わたしはここにいるよ

インターネットの片隅で愛を叫ぶ

コンビニ24時間営業、ダメ。絶対。

みなさま、こんにちは。葉月ひろなです。わたしは、あまり「否定」というものが好きではありません。できる限りすべての事柄を「肯定的」に受け止めたいし、あまり批判めいたことは口にしたくない。とも思います。不登校?そっか、自分を大事にしたいんだね。仕事を辞めた?おめでとう!次のステージへの扉がひらいたね。同性愛?あなた素敵な心を持ってる。わたしは本当にそう思う。一般的にいわれる「こうあるべき」それを押し付けたくないし、わたしも押し付けられたくなんかない。どの道に進んでも正しいよ。たとえ間違ったとしても、それは「正しく間違って」いるよ。わたしはずっとそう信じてきたし、それはやはり正解だったと感じています。すべての出来事には意味があり、すべての出逢いにも意味があり、「愛のかたち」は本当に人それぞれで十人十色で、なにも無駄なことなんてない。このブログでもTwitter(@hazukihirona)でも繰り返し言葉にしていることです。本当にその通りだから。何事も「肯定」したい。やみくもに「否定」したくない。何事も「正解だよ」と、わたしは言い続けたい。
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それでも。わたしはこの世界でひとつだけ、どうしても異を唱えたい事があります。ずっと、それをブログに書かなければ。いつか言葉にしなければ。それもわたしの命の役目で役割だ。そう思ってきました。それは「コンビニ業界」における、365日24時間いつもお店が開いているという「コンビニの在り方」の「常識」となっているもの。それ、そろそろぶっ壊れていいよ。そのぐらいの否定的な思いを、わたしは長いこと抱え続けております。かつて、11年の人生を共に歩んだ、心から愛していた夫と、雇われというかたちではありましたが、一加盟店としてコンビニを経営する立場にあったからです。結論から先に言いましょう。「いついかなる時も365日24時間営業」。それがわたしたち「夫婦」という「家族」を壊したんだよ。

 

恨んでいる?確かにそうかも知れません。未だにふざけんなと思います。離婚の原因はそれだけだった?いいえ、そんなことはありません。ていうかその道を選んだのはあなたたち自身でしょ?その仕事を選んだのも、離婚を選んだのも。その通りです。それでも。「もしコンビニが365日24時間運営じゃなかったら」わたしたち夫婦は壊れなかったかもしれない。離婚から1年半が経とうとしている今でも、離婚を肯定的に受け止められている今でも、先日その別れた夫と和解ができた今でも、そう思うのです。

 

なんで、足し算ばかりなの?なんで、深夜営業やめないの?

離婚から約1年半が経ち、今のコンビニ業界がどのような道をこれから進もうとしているのか、わたしはその詳しいことは正直知り得ません。ただ、ほんのわずか1年半前まで、ついこの間まで、確かにコンビニ業界の本部上層部の方々は「コンビニは深夜の交番のような役割もしている」だとかいうことを、サラッと平気で言葉にし、サービス過多でしょうよ、ということを平気で業務に付け加えてきました。おそらくそんな会議室にいた方々の多くが現場を知りません。それを見直そうとしてくださった上層部役員の方がいらっしゃったのも知っております。その後少しづつ見直しがされていることも。でもね。目のつけどころがいつも違うの。変えてほしいのは、改善してほしいのはそこじゃないの。「深夜営業をやめる」どうして頑なに、それをしようとしないのか。わたしには理解ができないのです。

 

ようやく始まった「引き算」の目の付けどころが、違う。

「頭髪の色への規定を見直し、もっと自由にします!」違う。そこじゃない。合ってはいるけれど、合ってはいるけれどなにか違う。それで心の底から救われる加盟店はたぶんそんなには多くない。「お客様に使う日付印と業者に使う収納印を統一します!」それをしたところで作業効率あんまり変わらないんですよ。いやそんな無駄を省くことも必要だけれど、まずすべきはそこじゃない。もっと無駄になっているところが他にもあるよ。確かにこの2つは改善がしやすいとは思います。予算もまだ少なく済む方だとは思います。アプローチがしやすい。そしてその頭髪の色の自由化も無駄の省き方も、間違ってはいないのだけれど、いつも目のつけどころが、加盟店の需要とちょっと微妙にずれている。そう感じざるを得ません。

 

「加盟店の立場」よりも「売上重視」

いや、むしろなんでもっと早くそんな規定や業務を見直そうとしてくれなかったの。なんで新しく社長に就任した方が、実際に現場に立つことから言わないと始まらなかったの。「これはどう考えても不可能な業務内容の要求です。時間的にも無理。空間的にも無理。わたしたちはロボットじゃない!」思わずそう言いくなるような無理強いばかりして、売上を伸ばすことしか頭になくて、加盟店として働く側のことよりもいつもいつもお客様と売上優先で、365日24時間運営はどこまでいっても基本的に「当たり前」だから、わたしたち夫婦は壊れたよ。一度壊れたものは完全にはもとに戻らないんだよ。夫婦はもともと他人でしょ?いいえ。わたしたち夫婦は「家族」でした。わたしにとっては、この世界でたったひとりのたいせつな大切な「家族」でした。

 

時には当たり前な「人手不足」そんな中での「業務過多」

今やどの業界もそうだと思うのですが、どこも基本的に人手不足です。そもそも戦力になってくださるスタッフが足りないのです。いくら募集をかけてもなかなか人手が集まらない。なんだかもうこれも時には「当たり前」なのです。やっと応募がきた!面接した!採用します!と思っても、そのスタッフがひとり立ち出来るまでの期間も人それぞれだし、そもそも教えなければならない業務が多すぎる。わたしは19年前からコンビニ業界の仕事を知っています。セブンイレブン以外はある程度携わったことがあります。15歳の頃から、おそらく一番長い期間その内容に触れてきた仕事です。いや、業務、増え過ぎだよね。今や「これで研修は終わりね」とはなかなか心の底から言えない仕事内容です。だからその仕事に就くのを懸念される方が多いのではないかとも思います。

 

人手がいない?そっか。それでも、お店閉めないでね?

それでも、いくら人手が足りなくても、戦力になれるスタッフがいなくても「お店は閉められない」。だから基本的にどの加盟店も意地で経営者が運営をし続けます。確かにオープン当初は本部の方がかなり応援に来てくださいますし、本当にどうしようもない時はシフトに入ってくださる事もあると聞きますが、わたしたち夫婦は「複数店舗経営のオーナーの雇われ」であることから、「複数店舗あるなら、助け合えるよね。応援要らないよね?」という理由から、どんなに人手不足でも、本当に意地で経営を続けました。たとえ1人きりだろうと。何日も寝ていなかろうと。体調を崩していようと。接客中におつりを渡しながら寝てしまうことがあっても。「だってそういう契約だもんね」その言葉が足かせとなり続けて。場所によっては、経営者よりもスタッフさんが努力を続けているから成り立っているお店も確かにあります。が、わたしはコンビニに行くと、いつも経営者と思われる方が「疲れ果てているな」と感じることが多いです。

 

スタッフの当日欠勤は、責めることではない。そして「1人体制」のシフトもある。

たとえば、スタッフが勤務日当日に「すみません、今夜の夜勤出れません」ということももちろんあるのです。それは責めることではありません。事情があります。そして、もともとシフトが夜勤1人体制ということも、もちろんあるのです。あり得ないことではないのです。人件費の兼ね合いもありますが、そもそも夜勤が出来るスタッフが少ない、いない、というのも理由のひとつです。そんな時に欠勤があったらどうするか。正直「欠勤はまじ勘弁…」といつも感じてしまいます。それでもどうにもならない事情がスタッフにもあります。そして、他のスタッフに連絡をとってみてもだめだった場合どうするのか。昼間クタクタになるまで働いた店長またはマネージャーが寝ずに夜勤をします。その次の日ももちろん仕事です。

 

365日無休の「発注業務」と「精算業務」

店長やマネージャーが必ずしもシフトには入らないとはいえ、発注・精算業務は365日休めません。シフトに入りながらこなすことも多いです。接客しながら発注、接客しながら精算業務。そしてこの2つの業務だけは、なかなかスタッフに丸ごと任せられません。手伝ってもらうことはあっても。そして「365日24時間」いついかなる時も、お店は閉めてはいけません。「そういう契約だから」。

 

過酷な業務から、健康に害が出始める。

それでもわたしは、コンビニの仕事が好きでした。そして店長である主人を心から愛していました。だからわたしは、主人を助けたかった。主人の担当である業務も必死に覚えては代わりました。わたしが寝ずに夜勤をしたりもしました。それでも、過酷な業務や睡眠不足から健康に害が出てくれば、お互いにどんどん余裕がなくなります。そもそもまともに病院に行ける時間もありません。周囲に「おしどり夫婦」と呼ばれたわたしたち夫婦の間には、気がつかないうちにどんどん亀裂が入り、気がついた時には、様々な事柄が塵も積もっては山となり、修復が不可能になりました。

 

「異を唱える時間」さえ、ない。

わたしたちは、たくさんの事情が重なり、雇われという形で加盟店の店長とマネージャーになりました。「気がついたらその立場にたっていた」そんなわたしたちにも問題はありました。その雇う側のオーナーのやり方にも問題は確かにありました。だけれどそれに異を唱える暇がなかったというのも事実です。生きていくために、その仕事を続けざるを得なかったし、その中でこなさなければならない業務がたくさんある。いつも時間がない。足りない。少しでも時間が出来れば、休みたい。「ちょっとそれおかしくないですか」そんな事を言うよりも、たとえば前述したように「今夜の夜勤がいない。どうにかしなければ」そんな目の前の問題を必死に乗り越えようとすることで、精一杯でした。

 

周囲が「まさか」と思うほどの水面下で。

わたしたち夫婦が未熟だったのもあったでしょう。おそらく経営者としては若い方だったと思います。そんなの言い訳にならないですね。「経営」を始めた時点で「未熟」は言い訳になりません。抱えるスタッフの生活だってかかっています。そう、やるしかないんです。いくら健康に害が出ようと、やるしかないんです。もしかしたら、わたしか主人どちらかが夜勤に徹すれば済んだ問題だったかもしれません。それでも、それよりもわたしたち夫婦は「夫婦の時間」も大切にした上でがんばりたかった。2人でたくさんたくさん試行錯誤しました。「こうしたらもっとスタッフが働きやすいのではないか」「こんなサービスをしたらお客様に喜んでもらえるのではないか」そんなわたしたち夫婦の工夫が評価されたこともたくさんありました。正直、本部の方から一目を置かれていた夫婦でした。「あそこの店舗の店長とマネージャーは素晴らしい」そんなお言葉もたくさんいただきました。本部からの視察があれば「ここはいつ来ても安心する」そんな感想もいただきました。「あなたの接客こそがこれからの時代にふさわしい」そんなことも言われました。なので、わたしたち夫婦が離婚をしたというのは、おそらく本部の方々から見ても常連のお客様から見ても「まさか」という出来事だったと思います。そんな素振りは、見せたことがありませんでした。離婚が決まり、それを報告した当時のスーパーバイザーにも、やはり驚かれました。「この2人に限って、そんなことが」それぐらい水面下で少しづつ少しづつ、ふたりの愛はすれ違っていっていました。仕事内容以外の「話し合う時間」が本当になかった。愛がすれ違う前に、お互いの気持ちを、思いを話し合う、そんな「愛し合う」ことに欠かせないことをする時間が、あの5年間にはなかった。

 

見方によっては「離婚」は「羨ましい出来事」

わたしたちは、雇われというかたちでしたから、離婚に踏み切れたというのももちろんあります。わたしたち夫婦自らが本部と契約を結んだのではない。基本的に加盟店は10年契約で、本部は夫婦での経営を勧めます。その10年の間、夫婦仲が冷え切りながらも、それでも契約終了まで運営を続けなければならない。そんな経営者のご夫婦から見れば、わたしたち夫婦が加盟店に加わってからわずか5年足らずで離婚をした、というのは、我慢が足りないという方もいらっしゃるでしょうし、見方を変えれば羨ましい出来事かもしれません。

 

それでも、彼との「未来」を信じていた。

今は仲違いをした夫とも和解をし、それぞれが、今愛すべき大切な人がいます。それでも。わたしたちが夫婦という家族であれた頃、「おじいちゃんおばあちゃんになったら、世界一周旅行にいこう!」そんな約束を交わしていました。そして、お互いに今の愛している人と出会えなくても、そんな人生もありだったなと未だに思います。彼と過ごす毎日は本当にしあわせだった。そんな夫と迎えるしあわせな老後を、わたしは心から夢見ていました。もしパラレルワールドというものがあるのなら、そんな彼としあわせな老後を迎えているわたしは、きっと毎日笑っていると思います。そのぐらい添い遂げたい人でした。そう思えるぐらい、愛していました。わたしの全身全霊をかけて、しあわせにしたい男性でした。

 

だからがんばれた。がんばってこれた。だけれど、きっとがんばりすぎました。そして「コンビニ業界」から離れ、もっと広い視野で、世界を見てみました。そんな中で改めて思います。「365日24時間営業は、もう古い」「コンビニはいつも開いている。そんな常識、壊れてしまえ」と。

 

そもそも「深夜営業」不要でしょ?

たとえば「コンビニは深夜の交番のような役割もしている」。確かに深夜のコンビニに助けられる夜もあるのでしょう。それでも、そもそも深夜にお店が開いているのが問題でしょう。だから外出する理由も増えて、危ない目にも遭いやすいのでしょう。それだけで深夜の犯罪が防げなくても、起こる理由のひとつにはなっているでしょう。夜に徘徊をしてしまうご老人を助けられた、という事例もあるのでしょう。わかる、わかるよ。それら全てを警察に任せるのも酷だなとは思います。いずれはわたしもそんな夜の徘徊をしてしまうかもしれません。でも、そんな時にコンビニや警察が助けてくれなかった、といったところで、おそらくわたしやその家族は責めません。

 

そんな便利さ、手放してしまえ。

そして確かに深夜も開いているお店というのは便利なのでしょう。「あれを買い忘れた」「急にこれが必要になった」そんな時に商品を購入し、かつインターネットでの買い物と違いすぐ手元に商品があるというのは、確かに便利かも知れません。だけれど、そんなお店の在り方で壊れる家族が他にもあるのなら、わたしはそんな便利さ要らない。便利さを追求するあまりに壊れる家族や愛があるのなら、そんな便利さなくなってしまえ。「家族」がしあわせでいられない仕事。それは、この世界にこれから先もあってほしくないです。ブラックな仕組みにでもしなければ成り立たない仕事なんて、人間が人間らしくいられない仕事なんて、それでも続けなければならない仕事なんて、なくなってしまえ。そのぐらいに思います。深夜のコンビニ以外のそんな便利さを手放してでも、わたしはきっとそう思います。そのぐらいわたしは「家族」というものが、この世界で最も大切にしたい存在のひとつです。そしてそのぐらい、誰もが「家族」を大切にしてほしいと思います。そこに血の繋がりがなくても、「仕事」より、信頼で結ばれた「家族」がいるのなら、どうか大切にして。と。

 

朝7時オープン。夜11時クローズ。せめて、それではダメですか?

わたしたち「夫婦」のような「家族」が壊れた悲劇は、深夜営業をやめるだけでも防げたようにも思います。そもそもコンビニは、朝7時オープン、夜11時クローズ。そんなセブンイレブンの名前の由来にもなった在り方から始まったはず。そんなコンビニの在り方では、だめですか?わたしはコンビニがなくなって欲しいとは思いません。わたしはコンビニが好きです。働くのも楽しかったし、買い物もするのも楽しいです。だからこそ、15歳の頃から、離れることはあっても人生で一番長い間その業界に携われました。

 

365日年中無休。これも異を唱える要素はあるけれど、まずは深夜営業をやめること。朝7時オープン、夜11時クローズ。そんなもともとのコンビニの在り方に戻ること。それは、そんなに「契約違反だ」と非難をされ、「便利じゃなくなる」「売上が下がる」と懸念をされ、避けなければなければならない事でしょうか。わたしは、そうは思いません。

 

深夜営業を打ち切った「ロイヤルホスト」その理由。

「提供できるサービスの質が下がるから」と、ロイヤルホストは比較的早い段階で深夜営業を打ち切りました。本当にその通りだし、世間が未だに便利さをひたすら求め続けている中でのこの決断は素晴らしかったと思います。そして見習うべきと思います。今やコンビニにも、お客様は高い質のサービスを求めておられます。正直お給料には見合っていないサービスの質を年々求められる傾向にあります。そして本部もそれを推奨しています。わかります。接客や商品のサービスが充実していれば、また行きたくなります。そうすれば売上は上がります。それならば、提供できるサービスの質を高めたいのならば、まず深夜営業を打ち切る。このアプローチは正しいと、わたしは感じます。夜勤はどうしても作業効率が下がります。それに対するクレームの対応だとか、どんどん仕事が増えます。

 

本当に、深夜営業は「無駄」じゃない?

そもそも深夜の間に得られる売上高ってたかがしれている。その間にかかる光熱費や人件費を考えると「ん?」ってなる。その深夜営業は、無駄ではないですか。本当に省けませんか。わたしは加盟店という立場から言えば、無駄だったと思っています。光熱費と人件費は加盟店負担ですもん。わたしが加盟店にいた頃に光熱費と人件費の補填が本部から出た記憶はありません。セブンイレブンは人件費の補填があるとも聞くし、今もし他のコンビニでも補填が出ているとしても、サービスの質を高めたいのなら、深夜営業はやめるべきと感じます。つけ加えるのではない。ちまちまとした無駄を省くのではない。「思いきって深夜営業をやめる」それで得られるものは大きいと思います。大きく無駄を省けば、捨てれば、それだけもっと良いサービスを提供できる余裕やスペースは必ず生まれます。

 

本当に、便利な世の中ですか。

昼間は学業、夜間は生活費を稼ぐためにお仕事。そんな方々にとって、コンビニの夜勤は確かにありがたい仕事かもしれません。生活がかかっています。わかる、わかるよ。わたしもたぶん同じ立場だったら、仕事を奪わないで!と、感じると思います。でも、なんだかもう、「みんながしあわせに」「全ての人に便利さを」それを追求しすぎて、何かもっと大切なものを、わたしたちは見失いつつありませんか。果たしてそれで本当に、みんながしあわせになっていますか。本当に便利な世の中ですか。「業務過多」「睡眠不足」から心身の健康は損なわれていませんか。この先ずっと同じ働き方が出来ますか。心身の健康が損なわれ、身体も心もいうことのきかない「うつ病」になる人生は、しあわせですか。わたしは「うつ病」も経験し、今も完全には完治や寛解に至っていないことから断言できます。「うつ」はひとつの地獄です。がんばってきたはずが、なぜか地獄に行くのです。しあわせとは真逆です。そんな「うつ」が酷い時、もちろん金銭的にも不自由します。働けません。「生活のためにお金を稼ぐ」どころではなくなってしまうのです。本末転倒ではないでしょうか。そんな世界は、あなたにとって優しいですか。易しいですか。「便利な世の中だ!」と、手放しで喜べますか。

 

深夜営業中にする業務、本当に深夜にやる意味ある?

「コンビニの深夜営業にも意味がある」という記事を目にしたこともあります。主に清掃と商品補充が挙げられていました。雑誌の返品作業とか。それ、わざわざ深夜にやらなければなりませんか。来店人数が少ないからこそ出来る業務だと書かれていましたが、そんなことはありません。仮に夜11時に営業終了できるなら、おそらくわたしと主人はそれまでに終わらすことが出来たと思います。そのぐらいの実力はありました。ダラダラと営業を永遠に続けている状態だから、作業効率も上がらない。モチベーションも上がらない。「終わり」が目に見えることでがんばれる事ってあります。そして仮に終わらなかったとして、「明日続きをしよう」それのどこが悪いのでしょう。「最低限終わらせなければならないことは済ませた」その状態で一旦お店を閉める。それはそんなに非常識ですか。24時間365日電気の明かりが消えない、それはこれからも頑なに続けなければならない「常識」ですか。

 

加盟店側の「麻痺してしまう感覚」

年中無休については、なかなか改善が難しいかも知れません。まぁ正直に毒を吐くとするなら、なんで加盟店はお正月も年末も関係なく営業を続けているの?本部は休むじゃん。スーパーバイザーも土日は基本的に休み。年末年始も休み。なんで加盟店は意地で運営続けてるの?直営店もある?その店長はいつかスーパーバイザーになるよ?とか色々と出てはきますが、わたしは年に1回「この日だけは1日中お店を閉めます」の日があるだけでも充分だよ。ぐらいには感覚が麻痺していました。そのぐらい加盟店の方々、感覚が麻痺していること多いのではないかと思います。なんだかもう、おかしいでしょ。「それだけでも…」とお願いをしたくなる、そして契約内容を思い出し、契約違反になる…違約金が…。完全に現代の奴隷的な思考回路になってしまいます。正直にお話すると、夜間お店を閉めたことのある店舗も知っています。もちろん本部から多大な違約金と罰が科せられました。「夜は休む」そんな当たり前のことが「罪」になる。そもそもそこからおかしいんだよ。そろそろ気づこうよ。「24時間がんばれますか♪」ふざけんながんばれるわけないだろいい加減にしろ。

 

最後に

ところどころきつい口調や最後に汚い毒を吐いてしまったなとは思います。ですがこれが今のわたしの本音です。そして。コンビニ業界の本部上層部の役員の方々には、「コンビニ業界の常識」と呼ばれる「365日24時間営業」という在り方が、ひとつの「家族」を壊したのだという現実がここに在ることを、どうかこのわたしの言葉をどこかで見ることがあったら、忘れないでいてほしい。それに対する慰謝料とかいらない。何でもお金で解決できると思わないでいただきたい。

 

「家族」それが壊れてまで続ける仕事は、必要ですか。「深夜営業をやめる」それは、そんなにハードルの高いことで、罪なことですか。「コンビニはいつも開いている」そんな常識が変わるまで、わたしは異を唱え続けます。せめて、朝7時オープン。夜11時クローズ。あなたとコンビに、まちのホッとステーション、「7-11」いい気分。コンビニ24時間営業、ダメ。絶対。

 

 

葉月ひろな

Twitter @hazukihirona

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