わたしはここにいるよ

インターネットの片隅で愛を叫ぶ

これから精神科の未来を考えるー追伸を添えて

みなさま、こんばんは。葉月ひろなです。今まで執筆・投稿をしました記事の中で、わたしは「心の病」を15歳のときに診断され、いまだに完治にいたっていないと記して参りました。「心の病」との表現しかしてきませんでしたし、今のところその詳細な病名をこのブログで明かす予定はありません。しかしながら、わたしが発信していきたい思いをここに綴っていく上で、どうしてもしたくなかったその「心の病」について、今回ある言葉で表現せざるを得なくなりました。
f:id:hazukihirona:20190123214412j:image
そう、それはつまり「脳の疾患」でいわゆる「精神疾患」と呼ばれるものであり、わたしは「精神障がい者」なのです。精神医学でいうところの病名を複数診断されております。そしてわたしは生まれつき「発達障害」も持っていたのだということが近年になってから判明いたしました。そのわたしの治療の場である「精神科」のこれからのあり方について今のわたしの感じることを、わたしの過去からの経験をもとに今日はお話させていただけたらと思います。途中「え?」と感じることもあるかもしれません。それでもどうかわたしの話を、最後まで聞いていただけたらと思います。
f:id:hazukihirona:20190123214502j:image
わたしが今の土地に引っ越してきてから、長いことお世話になっている精神科クリニックに「小児精神科」が開設されてから1年が経ちました。わたしが見る限り、本当にびっくりするぐらいの幼い子どもたちを「うちの子の様子が変なんです」「他の子と違うんです」とその親御さんたちが連れてらっしゃいます。そして「お薬ちゃんと飲めているかな?」と幼い子どもたちに対して薬剤師さんが話しかける姿や、他クリニックから転院してきて、いやそれはどう考えても薬飲み過ぎ…とわたしでさえも感じるような男の子が処方の改善をされた薬を薬剤師さんから受け取る場面を目にしてきました。
f:id:hazukihirona:20190123214720j:image

わたしは過去に一度結婚を経験しておりますが、子育ての経験はございません。当時飲んでいた薬の副作用から、わたしは長い間排卵そのものがストップし続けておりました。故に11年をともに歩んだ夫との間に子どもを授かることが出来ませんでした。なので、子育てそのものや、行動や感情の起伏が激しかったりまたは極端に偏りすぎていたりするのであろう子どもの子育ての苦悩や葛藤も、見聞きをしたり、そこから想像をするという形でしかできませんし、その苦しみはきっとわたしの想像を絶するものなのでしょう。しかし、わたしはどうしても「そんな幼い頃から向精神薬を飲むことは間違っているのでは」と思わずにいられないのです。

f:id:hazukihirona:20190123215830j:image
泣き叫ぶほどの苦しいという感情や悲しみは、子どもの時だからこそ薬で抑え込んではいけないと思うのです。それは時に、楽しい!だとか嬉しい!だとかいう、負の感情ではなく本来子どもが子どもという時代だからこそ、たくさん感じるべき幸せな感情でさえも必要以上に抑えてしまうことがあるからです。もちろん、ひとつ例をあげるのならば、仮に「発達障害」と診断を受けたとして、今までのすべてに説明がつき、納得することができ、それに応じた薬を服薬することで生活そのものが改善されるということも知っておりますし、それが二次障害への防止に役立つのかもしれません。わたし自身も大人になってからではありますが「発達障害」を改善することができるという薬の恩恵に預かり、確かに生活が改善された過去があります。しかし、やはり薬というものに万能薬はなく、今はまだ解明されていない、確認されていない副作用があったり、その薬を服薬することで将来思いもよらない病を発症してしまう可能性というのも否めないのです。
f:id:hazukihirona:20190123222133j:image
わたしは15歳の頃、今思い返せば「うつ病」ではなく単なる「憂鬱な状態」で、睡眠にも困難を感じることはなかったのですが、精神科を訪れたら「うつ病」であると診断され、抗うつ剤だけでなく睡眠薬も処方されました。そしてそれを律儀に飲み続けた結果、わたしは本来身体にちゃんと備わっていた「自然に眠る力」を失いました。今も睡眠薬を飲まなければ眠れません。そしてそれは本当に苦痛なことで、ふとしたきっかけで睡眠薬を無くしてしまったり、かつ大型連休などでかかりつけの病院が閉まっていたりすると、わたしは何日間も眠ることが出来きません。過去にそれを経験しましたが、眠っている間に整理されるはずの記憶や感情がまったく整理されず、本当に気が狂いそうになるし、身体もこんなにも重たく感じることって実際にあるのかと思ってしまうほど、ちっとも疲労が回復しません。
f:id:hazukihirona:20190123214909j:image

そしてある出来事をきっかけに、わたしはそれまで長年処方され飲み続けたある睡眠薬を、どうしても断薬せざるを得なくなりました。その薬には断薬の際に非常に強い「離脱症状」というものが出てしまう薬で、医師の処方に従っての正しい断薬の仕方でも、その離脱症状に死んでしまうのではないかとさえ思うほど苦しみました(今は離脱症状の出ない睡眠薬を服薬しています)。15歳の時に誤って出された薬によってわたしは19年間、そんな不眠症を抱え続けております。知人の中には、やはり当時の精神科の薬が悪い副作用をして、統合失調症を発症してしまったという方もおります。そんな過去の経験から、わたしは必要以上に「診断名」を求めてはほしくないし、薬を飲んでほしくないのです。そしてわたしの通うクリニックに来られているお子さんのご両親の様子を見ていると、大変失礼なのを承知の上で「治療が必要なのはお子さんなのではなく、親御さんなのでは」と感じてしまうことがあります。
f:id:hazukihirona:20190123222308j:image

しかしそれは決して「向精神薬をお前こそが飲め」という攻撃的な意味合いではなく「あなたの中のインナーチャイルドを癒やしてあげて」というわたしの悲痛な願いです。我が子が仮に医学的になにか病名がつくのだとしても、障がいがあるのだとしても、それをひとつの「個性」として受け入れられない親御さんたちの背景には、自分自身もそう育ててもらえなかった子ども時代が見え隠れすることがあります。
f:id:hazukihirona:20190123215746j:image
わたし自身もそうです。わたしはずっと幼い頃から感受性が豊かであったことや記憶力が異常に良いところ、その他諸々の社会に適合していく上で壁として立ちはだかってしまったわたし自身の病や障がいを、わたしの「個性」として両親に受け入れてもらいたかった。そうして「他の子と少し違うけれど、あなたはあなたのままでいい」のだと身体も心も抱きしめてほしかったのです。わたしは物心ついた時から、両親に抱きしめてもらった記憶がありません。いくら記憶を辿っていっても、両親のぬくもりを、体温を思い出すことが出来ないのです。そしてそれは本当に罪なことだと思うのですが、しかしながらわたしの両親もまた、自身の親に抱きしめてもらった経験がなかったのでした。

 

 

小児精神科に我が子を連れてくる親御さんたちの多くが、わたしとそう年齢が変わらないのだろうなと思われる方々です。そしてわたしたちの世代はいわゆる「団塊ジュニア」でそのまた両親は「団塊の世代」と呼ばれます。
f:id:hazukihirona:20190123222035j:image

わたしは予備校時代、政治経済の授業で「団塊の世代」は戦争を経験した方々の子どもである、ということを習いました。予備校ならではのユニークな授業故だと理解をしていただきたいのですが、「第二次世界大戦を敗北という形で終戦を迎え、そして家族のもとへと帰っていって、人はなにをするかといえばつまりセックスなのだよ。そうして多くの人々がセックスをした結果、団塊の世代という人口の爆発的増加が起きたのだ」と政治経済の講師は話しました。生臭い話かもしれませんが、一般の教科書には記されていない真実だと思います。
f:id:hazukihirona:20190123220106j:image
そうして生まれた「団塊の世代」はいわずもがな競争の世代であり、その親である戦争を経験した方々の教えは「厳しすぎる」ものであったのではないかと思うのです。「欲しがりません、勝つまでは」という戦争真っ只中の教えは「我慢」を美徳とする日本独自の風潮への拍車をかけ、その「我慢」することは正しいのだという思い込みは今日の日本にも未だに悪影響を与えているように思います。もちろん「我慢」をすることも人生には必要です。しかしやはり「我慢」し続けるということはつらく苦しいものだと思うのです。

 

わたしの祖母も類まれなく「我慢」を美徳として生きておりましたが、亡くなる前、病院で寝たきりになりそれでもひたすら「我慢なのよ、我慢するしかないのよ」と言い続ける祖母に「おばあちゃん、もう我慢しなくていいよ。もうじゅうぶんだよ。」とわたしが言葉をかけたら、認知症もだいぶ進んでいたにも関わらず、祖母は涙を流したのでした。「我慢」を美しいことだとして生きてきた祖母でしたが、やはり「我慢」し続けるということはつらく苦しいことだったのでしょう。
f:id:hazukihirona:20190123220139j:image
しかし人は「普通」「当たり前」とされる、またはそう信じていることに対してはなかなか疑問が生じにくい生き物です。「我慢」は「普通」のことで「当たり前」であるという戦争を経験した方々の教えはそのままその子どもである「団塊の世代」へと引き継がれ、そして「団塊ジュニア」へと教えられていきます。が、人の心というものは人が思っている以上に正直で、そしてその「人」をとりまく環境も時代も常に移り変わっていきます。そんな諸々の要因が複雑に絡み合い生まれた悲痛な人々の心の叫びのひとつが、今日の社会問題のひとつである「精神疾患」の増加であり、それは世代をこえて「愛情の欠如」という形で子どもたちに受け継がれつつあると感じています。そしてもとを辿ると、そこには「戦争」という人類の歴史が根底にある気がしてならないのです。
f:id:hazukihirona:20190123222400j:image
もちろんこれだけがすべてではありません。これだけですべての精神疾患を説明することはできません。そして発達障害というものは、生まれつき持って生まれてくる先天性の障害です。が、その二次障害として「精神疾患」を発症するケースは非常に多いし、家庭環境が精神疾患の発症に結びつくということは既に精神医学界で証明されており、わたしが病を診断された15歳の頃に比べると、今ではその数十倍以上の精神科というクリニックや病院が増え続けています。何事にも需要があるから供給が存在するわけで、それだけ昔に比べて「精神疾患」を患ってしまう人々が増えているということです。今日の日本における異常なまでの精神科病棟の増加の背景のひとつに、つきつめると「戦争」があった過去が切り離せない気がしてならないのです。そして、今「平成」というひとつの時代が終わりを迎えようとしています。明治、昭和には存在した戦争が平成はなかった。そして、いくら政府がはっきりと言及をしていないとはいえ、今我が国は「移民時代」を迎えており、その移民である外国人の方々も、その子どもたちも、いつストレスから精神疾患を患い、精神科を訪れることになるかわかりません。「戦争のなかった平成の終わり」そして本格的な「移民時代の到来」。これからの精神科のあり方を考えるとするなら、そして変えていこうとするなら、そのタイミングはもしかして「今」なのではないかと思うのです。
f:id:hazukihirona:20190123220303j:image
しかしここまで力説し問題提起をしておいて何なのですが、わたし自身が精神科のあり方を変えていくぞー!という気持ちにはなれないということが正直なところです。なにしろわたしはまともな学歴も持っておりませんし、精神科の仕組みやあり方に変革をもたらすことの出来る基礎的な知識や技量もございません。そして、15歳の頃から現在まで19年間、様々な精神科クリニックを藁をもすがる思いで訪れ、また開放病棟閉鎖病棟そのどちらにも入院をし、その中であまりに長いこと精神科病棟の深い闇に触れて参りました。現在わたしは昼間の向精神薬は服薬しておらず、発達障害の生活の改善のために出されていた薬も今は必要なくなり、自らの訓練という形で生活を改善させ、就寝前の安定剤と睡眠薬のみの処方になりました。完治や寛解には至っていなくとも、今わたしはようやく自身の人生を、本当の意味でスタートさせることが出来そうだなと感じ始めています。たとえこれからも発達障害とはうまくつき合っていくしかないのだとしても。わたしの経験をお話していくことは出来ます。例えばその「精神科病棟の闇」とは何なのか(後述します)。しかし、今のわたしが求めることは、ひたすら自分を、魂を、人生を、出来得る限りその「精神科病棟の闇」から離れ、楽しませること、喜ばせること、楽しむこと。どうしても、今はそれに尽きるのです。
f:id:hazukihirona:20190123220451j:image
なのでなんとも他力本願な話ではありますが、ひととおり問題提起をし、未来を変えるのは、歴史の残した負の連鎖を断ち切るのは「今」を生きる他ならぬわたしたちなのだ!と声高らかに宣言をし、あとはその精神科のあり方の問題に向き合っていきたい、変えていきたい、それこそが生きがいなのだ!という方々に「任せたよ!」という思いを込めて今回のこの記事を書かせていただきました。
f:id:hazukihirona:20190123220559j:image

精神科の入院病棟というものに久しく足を踏み入れておりませんし、今は改善されているところが増えていると信じたいけれど、わたしがかつて入院を経験した数多くの病院・病棟は、それはそれは悲惨なものでした。必要以上の投薬。病室とは他にある保護室という名の牢獄。そこに当たり前のようにある拘束器具。その牢獄から聞こえる「助けて、出して」と泣き叫ぶ悲痛な声。ある病院ではわたしもその保護室に強制的に入れられることがありましたが、ようやく出れたと思ったら「私は自分の意思でこの保護室に入りました」という内容の書面へ署名捺印するよう強制されました。その他に、わたしの闘病仲間の中には、病室と呼ばれるもの自体が「牢獄」だったと。鉄格子で区切られ、保護室のようにその鉄格子の中にトイレがあり、その中で冷たい食事を食べていたと。だから、この今の病院で看護婦さんが笑顔であたたかい食事を持ってきてくれた時は「白衣の天使って、本当にいるんだ」と思えたと。違う。違う。違うんだ。それはやっぱり異常なんだ。わたしたち「精神疾患」を患ってしまった人間が求める治療の方法は、わたしたちが求めている治療の場は、こうであってほしくなかったし、これじゃないんだ!わたしはそうここで叫ぶことしかできません。
f:id:hazukihirona:20190123222548j:image

入院病棟に限らず、通院のみで訪れた精神科の医師に初対面でいきなり、かつわたしが自身の症状を詳しく説明をした上で「あなた、演技をしているだろう?」と言われたこともありました。わたしはあまりにショックでしかも自尊心を一瞬でズタズタに引き裂かれ、そうその医師に言われた直後から帰宅するまでの記憶が一切ありません。あまりに辛い出来事に、わたしの脳が自己防衛本能を働かせてくれたのだと思います。その他には、まるでベルトコンベアーのような流れ作業のような診察しかしない病院もありました。診察による認知療法薬物療法の組合せであると謳っているのにも関らずです。「調子はどうですか」「あまり変わらないですね」「そうですか。ではお薬出しておきますね」のみのやり取り。診察室に入ってから出るまで3分ぐらいです。

 

確かに医師も人間なわけで、毎回毎回の診察に全力を注ぐことが出来ないのもわかっております。やはり決められた診察時間内に業務は終わらせたいし、そうしていかなければ病院の経営を成り立たせ続けることが出来ないのもわかっております。そして、ここまで上げたわたしが「問題点」だと思うことを今すぐそれを改善していくことが出来ないのも充分わかっております。予算の都合もあるでしょう。そもそも「精神疾患」の種類によっては、その牢獄にも似た保護室に入れることでしか、周囲の他の患者を守ることが出来ないということも承知しております。またはその患者本人の命を守るために拘束具というものを装着するのしかないのだということも。

 

でも。でも。でも。わたしたち患者も「人間」なのです。本来身も心もボロボロに疲れ果て、それでも、治りたい、治したい、人生を取り戻したいと願うわたしたちの治療の場が、これからもそうであり続けてほしくないんだ!あたたかな笑顔、あたたかな食事、「ただいま」と言えば「おかえり」と返ってきてくれる、そんな家や心の支えになってもらえる家族を誰もが当たり前に持っているわけじゃないから、時には頼らざるを得ない入院病棟が、そして治療の基本の外来診察が、今もこれからもそうであってほしくはないんだ!
f:id:hazukihirona:20190123222759j:image

世界とは不思議な調和を成していくもので「もうわたしはこれには向き合えない」「わたしにはそれを変えていく知識も技量もない」というわたしのような人間がいる一方で「はい!私が!俺が!向き合います!変えていきます!」という方が必ずいてくださると信じております。その精神科の未来への扉を開いていく偉大なるどなたかへ。どうか、どうぞ、よろしくお願いいたします。
f:id:hazukihirona:20190123220857j:image

わたしは、精神科というものが、減っていってほしいとは思っておりません。むしろ、今よりも更に気軽に、カウンセリングや認知行動療法が受けれるようになっていってほしいとさえ思います。「精神科」または「心療内科」と呼ばれる場所に、人生の深い暗いトンネルの中で悩み苦しんでいる方々が、気軽に相談に行ける、明るい場所になっていってほしいと思います。そして、必要以上の投薬、誤った診断が減っていきますように。と。自身の意に反して「精神疾患」を患ってしまった人々が、親御さんも本人も望んでなんかいなかったのに「発達障害」と呼ばれる先天性の障害を持って生まれた人々が、不当な差別や待遇を受け続けることがありませんように。と。世間から白い目で見られてしまうという苦痛が少しでも減っていきますように。と、祈っております。

 

 

追伸。わたしの主治医の書いた論文のひとつに「どの時代も人は生きにくさを抱えてきたのではないか」という記述がありました。その通りだと思います。しかしそのどの時代も、たとえ未来に負の遺産を残そうとも、人は懸命に生きてきたのだと思います。今を生きるわたしたちがそうであるように。時代は流れ、移り変わり、その時代その時代ならではの「生きにくさ」というものはそう簡単に完全に無くせるものではないように思います。しかしそれでも、少子高齢化社会を迎えいくら少子化が叫ばれようとも、人の命が新しい命へと引き継がれていくのが完全に止まることはありません。今この瞬間も新たな命は誕生し続けていて、そしてその小さな命はこの先の長い人生を迷いながら悩みながら、それでも懸命に歩んでいくのです。その人生の道の途中で、その小さな命が「自己肯定感の低さ」で苦しみ悩むことが出来得る限り減っていってほしいとわたしは切に願います。「親がいなくとも子は育つ」という言葉が昔からあるように、確かにそれは真実です。世間は厳しいものだけれど、困っている人がいれば手を差し伸べるやさしい人達は確かに存在するし、人は個人差はあれどある程度年齢を重ねれば、自身の人生を自分の力で切り開いていく「強さ」というものを身につけるようになります。しかしその子の「自己肯定感」を最初に満たしてくれるのが、わたしはどうしてもその子の父親または母親であってほしいのです。現在わたしは34歳で、今両親が暮らしている家の住所も知らず、両親とも血を分けた兄とも絶縁状態にあります。しかし、この歳になっても「大丈夫か」と両親が会いに来てくれて抱きしめてくれる夢を見ては、嬉しくてたまらなくなり、そしてそれがもう現実には起きないのだということに、とてつもなく悲しくなり涙を抑えることができません。

 

だからどうか、お子さんのことを「抱きしめて」あげてください。それだけでいいんです。本当に、それだけでいいんです。そしてその行為によって、お子さんが発達障害だろうと何か他の精神疾患だろうと、時間をかけてでも、それをその子の「個性」なのだとどうか受け止めてあげてほしいのです。言葉での肯定だけでなく、その子が辛い時こそ「抱きしめて」あげてください。最初は伝わらないかもしれない。ふりほどかれることもあるかもしれない。それでもそのぬくもりは言葉なんかでは表しきれない「愛」をお子さんに感じさせてあげることができます。すぐに伝わらなくても、必ずそのぬくもりをお子さんは思い出します。そしてその「愛」は幸福度と切っても切り離せない「自己肯定感」への種になるのです。どうか、ご家庭で「愛」を植え付けてあげてください。将来、その植え付けた「愛」は思いもよらない、想像もしない輝きの中で、必ず美しい花を咲かせます。どうかそれを、今は苦しくても、父親または母親のあなただけは、信じ続けてあげてください。

f:id:hazukihirona:20190123221537j:image

 

 

さて。わたしは明日、どこにいるのかな。

わたしは、ここです。ここに、いるよ。

 

葉月ひろな(Hazuki Hirona)

hazukihirona@gmail.com

Twitter @hazukihirona