かにそれでも、文章を書く日は8000文字以上綴ったりもするし、たくさん工夫してなんとか一人暮らしの生活も維持出来ている。そんなわたしはもう「うつ」でもないし「躁」でもない。でも人より気持ちの上げ下げも激しいし、本当に30分〜1時間単位で心の天気が変わる。雨が降ったと思ったらいきなりやんで、晴れたと思ったら間髪入れず雷が落ちる。もはや嵐だっつの。自分自身が一番ついていけてないっつの。そんな心の天気の移り変わりを受け入れる余裕も楽しむ余裕もない。むしろ、こんな毎日なら、もう晴れなくていい。もうぬか喜びしたくない。何度も、あらゆる自殺を試みたけれど、いつもわたしは死ねない。「また助かってしまった」そんな事の繰り返し。これ以上試せる自殺の方法も、もうない。だから死なないけどさ。ガチで殺されそうになったこともあるのに、もう一息のところで、相手逃げるし。「生きろ」ってことなんだろうけどさ。たぶんわたしの命に、わたしなりの役目と役割があるから、それを果たすまでは、死なないんだろうけどさ。仮に、災害とかではなく、不慮の事故とかでもなく、今わたしが自殺して空に還ったら、「お姉ちゃん、なんでもう帰ってきたの」とか「あんた、まだやること終わってない」って、先に空に還ったソウルメイトにボコボコに怒られるしさ。わかってるけどさ。でも。「もうがんばらなくていいんだ」そう思いながら眠って、もう二度と、目が覚めなければいいのに。

 

こんなあまりに不安定な情緒になる原因の病名も主治医に診断されてはいます。「躁」の経験はありますが「躁うつ病」ではありません。しかし「反復性うつ病」それ以外の精神疾患をインターネット上で詳細に明かす予定は今もありません。ですが、そもそもわたしのセロトニン、やっぱり人より少ない。生成するのもへったくそ。もうほんと、寛解も出来ていない状態での断薬の必要に迫られ、しかもかなりの短期間で断薬をしなければならなかった時に、離脱症状に「死ぬかな?」と思うほど苦しんだけど、そんな断薬できた薬を再度飲むようになっても構いませんから、助けてください。そんな辛い日々が続いておりました。

 

しかし、わたしの主治医の治療方針は、「病を患ったのは患者のせいではなく、生まれ持った気質と環境の両方が影響をして発症する。むしろあなたは親に十分に愛されなかった事から病を患った。親のせいにしていい。自分が全て悪いのだと思わないこと。けれど、そこから立ち上がるのは、あなただ。」とした上で、できる限り薬物療法には頼らない、本当にその患者に必要な薬しか処方しない。当たり前のようで、実はこんな精神科医は少ないというのが現実です(当社比)。そして、診察でも、むやみやたらにアドバイスはしてきません。患者の望む「答え」をすぐに言わない。診察で主治医と話した内容を自分自身で持ち帰り、一週間自分なりに向きあい、その繰り返しの中で「自分で答えを見つける」。そうして「患者本人の治癒力で病を治す」これがわたしの主治医の治療方針です。そしてその診察も1回あたり長くても15分です。

 

治療にかけられる「お金」に限りがある

「カウンセリングを取り入れてもいいのでは……」そんな意見も本当にごもっともです。自力で認知の歪みを正すには限界がありますし、ぶっちゃけめっちゃきついです。しかし、カウンセリングには保険が適用されず、すべて自費になり高額ですし、たとえ1回あたり3000円であっても、必ずしも病を治療中の患者が長く毎週続けるには金銭的に困難なのです。1回あたり1万円とかお話になりません。いやまじ、貧困ハンパないですから。想像以上に貧困ハンパないですから。わたしには頼れる身内もおりませんし、障害年金いただけてても、仮に生活保護いただけても、本当に生活費だけで毎月精一杯です。少しは娯楽やご褒美もないと、人間生きていけませんし。生活保護もらえたら医療費免除になる?保険が適用される医療だけね。そんな中で毎週自費でカウセリング代払える人いないと思う。

 

なので、1回あたりの診察が15分以内というのも、実は長く治療を続ける上でコスパが良いことが理由です。またこの「自力で答えを出す」作業は、前述した通りにやはりきついものですし、時間はかかります。しかし、自力で答えを得られた瞬間というのは、それまでに感じることの出来なかった「達成感」や「自信」が得られます。まぁ、この治療方針も、合う合わないは人それぞれです。そもそも日本の精神医学界で、未だに「うつ病」をはじめ、あらゆる精神疾患の治療が想像以上に困難になる理由は、こんな「認知行動療法」に診察で十分に力を注ぐ時間がない、カウンセリングに保険が適用されないも、ひとつの理由です。そしてそれはそもそも……この話は長くなりすぎますし話が脱線しすぎますので今日はしません。

 

認知行動療法、自分でするしかない。

ですが、それならもう「自力」でなんとかするしかないのです。確かにわたしの自力で生成可能なセロトニンは人より少ない自覚があり、食生活や日頃の生活習慣にも気を配ってはおりますが、やはりそれでもセロトニンは十分とはいえません。しかしわたしは、薬への耐性もつきやすく、どんな抗うつ剤も必ず効かなくなります。これが「反復性うつ病」なる所以でもあります。昼間の向精神薬を再開しない代わりに、点滴や筋肉注射も取り入れてきましたが、頻繁に打つと薬の種類によっては血管がボロボロになるだとか、筋肉組織に悪影響が出るだとか、弊害というものはどうしてもあり、つい先日、そのすべてが、もう効かなくなってしまいました。

 

そもそもの治療が長引いている理由

しかもわたしは元夫の転勤の都合で隣の市に5年前に引っ越し、環境の急激な変化や夫婦共に激務になったことから、今の主治医との出会いから約7年かけて「ようやく寛解してきた!」そんな状態が一気に悪化し、時間もないし交通費も高いしで、診察にも月に1回しか行けておりませんでした。それ以上の間隔があくこともありました。5年間も。そんな中で1年半前に離婚が成立し、なんとかひとりで元の街に戻ってはきましたが、更に精神状態はボロボロになっていました。経験した方は身にしみていると思うのですが、離婚にはものすごいエネルギーを使います。大好きな人と結婚をするだけでも大変だったのに、離婚はその比ではありません。入籍する事の難しさの10000000000倍ぐらいと思っていいです。しかもそれまでの日々も、本当に激務で、まだ完治も寛解もしっかり出来ていない中で、5年間心の休まる日が1日もありませんでした。

 

失声症」にもなりましたし、それでも仕事は続けていました。真夏でもまるで真冬のような寒さを感じ、あり得ないぐらい厚着をした上でダウンジャケットも羽織りながら炎天下の中を過ごしました。原因不明の激しい腰痛で歩くこともままならなくなった時期もありました。首を吊ったのもこの時期だった気がします。最後には、それまでに頻繁には経験のした事のなかった「乖離」もしました。記憶の一切ない空白の時間があり、その時に起こしていた自分の行動に、自分でも意味がわかりませんでした。それまでにないぐらいの「躁状態」にもなりました。過剰な「聴覚過敏」にもなり、風が窓を揺らす音や、深夜のほんのわずかな物がきしむ音でさえ、耐えられたものではありませんでした。食欲も一切なく、空腹さえ感じず、少なくとも離婚後3ヶ月は一口も食べれませんでした。思い出せるだけでこのぐらいなので、実際これ以上に、本当に「おかしかった」と思います。

 

1年半前に離婚が成立すると同時に病院のある元の街に戻り、一人暮らしを始め、診察も週に1回に戻り、そんな中で「これ以上薬は出せないし、毎日飲むなら点滴も注射も一切無理」ぐらいの大量の向精神薬を毎日飲まなければ自我さえ保てず、当時を振り返る主治医が「あなた、よく生きてた」とまで言うほどです。あの頃のわたしは、いつ突発的に自死してもおかしくなかったのだと思います。入院治療も愛猫がいることから断り続けていましたし、わたしには頼れる身内も身近な友人もおりません。わたしの病を知りながらも未だに友人でいてくれている同級生や先輩は、皆遠く離れた、飛行機や新幹線を使わないと行けない土地にいます。

 

それまでに感じたことのない圧倒的な「孤独」の日々で、「ADHD」の診断も受け、「もう一生治らないんだ」そんな絶望にもぶつかり、紆余曲折しながら、わたしはなんとか薬も睡眠薬以外は断薬し、生活も自身の訓練で立て直し、1年半かけて「これからも精一杯生きよう」。つまりは、そういうふうにできている。 - わたしはここにいるよにも記したように、ようやく最近、「生きる活力」というものを取り戻したばかりだったのです。

 

だから、今が「スタートライン」

なので、確かに今の主治医と出会って14年が経ち、はじめて病を診断された時からは今年で20年が経とうとしておりますが、「ようやく、今がスタートラインだ」そう思い、主治医の言葉通りに、あともう1〜2年をかけてでも、自分自身の認知の歪みと徹底的に向き合おうと決めました。それから毎晩、1日を振り返り、また日中にも「内観ノート」を書きながら、今まで以上に自分自身と必死に向き合いはじめました。遅すぎ?いいえ。これがわたしの「最短」です。今が、ベストタイミングなのです。先日職場も離職した。今が一番時間があるし、今が一番、この先の人生で若いのだから。

 

そうして始まった「本気の自己内観」

わたしが「人によく思われよう」とするようになったきっかけ。これは今更内観しなくても自覚があります。主治医も知っています。わたしが10歳の頃、母が目の前で包丁を喉元に突き刺し自殺をしようとしました。原因は、年の離れた兄の家庭内暴力でした。毎晩繰り返される、7歳年上の兄の暴力。それは彼の抱える「たすけて!」という悲痛な心の叫びだったのですが、当時のわたしにそれが理解できるはずもなく、そんなわたしの目の前で自殺をしようとした母を、父が「まだ○○(わたしの本名)がいるだろう!」と止めました。目の前で繰り広げられたそんな光景に「わたしは、良い子にならなければ」そんな事を思いました。あの日の光景と、そんな幼い頃の自分の決意は、おそらく一生忘れることが出来ません。

 

それからわたしは、ずっとずっと長い間「良い子」を演じていたのだと思います。また、自分自身への過大評価があることにも気づきました。以下に、今の時点でわたしの導き出せた「人によく思われようとするのをやめるコツ」を記します。

 

■自分への過大評価をやめる

■人よりも疲れやすい自覚をもつ

■「不完全」を受け入れる

■人の顔色や声色を伺うのと、空気を読むのをもっと意識してやめる

■「NO」と言える勇気をもつ

■むしろ「わたしはちっともすごくない」ぐらいに思い、そして自分だけはそんな自分を否定せず「よくやっている」と褒める

 

なんだか今更感すごいですね。ですが、これを長いこと出来ていないでいるから、今も苦しんでいるのです。ようやくわかったぞ。まじで今更感すごいなー!

 

しかし。これらすべてをちゃんと意識出来たところで、人前でとっさに出る「よく思われようとする自分」を演じなくするのは、わたしには困難であると感じました。先週の主治医との「しっかり自分と向き合いなさい」と言われた診察の後日、主治医不在の日に、筋肉注射をお願いしに病院に行ったのです。その日に「もう効かなくなった」のがわかったのですが、主治医不在の事から、他の医師に代診を受ける形で注射の許可をいただかなければならず、その時、代診とはいえ、まだ信頼関係がしっかりしていないとはいえ、初対面ではなく数回代診をお願いしている医師に対して、まさにわたしは「人に自分をよく思われようとする癖」を発揮させました。お見事!でした。注射の許可いただくだけなんですよ?逆にあっぱれ!よきに計らえ!そのぐらいわたしの無意識レベルハンパない!この時にようやく「人によく思われようとするって、これか!」と納得できました。そして、おそらく、「素直に、正直に自分のことを話す」のと「人によく思われようと演じる」ところに、わたしの中で「明確な違い」がないのです。いよいよ重症です。わかっちゃいたけどわたしは重症です。わたしの認知の歪みは人から見れば草生えるレベルです。わたしだけは草を生やさずに掘り下げます。

 

「人は誰もがアクター」だけれど。

「演じる」ここに鍵があるような気がしました。「人は誰もがアクターである」という言葉があります。誰もが自分を演じる俳優である、と。「家族の前での良い子」「友人の前での良い子」「恋人や配偶者の前での良い子」。わたしは、そんな「誰か」の前で自分を演じ続けて、「本来の」「ありのままの」自分というものを、あまりに長いこと見失い、忘れてしまったのかもしれない。そして長いこと携わっていた仕事が接客業だったことから、「人前ではいつも笑顔」です。これは大変良いことと思われがちですが、「どんな時でも笑顔」というのは「一種の無表情」という見方もあります。

 

「良い子」を演じない、「本来の」「ありのままの」わたしは、どんな自分なんだ?

 

わたしの内観ノートは、こう自分に問いかけるところで、この問題については一旦ストップしました。しかし、最近はこうして自分自身とちゃんと向き合えていること、そして「睡眠をとって疲れを落としたのだから、朝は元気であるべき」という固定観念を手放せたこと、また引き続き食生活にも気をつけていることから、朝の希死念慮がなくなり始め、また他のことに対する浄化も順調でしたので、「今回の宇宙元旦前にすべき浄化は、なかなか、よきよき。」と満足していました。

 

そして崩れた「アイデンティティ

しかし、本日18:00を過ぎた頃から、再びこの「人によく思われようとする」問題を内観し始めました。意識的にしようと思ったからではなく、自然と思考が内観に繋がっていました。

 

予備校時代の現国の恩師に「どれが本当の自分なんだ?と悩む必要はない。どんな自分も本当の自分だ」との言葉があったことから、
人前で自分を使い分けることに疑問を持たずに生きてきたことを思い出しました。この恩師の言葉は間違いではなく、真実です。「良い自分も、人前では言えない恥ずかしい自分も、すべて本当の自分」という意味です。しかし、わたしはこの「誰か」の前で自分を使い分ける癖が「八方美人」にも繋がり、「良い子」を演じない自分が、そもそもわからないのだ、と。そして自分自身の「つらい」感情にはいつも自覚がない。だから自分自身でそのつらさに寄り添うことも出来ず、人に打ち明けることもできず、毎回いきなり爆発する。

 

思えば少なくとも10歳の頃から24年間は「良い子」を演じ続け、だからこそいつもすぐに限界がくる。でも、それは、「誰かに言われたから」ではなく、わたし自身がそう選択し、そしてそうなることを自ら望んできた。「それこそが、わたしである」と。そんな「良い子」という固定観念を手放すと、きっとわたしには何も残らなくなってしまって、人前でどう振る舞っていいのかさえも、わからなくなるんだ。

 

手放さなければならない「良い子を演じる自分」。それを手放すと、物質的な意味ではなく、わたしには、何も残らない。わたしには、それ以外、本当に何も、ない。「良い子」これは、わたしの「アイデンティティ」だったんだ。そしてその「アイデンティティ」が、ずっと、自分を苦しめているんだ。

 

めっちゃくちゃ悔しい。めちゃくちゃ悲しい。わたしは今まで、なんのために、「良い子」を演じ続け、なんのために生きてきて、そうしてこれからなんのために生きていくんだ。「良い子を演じなくなったら」、それはもう「わたしじゃない」。「良い子であること」それはわたしの「アイデンティティ」だったのです。わたしがこの世界に存在する、わたしの中の唯一の「理由」と「意味」だったのです。

 

ああ、そういえば。兄とわたしが7歳も離れているのは、その間に2人流産によって空に還ったからだと言っていたな。そしてその2人が流産せずに産まれていたら、お前は産まなかったとも言われていたな。そっか。「理由」がほしかったんだ。わたしが「この世界に存在している理由」と「意味」がほしかったんだ。そうして自分なりに必死に見つけた「アイデンティティ」だったんだね。それが「良い子を演じること」だったんだね。うん、でもね。もうそれ、手放さなきゃ、次に進めないや。しかも手放したら、わたし、もう人前でどんな振る舞いをしたらいいのかさえも、忘れちゃったよ。

 

涙が溢れて止まりませんでした。今もこうして書いていて、涙が止まりません。人から見たら草生えるレベルなのもわかっているのに。わたしの必死に見つけた自分なりの「アイデンティティ」。あまりにもちっぽけで、あまりにも大切にし過ぎた「アイデンティティ」。そこから得られたものなんて、何もなかったのに。

 

「良い子」で居続けようとした、その場所も今のわたしにはもうありません。血の繋がった家族とも絶縁状態。「どこかでのたれ死んでくれ」その父の言葉を最後に、母にも兄にも会えないまま。物心ついてから一度も抱きしめてももらえないまま。そんな家族の今住んでいる場所も知らない。教えてなんかもらえなかった。知られたくない、と。かわいがってくれた祖父母も他界している。まともな学歴もない。職場も今はない。本当に、なにもない。心底情けない。言葉にできない悔しさと、悲しみです。今までに経験したことのない、「完全なるアイデンティティの崩壊」です。いくら「大げさ」と言われようと。本当に「良い子を演じること」これを手放すと、わたしは右も左もわからない。「右も左もわからぬ若輩者」ではありません。痛いこと言いますが、赤ちゃんです。肉体は大人のまま、記憶は全て残ったまま、完全に「ゼロ」に戻ってしまいます。

 

しかし。

 

崩壊したのなら、破壊されたのなら、あとは「再生」するだけです。宇宙元旦前の最後の、わたしにとって34年の人生で最大の、浄化が促されている。そう感じました。その上で、明日の宇宙元旦を迎え、明日から「ゼロ」からまたわたしの人生は始まるんだ。始めなきゃならないんだ。これがわたしの今年2019年の天秤座満月と宇宙元旦が重なる日に感じていた「特別な意味」なんだ。そして、その前日に最大の浄化を促した宇宙に、神様に、「本当にありがとうございます」そう、思いました。

 

今日はね、もう泣くことしか出来ないと思う。アイデンティティの崩壊って本当につらいね。アイデンティティって本当に人それぞれだね。しかもわたし、赤ちゃんの頃からめっちゃ周りの空気読んで、めったに泣かない子だったんだって。赤ん坊の時からだよ。誰にも教えてもらっていないのに、だよ。そんなわたしの34年間信じてきたアイデンティティは、間違っていたんだよ。わたしが世界に存在する理由と意味はきっと他にあるから、「よくがんばってきたよ」「そんな自分を許してあげよう」「明日からまた、一歩一歩、進んでいくだけだよ」そう自分に言葉をかけながら、思いっきり自分を抱きしめながら、今夜は眠ります。

 

最後に

10歳の頃のわたしが、母の自殺未遂をきっかけに「良い子にならなければ」そう決意をした約22年後に、「ツインレイかもしれない彼」に出会いました。彼は11歳年下のベトナム人で、自分の名前の意味を「良い子」であると話しました。そしてわたしの本名の意味が、彼の母国では「良い子」と訳されていました。だからツインレイである、ではありません。彼をツインレイであると感じる理由や出来事はもちろん他にもたくさんあります。しかし、お互いに母国も性別も世代も違うのに、名前の持つ意味が「良い子」であった。そしてそれは、わたしの「アイデンティティ」だった。

 

彼ともし今世で再会できるのなら、もっと違う意味での、今ではまだわからない、別人の「良い子」になれたわたしでありたいです。「良い子」これにこびりついた固定観念を、塗り替えたい。そして、彼は本当に子供のように純粋で、いつも一生懸命で、ちょっぴりドジで、どこか容量の悪い、それでもわたしの前ではいつも笑顔の、わたしととてもよく似た「良い子」でした。不器用なのに、いっつもじれったいのに、彼だけは憎めず、たとえ「なんであの時、いきなりわたしの目の前に現れたの。助けにきてなんて言っていない。勝手に来て。あなたにさえ出会わなければ…」という憎しみが出てきても、すぐに昇華され、「あの出会いは、本当に奇跡だった」と何度でも思うし、「無条件」で彼を愛しています。彼がツインレイでないとしても、そんな条件さえも抜きに、そして、今は連絡がなくても会えなくても、他の誰かと一緒にいても、そもそも「愛の言葉」なんてもらえなくても、無条件で今も好きなままです。彼のすべてが愛しくてたまらないのです。「彼の存在そのもの」そして、ただ「世界に居てくれるだけ」で、こんなにも、胸がいっぱいになってはち切れそうになるほど、愛しくてたまらないのです。そして今は、彼はわたし以上に、思い通りにならない「現実」と闘っているはずです。そうして闘い傷ついた彼を、果たされるかもわからない再会が果たされた時に、何も言わずに「おかえり」と抱きしめられる強さを、必ず身につけてみせます。

 

わたしの本名の漢字は、「情に厚い」そして「澄んだ水」という意味を持ちます。そして「子」のつく名前です。それ故に、彼の母国では「良い子」と訳されていたのかもしれません。そんな、人一倍情に厚く、涙もろく、未だに「白か黒か」の判断しかできずに、余裕もないけれど。それでも、名前にこめられた、「純粋さ、清らかさ」は忘れずに。

 

明日は天秤座満月、宇宙元旦。

 

これからも。

行こう、魂の思い描く未来へ。

飛ぼう、今度こそ自分の力で。

だから、今日はたくさん、泣いていい。

 

みなさまの明日の天秤座満月、そして宇宙元旦が、素晴らしい日になりますように。明日からの1年に、たくさんの愛が溢れ、笑顔が咲き乱れますように。

 

今夜も自分自身をたくさん褒めて、お休みください。まだまだ未熟すぎるわたしではありますが、明日からも、新しい時代の扉をあけて、この世界をともに参りましょう。

 

わたしはここにいるよ。

 

わたしは、わたしはここに、「今、ここに居る」よぉ……!

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葉月ひろな

Twitter @hazukihirona

hazukihirona@gmail.com

 

 

 

行け、魂の思い描く未来へ。飛べ、今度こそ自分の力で。

みなさま、こんにちは。葉月ひろなです。今回のブログのタイトル「行け」そして「飛べ」というふたつの言葉。かつて国語の教師を志していた頃、未来の教え子たちの卒業式で、最後にわたしはこのふたつの言葉を伝えよう。そうして未来へと送り出そう。恥ずかしながら、そんな妄想をしておりました。おそらくそんなわたしの思い描いた未来は、わたしのこれから先の人生には訪れません。国語の教師になりたい。それはいつしか、今我が国にたくさん訪れている外国人の方々へ向けた日本語の教師になりたい。に姿を変え、それを目指して進んでいこう!わたしはついこの間までそう思っておりました。ですが、おそらくわたしは、それでは生計を立てていくことが出来ません。「外で働くのは向いていない」「そんな社会復帰は諦めた」。わたしは社会不適合者です。いわゆる「普通」がどうしても出来ない。どうしても続かない。そんなわたしの中の「出来ない」ことをしようとすることを、わたしは先日諦めて手放したばかりなのです。

 

もしかしたら、日本語の教師にはなれるかもしれません。しかしそのお給料で、わたしは生計は立て続けられないと感じます。わたしはその仕事を当たり前のように続けることが出来ないだろうとも思います。だけれど。だから。せめて自分のブログには、世間が卒業式シーズンを迎えようとしている今、このふたつの言葉をのこしたいと思いました。「行け」、「飛べ」。そして、そうして未来へと送り出したいのは、他ならぬ「わたし自身」です。

 

わたしは恋愛至上主義です。機能不全家庭で育ち、「誰かに深く愛してもらいたい」その願いを異性に求めたわたしは、数多くの恋愛と1回の結婚を経験しました。短命にしかならなかった恋から、「本当はこんな風に愛されたい」そんな答えを学び、「予備校の彼」から、「こんな風に生きたい」そんな素敵な人生観を学び、「11年を共にした夫」から「人のことをこんな風に愛したい」そんな無償の愛し方を学びました。

 

それを学び終えた途端に「ツインレイ」かもしれない年下のベトナム人男性と出逢いました。しかし、当時のわたしは、学びはしたのだけれど、実際にそれを自身の愛の中に取り込むことがまだ出来ておりませんでした。頭ではわかっている。本当は、本当はこれじゃだめなんだ。わかっている、それなのに。それまで「心から信頼できる」そんな恋人や夫に、寄り添うのではなく「寄りかかる」ことしか出来なかったわたしは、まだ自分のことも心から愛せていなかったし、人に「頼る」ことばかりが当たり前になっていました。頼っていたつもりはなかった。けれど、今思えば、甘えていた。「ツインレイ」かもしれない彼に。頼っていた、そのやさしさを。愛せていなかった、たいせつに出来ていなかった、彼の気持ちを思いやれていなかった。よくツインレイの分離期間の始まりになる理由と言われている「今の俺では、こいつをしあわせにできない」それよりも、きっと彼はわたしに思うように愛してもらえなかったのが、つらかった。だから、彼はわたしのもとを去っていたのだと、今ならわかります。

 

わたしは正直、人を頼ることが苦手です。幼い頃から学級活動の際もクラスメイトに頼る、ということがどうしても出来なかった。学級委員や児童会長だったわたしは、これをお願いしたら嫌がれるだろうな…任せたら重荷になるだろうな…もういいや、自分で全部やろう。そんな「白か黒か」の極端な判断しか出来ませんでした。学級新聞も毎週自分1人だけで仕上げていました。児童会で話す挨拶もすべて自分で考え、完璧に暗記して話していました。いくら高熱が出ようと、どうしてもこれを下級生に伝えなければならない、そんな事があれば休みませんでした。そもそも韓国から帰国し転入した小学校でいきなり学級委員になったのも児童会長になったのも「誰も立候補しないこの空気と時間、重たいわぁ…」それを早く打破したかったから自ら立候補をしたのでした。「わたしが全部背負い込めばなんとかなる」そんな意識はなかったのです。ですが、結果的にそうなっていた。そのぐらい、わたしは「誰かに頼る」ことが苦手でした。そしてそんなわたしが心から頼ることが出来たのが「予備校の彼」と「11年を共にした夫」でした。

 

言葉には出さなくとも「任せろよ」「俺についてこい」そう態度や行動であらわしてくれた彼らの背中に、わたしの中の女性性がようやく安心をしたのかもしれません。気がついたらずっと寄りかかっていた。それでも「繋いだこの手を離さない」としてくれた彼らに、安心しきって甘えていた。別れへと繋がった理由は他にもたくさんあった。けれど、一番の理由は、わたしが未熟すぎたことです。一番近くにいれた頃に気がつけていたら、きっと変わっていたはずの未来。そんなパラレルワールドはあると思う。「予備校の彼」と歌をうたいながら、少し幅の違う足で一歩一歩長い人生を共に歩んでいる未来。「11年を共にした夫」とすれ違うことなくしあわせな老後を迎えている未来。そんなパラレルワールドが、きっと今わたしが存在している世界線と平行して存在している。幼い頃からファンタジーを好み、ドラえもんが大好きで、ドラえもんの映画の中のセリフをほとんど覚えているわたしは、平行世界であるパラレルワールドを、ずっと、心のどこかで信じています。

 

それでも。「今、ここ」にいるわたしは、1人になることを選んだ。「予備校の彼」「11年を共にした夫」「ツインレイかもしれないあなた」彼らから離れて、1人になることを選びました。理由がどうあれ、事情がどうあれ、今の現実はわたし自身が引き寄せたことで、選んだ結果です。それを嘆いた過去もありました。今でもあります。前回の記事なんて嘆きっぱなしだったかもしれない。それでもわたしは、このブログにだけは正直な気持ちをぶつけたい。散々ぶつけ、嘆き、その都度その都度のネガティブを感じきり、そうしてその度に前を向きたい。涙で鼻水ダラダラだろうと、それでもわたしは前を向いて歩いていきたい。今度こそ、今度こそ、自分の力で助走をつけて羽ばたいていきたい。それが、わたしを心から愛してくれて、寄りかからせてくれた「彼ら」への、せめてもの恩返しだとも思います。

 

「経済的自立」「精神的自立」おそらく、そのどちらも完全に出来ていなかったわたしの未熟さが、わたしを寄りかからせ続けてくれていた彼らの重荷になっていました。わかっていたのに、わかっているのに、自分を変えることが出来なかった。「あの時はあれが精一杯だった」「精一杯やれることはやった」そんな風にも思います。努力をしなかったわけじゃなかった。変わろうとしなかったわけじゃなかった。だけれど。「今、ここ」に居るわたしはきっと、彼らから離れて1人になることでしか、彼らの背負っていた悲しみや苦しみ、抱えてきた傷や孤独に気がつくことが、出来ませんでした。1人になってしまったのは、わたしだけじゃない。彼らもまた、わたしと別れた瞬間「独り」にされてしまったのです。それが、この世界で一番の悲しみなのに。

 

そうやって散々「寄りかかって」きた。そうして散々「傷つけて」きた。この世界であなたが一番たいせつです、と言いながら真逆のことをしてきた。わたしはそろそろ、行かなければなりません。「自分で選んだ現実」を受け止めて、「自分で選んだ未来」へと、歩き出さなければなりません。未来のわたしと過去のわたしが、今のわたしにエールを送っている。その言葉にならないエールが背中を押してくれている。たとえその道を進むことで、この先も彼らと再び道が交わることがないとしても。再び手を取り合って歩める未来には行けないとしても。行かなければならない。そして、行きたいと思う。その先に広がる景色をこの目で見てみたい。そこで感じることのできる感情を感じきりたい。今度こそ、今度こそ、今度こそ。だから。

 

悲しくなったら、泣きなさない。怒りが出てきたら、感じきりなさい。悔しかったら、これからもたくさん沢山ジタバタしなさい。素直さ誠実さ、それにいくら傷つけられようと、それでも素直で誠実でありなさい。そうして自身の女性性を磨きなさい。たくさんの「愛のかたち」それを受容できる、大きな受け皿になりなさい。そうして、闘い傷ついた自身の男性性を癒やしなさい。人に嫌われることを恐れないで。今までのように、たくさん人を好きになって、嫌いになって、それでもまた人を好きになって。あなたの人生の中心に、あなた自身を置きなさい。そうしてそれをとりまく世界を、もっと信じなさい。裏切られたと感じても、それでもあなた自身を信じなさい。自分自身を愛で満たしなさい。そうして世界を愛しなさい。あなたの「生き方」「在り方」うまく言葉にできないのなら、少しでいいから微笑みなさい。泣けて仕方ないのなら、その背中で語りなさい。大丈夫。ネガティブが出てきても、必ずそれらすべてを引き裂くような答えが見つかる。今までもそうだった。これからもそうなんだ。そこにいくら闇が訪れようと、光に変えていくだけの知識はもう身につけた。「貴方が似合うと言ったこの抗いのドレスを裂くほどの答え」それはこれからも必ず見つかる。生きていれば、また会える。先に空に還ったあの子が見ている。だから、


行け、魂の思い描く未来へ。
飛べ、今度こそ自分の力で。

 

そこに広がる景色を見に行こう。そこで感じられる感情を抱き締めにいこう。そこに今世会うことを約束してきた、懐かしい仲間の声がする。
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歩き疲れたら、遠慮なく助けを求めなさい。飛び続けるのに疲れたら、いつでも帰ってきなさい。

 

卒業、おめでとう。行こう、次のステージ。

 

わたしはここにいるよ。

 

葉月ひろな

Twitter @hazukihirona

hazukihirona@gmail.com

コンビニ24時間営業、ダメ。絶対。

みなさま、こんにちは。葉月ひろなです。わたしは、あまり「否定」というものが好きではありません。できる限りすべての事柄を「肯定的」に受け止めたいし、あまり批判めいたことは口にしたくない。とも思います。不登校?そっか、自分を大事にしたいんだね。仕事を辞めた?おめでとう!次のステージへの扉がひらいたね。同性愛?あなた素敵な心を持ってる。わたしは本当にそう思う。一般的にいわれる「こうあるべき」それを押し付けたくないし、わたしも押し付けられたくなんかない。どの道に進んでも正しいよ。たとえ間違ったとしても、それは「正しく間違って」いるよ。わたしはずっとそう信じてきたし、それはやはり正解だったと感じています。すべての出来事には意味があり、すべての出逢いにも意味があり、「愛のかたち」は本当に人それぞれで十人十色で、なにも無駄なことなんてない。このブログでもTwitter(@hazukihirona)でも繰り返し言葉にしていることです。本当にその通りだから。何事も「肯定」したい。やみくもに「否定」したくない。何事も「正解だよ」と、わたしは言い続けたい。
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それでも。わたしはこの世界でひとつだけ、どうしても異を唱えたい事があります。ずっと、それをブログに書かなければ。いつか言葉にしなければ。それもわたしの命の役目で役割だ。そう思ってきました。それは「コンビニ業界」における、365日24時間いつもお店が開いているという「コンビニの在り方」の「常識」となっているもの。それ、そろそろぶっ壊れていいよ。そのぐらいの否定的な思いを、わたしは長いこと抱え続けております。かつて、11年の人生を共に歩んだ、心から愛していた夫と、雇われというかたちではありましたが、一加盟店としてコンビニを経営する立場にあったからです。結論から先に言いましょう。「いついかなる時も365日24時間営業」。それがわたしたち「夫婦」という「家族」を壊したんだよ。

 

恨んでいる?確かにそうかも知れません。未だにふざけんなと思います。離婚の原因はそれだけだった?いいえ、そんなことはありません。ていうかその道を選んだのはあなたたち自身でしょ?その仕事を選んだのも、離婚を選んだのも。その通りです。それでも。「もしコンビニが365日24時間運営じゃなかったら」わたしたち夫婦は壊れなかったかもしれない。離婚から1年半が経とうとしている今でも、離婚を肯定的に受け止められている今でも、先日その別れた夫と和解ができた今でも、そう思うのです。

 

なんで、足し算ばかりなの?なんで、深夜営業やめないの?

離婚から約1年半が経ち、今のコンビニ業界がどのような道をこれから進もうとしているのか、わたしはその詳しいことは正直知り得ません。ただ、ほんのわずか1年半前まで、ついこの間まで、確かにコンビニ業界の本部上層部の方々は「コンビニは深夜の交番のような役割もしている」だとかいうことを、サラッと平気で言葉にし、サービス過多でしょうよ、ということを平気で業務に付け加えてきました。おそらくそんな会議室にいた方々の多くが現場を知りません。それを見直そうとしてくださった上層部役員の方がいらっしゃったのも知っております。その後少しづつ見直しがされていることも。でもね。目のつけどころがいつも違うの。変えてほしいのは、改善してほしいのはそこじゃないの。「深夜営業をやめる」どうして頑なに、それをしようとしないのか。わたしには理解ができないのです。

 

ようやく始まった「引き算」の目の付けどころが、違う。

「頭髪の色への規定を見直し、もっと自由にします!」違う。そこじゃない。合ってはいるけれど、合ってはいるけれどなにか違う。それで心の底から救われる加盟店はたぶんそんなには多くない。「お客様に使う日付印と業者に使う収納印を統一します!」それをしたところで作業効率あんまり変わらないんですよ。いやそんな無駄を省くことも必要だけれど、まずすべきはそこじゃない。もっと無駄になっているところが他にもあるよ。確かにこの2つは改善がしやすいとは思います。予算もまだ少なく済む方だとは思います。アプローチがしやすい。そしてその頭髪の色の自由化も無駄の省き方も、間違ってはいないのだけれど、いつも目のつけどころが、加盟店の需要とちょっと微妙にずれている。そう感じざるを得ません。

 

「加盟店の立場」よりも「売上重視」

いや、むしろなんでもっと早くそんな規定や業務を見直そうとしてくれなかったの。なんで新しく社長に就任した方が、実際に現場に立つことから言わないと始まらなかったの。「これはどう考えても不可能な業務内容の要求です。時間的にも無理。空間的にも無理。わたしたちはロボットじゃない!」思わずそう言いくなるような無理強いばかりして、売上を伸ばすことしか頭になくて、加盟店として働く側のことよりもいつもいつもお客様と売上優先で、365日24時間運営はどこまでいっても基本的に「当たり前」だから、わたしたち夫婦は壊れたよ。一度壊れたものは完全にはもとに戻らないんだよ。夫婦はもともと他人でしょ?いいえ。わたしたち夫婦は「家族」でした。わたしにとっては、この世界でたったひとりのたいせつな大切な「家族」でした。

 

時には当たり前な「人手不足」そんな中での「業務過多」

今やどの業界もそうだと思うのですが、どこも基本的に人手不足です。そもそも戦力になってくださるスタッフが足りないのです。いくら募集をかけてもなかなか人手が集まらない。なんだかもうこれも時には「当たり前」なのです。やっと応募がきた!面接した!採用します!と思っても、そのスタッフがひとり立ち出来るまでの期間も人それぞれだし、そもそも教えなければならない業務が多すぎる。わたしは19年前からコンビニ業界の仕事を知っています。セブンイレブン以外はある程度携わったことがあります。15歳の頃から、おそらく一番長い期間その内容に触れてきた仕事です。いや、業務、増え過ぎだよね。今や「これで研修は終わりね」とはなかなか心の底から言えない仕事内容です。だからその仕事に就くのを懸念される方が多いのではないかとも思います。

 

人手がいない?そっか。それでも、お店閉めないでね?

それでも、いくら人手が足りなくても、戦力になれるスタッフがいなくても「お店は閉められない」。だから基本的にどの加盟店も意地で経営者が運営をし続けます。確かにオープン当初は本部の方がかなり応援に来てくださいますし、本当にどうしようもない時はシフトに入ってくださる事もあると聞きますが、わたしたち夫婦は「複数店舗経営のオーナーの雇われ」であることから、「複数店舗あるなら、助け合えるよね。応援要らないよね?」という理由から、どんなに人手不足でも、本当に意地で経営を続けました。たとえ1人きりだろうと。何日も寝ていなかろうと。体調を崩していようと。接客中におつりを渡しながら寝てしまうことがあっても。「だってそういう契約だもんね」その言葉が足かせとなり続けて。場所によっては、経営者よりもスタッフさんが努力を続けているから成り立っているお店も確かにあります。が、わたしはコンビニに行くと、いつも経営者と思われる方が「疲れ果てているな」と感じることが多いです。

 

スタッフの当日欠勤は、責めることではない。そして「1人体制」のシフトもある。

たとえば、スタッフが勤務日当日に「すみません、今夜の夜勤出れません」ということももちろんあるのです。それは責めることではありません。事情があります。そして、もともとシフトが夜勤1人体制ということも、もちろんあるのです。あり得ないことではないのです。人件費の兼ね合いもありますが、そもそも夜勤が出来るスタッフが少ない、いない、というのも理由のひとつです。そんな時に欠勤があったらどうするか。正直「欠勤はまじ勘弁…」といつも感じてしまいます。それでもどうにもならない事情がスタッフにもあります。そして、他のスタッフに連絡をとってみてもだめだった場合どうするのか。昼間クタクタになるまで働いた店長またはマネージャーが寝ずに夜勤をします。その次の日ももちろん仕事です。

 

365日無休の「発注業務」と「精算業務」

店長やマネージャーが必ずしもシフトには入らないとはいえ、発注・精算業務は365日休めません。シフトに入りながらこなすことも多いです。接客しながら発注、接客しながら精算業務。そしてこの2つの業務だけは、なかなかスタッフに丸ごと任せられません。手伝ってもらうことはあっても。そして「365日24時間」いついかなる時も、お店は閉めてはいけません。「そういう契約だから」。

 

過酷な業務から、健康に害が出始める。

それでもわたしは、コンビニの仕事が好きでした。そして店長である主人を心から愛していました。だからわたしは、主人を助けたかった。主人の担当である業務も必死に覚えては代わりました。わたしが寝ずに夜勤をしたりもしました。それでも、過酷な業務や睡眠不足から健康に害が出てくれば、お互いにどんどん余裕がなくなります。そもそもまともに病院に行ける時間もありません。周囲に「おしどり夫婦」と呼ばれたわたしたち夫婦の間には、気がつかないうちにどんどん亀裂が入り、気がついた時には、様々な事柄が塵も積もっては山となり、修復が不可能になりました。

 

「異を唱える時間」さえ、ない。

わたしたちは、たくさんの事情が重なり、雇われという形で加盟店の店長とマネージャーになりました。「気がついたらその立場にたっていた」そんなわたしたちにも問題はありました。その雇う側のオーナーのやり方にも問題は確かにありました。だけれどそれに異を唱える暇がなかったというのも事実です。生きていくために、その仕事を続けざるを得なかったし、その中でこなさなければならない業務がたくさんある。いつも時間がない。足りない。少しでも時間が出来れば、休みたい。「ちょっとそれおかしくないですか」そんな事を言うよりも、たとえば前述したように「今夜の夜勤がいない。どうにかしなければ」そんな目の前の問題を必死に乗り越えようとすることで、精一杯でした。

 

周囲が「まさか」と思うほどの水面下で。

わたしたち夫婦が未熟だったのもあったでしょう。おそらく経営者としては若い方だったと思います。そんなの言い訳にならないですね。「経営」を始めた時点で「未熟」は言い訳になりません。抱えるスタッフの生活だってかかっています。そう、やるしかないんです。いくら健康に害が出ようと、やるしかないんです。もしかしたら、わたしか主人どちらかが夜勤に徹すれば済んだ問題だったかもしれません。それでも、それよりもわたしたち夫婦は「夫婦の時間」も大切にした上でがんばりたかった。2人でたくさんたくさん試行錯誤しました。「こうしたらもっとスタッフが働きやすいのではないか」「こんなサービスをしたらお客様に喜んでもらえるのではないか」そんなわたしたち夫婦の工夫が評価されたこともたくさんありました。正直、本部の方から一目を置かれていた夫婦でした。「あそこの店舗の店長とマネージャーは素晴らしい」そんなお言葉もたくさんいただきました。本部からの視察があれば「ここはいつ来ても安心する」そんな感想もいただきました。「あなたの接客こそがこれからの時代にふさわしい」そんなことも言われました。なので、わたしたち夫婦が離婚をしたというのは、おそらく本部の方々から見ても常連のお客様から見ても「まさか」という出来事だったと思います。そんな素振りは、見せたことがありませんでした。離婚が決まり、それを報告した当時のスーパーバイザーにも、やはり驚かれました。「この2人に限って、そんなことが」それぐらい水面下で少しづつ少しづつ、ふたりの愛はすれ違っていっていました。仕事内容以外の「話し合う時間」が本当になかった。愛がすれ違う前に、お互いの気持ちを、思いを話し合う、そんな「愛し合う」ことに欠かせないことをする時間が、あの5年間にはなかった。

 

見方によっては「離婚」は「羨ましい出来事」

わたしたちは、雇われというかたちでしたから、離婚に踏み切れたというのももちろんあります。わたしたち夫婦自らが本部と契約を結んだのではない。基本的に加盟店は10年契約で、本部は夫婦での経営を勧めます。その10年の間、夫婦仲が冷え切りながらも、それでも契約終了まで運営を続けなければならない。そんな経営者のご夫婦から見れば、わたしたち夫婦が加盟店に加わってからわずか5年足らずで離婚をした、というのは、我慢が足りないという方もいらっしゃるでしょうし、見方を変えれば羨ましい出来事かもしれません。

 

それでも、彼との「未来」を信じていた。

今は仲違いをした夫とも和解をし、それぞれが、今愛すべき大切な人がいます。それでも。わたしたちが夫婦という家族であれた頃、「おじいちゃんおばあちゃんになったら、世界一周旅行にいこう!」そんな約束を交わしていました。そして、お互いに今の愛している人と出会えなくても、そんな人生もありだったなと未だに思います。彼と過ごす毎日は本当にしあわせだった。そんな夫と迎えるしあわせな老後を、わたしは心から夢見ていました。もしパラレルワールドというものがあるのなら、そんな彼としあわせな老後を迎えているわたしは、きっと毎日笑っていると思います。そのぐらい添い遂げたい人でした。そう思えるぐらい、愛していました。わたしの全身全霊をかけて、しあわせにしたい男性でした。

 

だからがんばれた。がんばってこれた。だけれど、きっとがんばりすぎました。そして「コンビニ業界」から離れ、もっと広い視野で、世界を見てみました。そんな中で改めて思います。「365日24時間営業は、もう古い」「コンビニはいつも開いている。そんな常識、壊れてしまえ」と。

 

そもそも「深夜営業」不要でしょ?

たとえば「コンビニは深夜の交番のような役割もしている」。確かに深夜のコンビニに助けられる夜もあるのでしょう。それでも、そもそも深夜にお店が開いているのが問題でしょう。だから外出する理由も増えて、危ない目にも遭いやすいのでしょう。それだけで深夜の犯罪が防げなくても、起こる理由のひとつにはなっているでしょう。夜に徘徊をしてしまうご老人を助けられた、という事例もあるのでしょう。わかる、わかるよ。それら全てを警察に任せるのも酷だなとは思います。いずれはわたしもそんな夜の徘徊をしてしまうかもしれません。でも、そんな時にコンビニや警察が助けてくれなかった、といったところで、おそらくわたしやその家族は責めません。

 

そんな便利さ、手放してしまえ。

そして確かに深夜も開いているお店というのは便利なのでしょう。「あれを買い忘れた」「急にこれが必要になった」そんな時に商品を購入し、かつインターネットでの買い物と違いすぐ手元に商品があるというのは、確かに便利かも知れません。だけれど、そんなお店の在り方で壊れる家族が他にもあるのなら、わたしはそんな便利さ要らない。便利さを追求するあまりに壊れる家族や愛があるのなら、そんな便利さなくなってしまえ。「家族」がしあわせでいられない仕事。それは、この世界にこれから先もあってほしくないです。ブラックな仕組みにでもしなければ成り立たない仕事なんて、人間が人間らしくいられない仕事なんて、それでも続けなければならない仕事なんて、なくなってしまえ。そのぐらいに思います。深夜のコンビニ以外のそんな便利さを手放してでも、わたしはきっとそう思います。そのぐらいわたしは「家族」というものが、この世界で最も大切にしたい存在のひとつです。そしてそのぐらい、誰もが「家族」を大切にしてほしいと思います。そこに血の繋がりがなくても、「仕事」より、信頼で結ばれた「家族」がいるのなら、どうか大切にして。と。

 

朝7時オープン。夜11時クローズ。せめて、それではダメですか?

わたしたち「夫婦」のような「家族」が壊れた悲劇は、深夜営業をやめるだけでも防げたようにも思います。そもそもコンビニは、朝7時オープン、夜11時クローズ。そんなセブンイレブンの名前の由来にもなった在り方から始まったはず。そんなコンビニの在り方では、だめですか?わたしはコンビニがなくなって欲しいとは思いません。わたしはコンビニが好きです。働くのも楽しかったし、買い物もするのも楽しいです。だからこそ、15歳の頃から、離れることはあっても人生で一番長い間その業界に携われました。

 

365日年中無休。これも異を唱える要素はあるけれど、まずは深夜営業をやめること。朝7時オープン、夜11時クローズ。そんなもともとのコンビニの在り方に戻ること。それは、そんなに「契約違反だ」と非難をされ、「便利じゃなくなる」「売上が下がる」と懸念をされ、避けなければなければならない事でしょうか。わたしは、そうは思いません。

 

深夜営業を打ち切った「ロイヤルホスト」その理由。

「提供できるサービスの質が下がるから」と、ロイヤルホストは比較的早い段階で深夜営業を打ち切りました。本当にその通りだし、世間が未だに便利さをひたすら求め続けている中でのこの決断は素晴らしかったと思います。そして見習うべきと思います。今やコンビニにも、お客様は高い質のサービスを求めておられます。正直お給料には見合っていないサービスの質を年々求められる傾向にあります。そして本部もそれを推奨しています。わかります。接客や商品のサービスが充実していれば、また行きたくなります。そうすれば売上は上がります。それならば、提供できるサービスの質を高めたいのならば、まず深夜営業を打ち切る。このアプローチは正しいと、わたしは感じます。夜勤はどうしても作業効率が下がります。それに対するクレームの対応だとか、どんどん仕事が増えます。

 

本当に、深夜営業は「無駄」じゃない?

そもそも深夜の間に得られる売上高ってたかがしれている。その間にかかる光熱費や人件費を考えると「ん?」ってなる。その深夜営業は、無駄ではないですか。本当に省けませんか。わたしは加盟店という立場から言えば、無駄だったと思っています。光熱費と人件費は加盟店負担ですもん。わたしが加盟店にいた頃に光熱費と人件費の補填が本部から出た記憶はありません。セブンイレブンは人件費の補填があるとも聞くし、今もし他のコンビニでも補填が出ているとしても、サービスの質を高めたいのなら、深夜営業はやめるべきと感じます。つけ加えるのではない。ちまちまとした無駄を省くのではない。「思いきって深夜営業をやめる」それで得られるものは大きいと思います。大きく無駄を省けば、捨てれば、それだけもっと良いサービスを提供できる余裕やスペースは必ず生まれます。

 

本当に、便利な世の中ですか。

昼間は学業、夜間は生活費を稼ぐためにお仕事。そんな方々にとって、コンビニの夜勤は確かにありがたい仕事かもしれません。生活がかかっています。わかる、わかるよ。わたしもたぶん同じ立場だったら、仕事を奪わないで!と、感じると思います。でも、なんだかもう、「みんながしあわせに」「全ての人に便利さを」それを追求しすぎて、何かもっと大切なものを、わたしたちは見失いつつありませんか。果たしてそれで本当に、みんながしあわせになっていますか。本当に便利な世の中ですか。「業務過多」「睡眠不足」から心身の健康は損なわれていませんか。この先ずっと同じ働き方が出来ますか。心身の健康が損なわれ、身体も心もいうことのきかない「うつ病」になる人生は、しあわせですか。わたしは「うつ病」も経験し、今も完全には完治や寛解に至っていないことから断言できます。「うつ」はひとつの地獄です。がんばってきたはずが、なぜか地獄に行くのです。しあわせとは真逆です。そんな「うつ」が酷い時、もちろん金銭的にも不自由します。働けません。「生活のためにお金を稼ぐ」どころではなくなってしまうのです。本末転倒ではないでしょうか。そんな世界は、あなたにとって優しいですか。易しいですか。「便利な世の中だ!」と、手放しで喜べますか。

 

深夜営業中にする業務、本当に深夜にやる意味ある?

「コンビニの深夜営業にも意味がある」という記事を目にしたこともあります。主に清掃と商品補充が挙げられていました。雑誌の返品作業とか。それ、わざわざ深夜にやらなければなりませんか。来店人数が少ないからこそ出来る業務だと書かれていましたが、そんなことはありません。仮に夜11時に営業終了できるなら、おそらくわたしと主人はそれまでに終わらすことが出来たと思います。そのぐらいの実力はありました。ダラダラと営業を永遠に続けている状態だから、作業効率も上がらない。モチベーションも上がらない。「終わり」が目に見えることでがんばれる事ってあります。そして仮に終わらなかったとして、「明日続きをしよう」それのどこが悪いのでしょう。「最低限終わらせなければならないことは済ませた」その状態で一旦お店を閉める。それはそんなに非常識ですか。24時間365日電気の明かりが消えない、それはこれからも頑なに続けなければならない「常識」ですか。

 

加盟店側の「麻痺してしまう感覚」

年中無休については、なかなか改善が難しいかも知れません。まぁ正直に毒を吐くとするなら、なんで加盟店はお正月も年末も関係なく営業を続けているの?本部は休むじゃん。スーパーバイザーも土日は基本的に休み。年末年始も休み。なんで加盟店は意地で運営続けてるの?直営店もある?その店長はいつかスーパーバイザーになるよ?とか色々と出てはきますが、わたしは年に1回「この日だけは1日中お店を閉めます」の日があるだけでも充分だよ。ぐらいには感覚が麻痺していました。そのぐらい加盟店の方々、感覚が麻痺していること多いのではないかと思います。なんだかもう、おかしいでしょ。「それだけでも…」とお願いをしたくなる、そして契約内容を思い出し、契約違反になる…違約金が…。完全に現代の奴隷的な思考回路になってしまいます。正直にお話すると、夜間お店を閉めたことのある店舗も知っています。もちろん本部から多大な違約金と罰が科せられました。「夜は休む」そんな当たり前のことが「罪」になる。そもそもそこからおかしいんだよ。そろそろ気づこうよ。「24時間がんばれますか♪」ふざけんながんばれるわけないだろいい加減にしろ。

 

最後に

ところどころきつい口調や最後に汚い毒を吐いてしまったなとは思います。ですがこれが今のわたしの本音です。そして。コンビニ業界の本部上層部の役員の方々には、「コンビニ業界の常識」と呼ばれる「365日24時間営業」という在り方が、ひとつの「家族」を壊したのだという現実がここに在ることを、どうかこのわたしの言葉をどこかで見ることがあったら、忘れないでいてほしい。それに対する慰謝料とかいらない。何でもお金で解決できると思わないでいただきたい。

 

「家族」それが壊れてまで続ける仕事は、必要ですか。「深夜営業をやめる」それは、そんなにハードルの高いことで、罪なことですか。「コンビニはいつも開いている」そんな常識が変わるまで、わたしは異を唱え続けます。せめて、朝7時オープン。夜11時クローズ。あなたとコンビに、まちのホッとステーション、「7-11」いい気分。コンビニ24時間営業、ダメ。絶対。

 

 

葉月ひろな

Twitter @hazukihirona

hazukihirona@gmail.com

きっと誰もが「メッセンジャー」

みなさま、こんばんは。お久しぶりです。葉月ひろなです。「Twitter(@hazukihirona)での140文字ではおさまらない言の葉たち」を綴りたくて始めたこのブログ。最近は140文字に前ほど「限界」を感じなくなり(連投すればよいと学んだ)、Twitterの世界でばかり言葉を紡ぐ日々でした。その中でも学べることや気づきを得られることが多く、「想いや迷いはアウトプットすることで再びインプットされ、解決策にも結びつく」ことを毎日実感しております。きっと何事もひとりきりで抱え込んではいけないのだ。心の中でだけで留めていてはいけないのだ。「つぶやく」ことから、見えてくる世界がある。広がる世界がある。誰かからアドバイスが欲しいのではなく「誰かが見てくれている」そんな安心感の中で導き出される答えも、きっとある。
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ブログを更新していない間にも、私生活で様々な変化がありました。1年半前に離婚をした夫との和解。その夫との間に飼っていた愛兎のお墓参り。そしてわたしは働いていた職場を離職しました。「なにがあったし」という感じですね。「必要なことが起こり、不要なものが離れていった」のだと思っております。そんな中で、日々当たり前のように触れているスピリチュアルの世界。当たり前のように揺れている5次元と3次元の狭間。その中でのわたしの命の役割、わたしの魂が今世をかけて「やりたい」と志していたものが、少しずつ見えてきた気がしています。
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おそらく誰もがそうであるように、わたしの命は、魂は「メッセンジャー」の1人なのだと思いました。「想いを音楽にのせて届ける」「芸術に馳せて届ける」「踊りで魅せて届ける」そんなたくさんのメッセンジャーの中で、きっとわたしは「言葉で届ける」ことを今回選んだのだと思います。もしかしたら、根っからの「言葉で届ける」気質の魂なのかもしれません。もし前世というものが本当にあるのなら、わたしはどこかの国、どこかの時代で、何か「物語」や「エッセイ」という形で、当時の想いを書物に遺したのではないか。そんな夢物語を、わたしは信じたくなるのです。だから今世生まれた日本で、幼い頃から漢字辞典を最初から読んだり、漢字・ひらがな・カタカナをきれいに書こうとしたりする努力を惜しまなかったのだ。と。今回の母語である「正しい日本語」を学ぶことに、無意識に子どもの頃から、あんなにも必死だったのだ。と。
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「ツインレイ」かもしれない年下のベトナム人男性と出逢ったことで、わたしの霊性は確かに開花しました。彼と出逢った当時は、ひたすら「良いもの悪いもの関係なく引き寄せ」、「とても偶然とは思えない出来事や出逢いの繰り返し」で、そんな世界に戸惑うばかりでしたが、彼との別れから1年半が経とうとしている今、それはわたしの中で「当たり前」であると感じれるぐらいには、現実の世界に落としこむことができるようになってきました。なので、どこからどこまでが「スピリチュアル」で、どこからどこまでが「3次元」なのかの境が曖昧になってきたとも言えます。現実的な話をしているつもりが、いやそれスピリチュアルだよ!ということもしばしばです。わたしはそんな時、自覚がなかったために思わず笑ってしまうのですが、なかなか「わたしらしく」なってきたな。と思わずにいられないのです。ルパン三世でいうところの次元の台詞「面白くなってきやがった」という感覚に近いものがあります。きっとわたしは、ようやく魂の本来の願いに沿う道を、進み始めることができているのかもしれません。だってそんな時、わたしの魂は、輝いている。「楽しい」って。
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Twitter(@hazukihirona)のアカウントで繰り返しつぶやいていることですが、わたしたちの魂は、この世界に「我慢」をしにきたのでも「辛抱」をしにきたのでもありません。もしかしたら、そんな時代もあったのかもしれません。それでもわたしたちの魂は、思わず涙のあふれる幸せも、胸がはち切れんばかりの悲しみも、すべて「楽しみにきた」のです。そんな中で「様々な愛のかたち」を学びに。わたしの魂は、今回の地球旅行という人生のオプションに「発達障害」「諸々の精神疾患」をつけ加えたようです。身体的な障がいではないとはいえ、これ思ってたよりハードル高いよ?耐えきれずにリストカットしたり、飛び降りたりしちゃったじゃん。こんな上がったり下がったりのジェットコースターは正直得意じゃないです。もういやだ、責任持ってお前が乗れよ!わたしか。そっか…降りれないのか。いくら命を絶とうとしても無理だったしな。まだ帰る時間じゃないみたい。困った。どうしよう。また登っていってる。なんかもうこのジェットコースター楽しむしかないや。という諦めにも似た、潔い気持ちになれます。それなりの年齢を重ねたから。も、あるかもしれませんが。もし今回の人生を仮に「ハードモード」だとするのなら、そんなゲームを選んだわたし自身を、わたしは嫌いじゃない。「まじふざけんな」と思うこともある。でもなぜか嫌いになれない。わたしらしいな。と、諦めてしまえるのです。
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「諦め」とは決してネガティブなことではありません。「こうあるべき」「こんな風に生きるべき」そんな見えない鎧に包まれたままジタバタするよりは、「諦め」て「受け入れて」しまった方が、きっと負担も波動も軽くなる。そんな軽い波動は、重たさに抗いながら生きるよりは、きっと高い。もっと、もっと軽くなりたい。もっと高いところに行ってみたい。この人生のステップも、楽しみにきたのだから。
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「生き方」「在り方」そんなものは、本来十人十色で、それぞれ違って当たり前で、変えようとしたり、隙間を埋めようと平らにならしたりする必要はないはず。この日本では個人の個性は尊重されず、「普通」で在ること、「みんなと同じ」で在ること。行列があれば、前、ならえ。そんな不自然なことばかりが尊重され、そんな不自然さに、多くの人が悩まされているように感じます。確かに社会生活を営む上で、ある程度の「前ならえ」は必要です。秩序は必要。でも、行列にうまく並べないわたしたちが居る。そんな「グレーゾーン」は、無理やり塗りつぶす必要はない。白黒写真だって、白か黒かだけじゃきれいな写真にならない。濃いグレー、薄いグレー、たくさんの濃淡のグレーがあって、はじめて美しい写真になる。いろんな色があっていい。きっとあなたは、いい味出している。いいアクセントになっている。金子みすゞさんの言葉「みんな違って、みんないい」。だから、世界は美しい。わたしには、この世界はそう見えます。
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わたしは先日、いわゆる「社会復帰」を諦めました。大好きだった接客業も、他のどんな仕事も、なぜかいつも同じところでつまづくのです。それを「わたしの進む道はこっちじゃない」のサインと受け止め、「会社勤めをする」という、いわゆる「外に働きに出る社会復帰」を諦めました。そもそもわたし、中学からまともに学校にも通えていないし。「どうやっても出来ないぃぃぃぃぃぃ!」ことをしようとすることを、手放しました。もちろん生活費を稼ぐために、働くことはしなければなりません。でも。今インターネットがこれだけ普及しているし、なんとかなるわ。それを駆使して生きていこう。得意なことがないわけじゃないし、「なんとかなる」と思いながら、なんとかしていこう。わたしの長年の悩みや心の重荷が、ようやく軽くなった「諦め」でした。
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最近読んだ坂爪圭吾さんのブログいばや通信にも感銘を受けました。なのでこれは坂爪さんの受け売りなのですが、こんなわたしの「生き方」そして世界での「在り方」それらすべてを、すぐにうまく言葉で現せなくても、こうしてインターネットの片隅に永遠に遺し続けることができなくても、わたしなりの「生き方」や「在り方」それがどなたかの心に残り、響いてもらえたらうれしい。と思います。「こんな生き方もあるのよ」と。そんな「生き方」「在り方」は有りなのよ。と。これからも体現できたら。そんなわたしの「生き方」「在り方」がそのまま「遺言」になればいい。生き様が遺言になればいい。いばや通信の坂爪圭吾さんのような、そんな「メッセンジャー」にわたしはなりたい。そう、心から思います。
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世界各地に居るたくさんのライトワーカー。それは主に「ヒーラー」「メッセンジャー」「トランスミューター」に分けられます。ヒーラーとは人を癒やす人。看護師やカウンセラーもヒーラーです。メッセンジャーとは想いを伝える人。音楽家や芸術家、ダンサーや文筆家もメッセンジャーです。トランスミューターとは失敗を笑いに変える人。お笑い芸人さんもトランスミューターです。

 

でもわたしは、きっと誰もがメッセンジャーだ。と思います。あなたにしか伝えられない想いが必ずある。あなたにしか伝えられない愛が必ずある。きっとわたしにもある。だから、わたしは生きていく。だから、あなたも生きてほしい。大丈夫。きっと、大丈夫。

 

昔読んだ海外の老婦人の自叙伝の本の中に「春がくる度に、奇跡だわ。と毎年思う」という言葉がありました。素敵な貴婦人ですね。これからも冬は訪れる。それでも必ず春がくる。そんな奇跡は毎年起きている。そして、中学時代に通っていた塾の国語の恩師の言葉に「人生であと何回、桜の季節を見れるのか?」という問いかけがありました。わたしはそれを聞いた瞬間、どうしようもない恐怖を感じました。当時15歳だったわたしは、あと65回ぐらいかな?と考えると、言葉にあらわせない恐怖を覚えました。次の春の桜を必ず見れるわけではないのだ。そんな感覚もあったのかもしれません。それでも。今年も、春がきた。大丈夫、奇跡はまた起きた。「きっとこれからも大丈夫」そう思える、春がきた。顔を上げようと思った。目線を高くしようと思った。背筋をもう一度伸ばしてみよう、と思った。実際に目にすることができる桜の花が、もしあと45回ぐらいだとしても。それよりも少なくても。わたしはわたしの人生に何度でも花を咲かせてみせよう。小さかったら笑ってよ。大きかったら驚いてよ。そんなたくさんの花束を抱えて、わたしはいつか誇らしげに空に還るから。今流す涙が、その花をもっと美しくするのだと信じている。あなたの人知れず流す涙も、心が凍てつくような人生の冬とも思える日々も、想像以上の美しい花になる。きっと想像以上の輝きの中で花を咲かせる。それを「奇跡」が起きたとこれからも何度でも思える。だから、わたしもあなたも、どうか、生きて。生きて。生きて。生きて。

 

大丈夫。思っていたよりも、この世界は優しくて易しい。自分を傷つけないで、自分に優しくしてあげて。わたしたちが愛すべきはきっと、わたしたち自身だから。今「光の時代」が始まりました。扉をあけて。鍵はもう手にしているはず。鍵穴に合わせてみて。そう、あなた自身の「想い」「願い」「愛」がぴたりとはまります。未来のあなたと過去のあなたが、今のあなたにエールを送っている。頑なに張らなくていい。そんな「頑張る」よりは「楽しもう」。涙のあとには必ず笑顔が咲きます。明日も、この世界をともに参りましょう。

 

 

わたしはここにいるよ。

 

 

葉月ひろな

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